源氏物語

源氏物語たより477

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   須磨退去に当たっての源氏と宮の万感  源氏物語たより477

  須磨へ退去するに当たって、光源氏は関係する方々に挨拶回りをしなければならない。父桐壷院の墓には、「明日、出立」と言う日に詣でることにした。しかし人目をはばかる身では、白昼堂々というわけにはいかない。自ずから夜の墓参ということになるのだが、弥生二十日過ぎの月の出は遅い。そこで、まずは入道宮に暇乞いしてから、月の出を待つことにした。
  「入道宮」とは、源氏が限りなく恋い慕ってきた藤壺宮のことである。宮は、源氏のわりない求愛から逃れるためには、尼になるしかないと今は出家している。
  宮の所に行くと、源氏の座は、宮がいられる御簾のごく近いところに設けられた。かつてこれほど身近で宮に相接することなどなかった。しかも、宮は人づてではなく、直接源氏と話をされるのである。今まで宮と話す場合には、例の王命婦を介してというわずらわしさがあった。
  宮は、もともと源氏のことを嫌っていたわけではない。いやむしろ恋情さえ覚えていたのだが、我が子(後の冷泉帝)の安泰のためには、そういう感情を表面に出すことなどできず、源氏を拒否していたにすぎない。今は尼の身であるから、かつてのように源氏が執拗に迫ってくる心配もなくなった。そのためにこんなに身近で話ができるようにしたのだろうか。
  草子地は、二人が話し合う様子をこう語る。
  『かたみに心深きどちの御物語、はたよろづあはれまさりけんかし』
  「かたみに心深きどち」という表現が、二人の離れがたい仲を如実に語っている。二人は話し合う(物語)にしたがって「あはれ」は増して行ったに違いない、と草子地は語るのだ。この場合の「あはれ」は、単に「しみじみとした感慨」と取ったのでは不十分な理解になってしまう。もっと「情愛」の絡んだものと取らなければなるまい。

  御簾の向こうからは
  『なつかしうめでたき御気配の昔に変はらぬ』
宮の佇まいや息吹が直に伝わってくる。「なつかし」とは、人の心をひきつける雰囲気のことである。
  宮はこれほど近くにいられるのだ、今まで自分に対してつらく当たってばかりいられたことに対して、一言の愚痴でも漏らしたいのだが、今更どうなるものでもない。そんなことを漏らせば、「なんと嫌なことを」と思われてしまうかもしれないし、そもそも尼に色恋の感情を表白するなど、地獄の沙汰である。
  と源氏は理性的に考えはするものの、このまま別れてしまうのも辛い。ついに我慢できなかったのだろう、「かつて二人が犯してしまった罪が空恐ろしい」と漏らしてしまう。宮もすべてわかっていることなので、心動くものの言葉にはならない。

  源氏が「これから桐壷院の墓に詣でますが、何か伝言はありますか」と申し上げるとしばらくためらっていた後に、こんな歌を詠われた。
  『見しはなくあるは悲しき世の果てを そむきしかひもなくなくぞふる』
  難しい歌であるが、
  「かつて連れ添った桐壷院は既になく、今いる人(源氏)は悲しい思いを抱きながら遠いところ(須磨)まで流れていかれる、この末の世よ。この世を背いて尼になった甲斐もなく、私は泣き泣き日々を過ごしていくしかございません」
という意味である。桐壷院と源氏が平等の立場で詠まれているような気のする歌である。いや源氏に対する思いの方がより強く出ている歌と言えるかもしれない。
  この後、源氏も歌で返すのだが、
  『いみじき御心惑ひどもに、おぼし集むることども、えぞつづけさせ給はぬ』
のである。「ども」とあるから、二人とも動転していて、思っていることを十分に言葉や歌に表すことができないのだ。
  それでは二人が言い煩っている「おぼし集むることども」とは何だろうか。それは、
  十七歳の時に、はじめて二人が契ったこと
  二度目に逢った時には「見てもまた逢う夜まれなる・・」「憂き身をさめぬ夢になしても」と詠み交わした官能の夜のこと
  三度目には、こっそり源氏が宮の御帳台に忍び込んで、修羅場を展開したこと
  そして、二人が決して「自分たちの子」とは名乗れない春宮のこと
  さらに、自分たちが置かれている厳しい立場のこと
などなどであろう。

  二十行ほどの短い文章であるが、ここに二人の切なさやるせなさが書き尽くされている。宮はかつて生活を共にした院を偲び、今は、遠く別れていく源氏を目前にしている。特に源氏は、いつまでとは期限のない流浪なのである。命あって再び会うことができようか。歌の最後の「泣く泣くぞふる」はそのことも言っているのかもしれない。何しろ秘めに秘めた恋情を持つ人の最後の姿になるかもしれないのである。
  私は、「あはれ」の情を誘発する最も大きな機会(要因)は、人の死であり人との別れであり恋の破れであると言ったことがある。宮はこのすべてに、今現に遭遇しているのである。「泣く泣くぞふる」しかない。
  『心なき身にもあはれは知られけり・・』
と詠った人がいる。出家の身では、「あはれ」の情などは捨て去らなければならないはずなのだが、宮の「あはれ」は一入(ひとしお)である。

  源氏は、 
  『月待ちいでて』
馬で、供にはむつまじい五、六人だけを連れ、院の墓に向って、宮の所を出ていく。


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