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源氏物語

源氏物語たより478

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   須磨の風光と光源氏の憂愁   源氏物語たより478

  『須磨には、いとゞ心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の「関吹き超ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近う聞こえて、またなくあはれなるものは、かゝる所の秋なりけり。・・(光源氏は)一人目を覚まして、枕をそばだてて四方の嵐を聞き給ふに、波、たゞここもとに立ち来る心地して、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり』
  光源氏が、京を離れたのが三月の末、今は秋。あれからすでに三ヶ月が過ぎている。もちろん自ら望んでここに来たわけではない。配流の身のようなものであるから、この三か月の間に、辺境の地の侘しさは身に染みて感じていたことであろう。
  ただ、この間は、都の恋しい人々に手紙を出したりもらったり、あるいは家居の修理や整備などにかかずらわっていて、周囲の風光に目をめぐらす余裕も少なかったのかもしれない。それに夏という季節は、感傷を和らげてくれる。
  ところが、秋になると事情は一変する。そもそも秋は、誰もが侘しさ寂しさを肌で感じる季節である。まして流謫の身の源氏には、日ごろ聞きなれているはずの須磨の浦の波風が、ぞっとするような感じで身に迫って聞こえてくる。
 
  そういえば、行平中納言も、ここ須磨に流されていた。流謫の身という侘しさで、この波風を聞いていたのだろう、行平はこんな歌を残している。
  『旅人は袂涼しくなりにけり 関吹き越ゆる須磨の浦風』
  「行平」とは、在原行平のことで、阿保親王(桓武天皇の子)の第二皇子で、在原業平の兄にあたる。彼が、罪を得て須磨に流され、ここに籠っている時に詠んだ歌だという。「旅人」とは勿論行平のことである。配流の身では着るものも粗末なものであったはずで、秋風は一入(ひとしお)侘しく身に吹きかけてくる。「袂涼しくなりにけり」は、彼の置かれている立場を完璧に描いていて秀逸である。
  同じ境涯の源氏は、思わず行平が詠ったというこの歌を頭に思い浮かべた。「浦風」を「浦波」に変えているが、同じ旅人である源氏も薄い袂の衣を着ていたろう。でも、源氏を侘しがらせたのは風ではなく、「浦波」であった。それでなくとも神経が研ぎ澄まされている配流の身は、聴覚が異常なほど鋭敏になっていたのだ。昼は物に紛れて耳に遠かった波の音が、夜は大層近く聞こえてくる。
  源氏の住んでいるところは
  『海面(うみづら)はやや入りて、あはれにすごげなる山中なり』
で、海からはやや離れていたが、元々ぞっとするような場所であった。まして秋ともなれば空気も澄んできて、遠くからの波の音がこの山中にもいっそうはっきりと聞こえてきて、身に染みる。
  「あはれなるものはかかる所の秋なりけり」
とは、源氏の心境を言い当てて妙である。

  いつも言うことであるが、「あはれ」とは、ものの変化に伴って覚える感慨のことである。季節のなかでは、やはり秋こそ天地万物が衰退に向かって大きく変化する時であり、万人の心を最も強く揺する時である。
  源氏も今は衰退の時期にある。帝にあれほど信頼され、華やかな女性遍歴をし、多くの人々に嘱望された洋々たる将来を背負ってきた人物である。その近衛の大将がこともあろうに須磨に流されてきたのである。
  須磨は京からはそれほどの距離ではない。しかし、京の中で優雅な生活をしていた最上級の貴族にとってみれば、辺境の地であることに違いはない。彼は、須磨で白氏文集を二度も引いている。一度は「三千里の外に遠く行く人」であり、二度目は「二千里外故人の心」である。まさに彼にとっては、京から須磨は、二千里の外であり、三千里の外の印象を与えるものであった。浦からの秋の波風が、彼に「あはれ」を覚えさせたのは当然のことであるし、また枕が浮くほど滂沱(ぼうだ)の涙が出ても仕方のないことである。
  この後、源氏は、
  『琴(きん)を少しかき鳴らして給へるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさし給ひて
「恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は 思ふ方より風や吹くらむ」』
と詠う。琴の音が背筋がぞっとするほどに響くので、思わず弾き止めてしまったのだ。その響きは、自分が泣く声でもあるし、はるかに聞こえてくる波の音でもある。
  「ああ、都を恋い慕って泣いている私の声は、浦波とそっくりではないか。この波は、都の方から吹いてくる風による波ではあるまいか」
と、何はともあれ都を恋しく思うのである。

  さらに月日は過ぎて行った。ある日、煙が立ち上っていたので、彼は
  「これこそ須磨の名物、海士が塩焼く煙ではなかろうか」
と感慨にふけっていると、実はそうではなかった。後ろの山で柴を燃やしていて、それがくすぶっていたに過ぎなかった。作者は、こんな深刻な場面に、ふと笑いを挿入するのだが、源氏にとっては笑いごとではない。柴焼く山がつも、いさりする海士も、かつては遠い存在であったのに、今では親しくさえ思えてくる。とはいえ、彼らの話し声さえよく理解できず、それはあたかも「さへづる」がごときであった。「天皇の子ともあろう者のこの卑屈さ」と自分の身をあさましくまたいとおしく思うのである。 

  季節は冬になった。
  『雪降り荒れたるころ、空の気色もことにすごくながめ給ひて、琴を弾きすさび給ひ』
て、供の者と管弦を楽しむ。しかし楽しむ余裕とてなく、思い出すことといえば、中国の故事「遠くの国にやられた女の悲劇」である。
  『月いとあかうさし入りて、はかなき旅のおまし所は、奥まで隈なし。床の上に夜深き空も見ゆ。入り方の月かげすごく見ゆるに』
 何を見ても何を聞いても「すごく」見え、聞こえてくるだけである。

  JTBの「ポケットガイド」を見てみたら
  「須磨一帯は、源氏物語の昔から景勝の地として知られ、源平の合戦を巡る史跡も多いところ。白砂の浜が続く海岸線は整備され、神戸のリゾート地として海水浴客やサーファーで賑わっている」
とあった。しかし、少なくとも源氏物語には景勝の地という描写はない。源氏が京を離れる前に、人から聞いた須磨の印象がこう描かれている。
  『かの須磨は、昔こそ人の住みかなどもありけれ、今はいと里離れ、心すごく海士の家だに稀になむ』
  白砂青松の風光明媚どころか、「すごき」ところにすぎない。
  ここには「すごし」が何度も何度も使われている。「すごし」を改めて古語辞典で見てみると、
  「気味悪い、ぞっとするほど恐ろしい、不気味だ」
である。この辺境の地にある源氏には、見るもの聞くもののすべてが「すごし」と映るのである。何しろいつ京に戻れるともしれないし、このままここで生を終わるかもしれないのだ。琴を弾いて心慰めようとしても、流れるのは滂沱の涙、頭に浮かぶのは、外国の悲劇であり、白氏文集の寂しい一句でしかない。

  結局須磨は、風光も土地の人も、何一つ源氏の心をを慰めてくれるものとはならなかった。彼は追われるように明石に移っていく。


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