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源氏物語

源氏物語たより481

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    須磨の空 一天俄かに  源氏物語たより481

  須磨にも上巳がやって来た。光源氏が都を離れたのは昨年三月の末、すでに一年が経とうとしている。
  「上巳」とは、五節句の一つで、三月にやってくる初めての巳の日のことをいう。後には三月三日に定められて、「雛の節句」として祝い事などが行われてきた。元々中国で行われていた祓除や招魂の行事であったものが、日本に伝わったもので、この日には、宮中では曲水の宴が催されたり、童女は紙で雛を作って遊んだりした。またこの日は身の汚れを祓う御禊の日にもなっていた。
  源氏も、配流の身という穢れを祓うべく、海辺に出て幔幕を張り祓をすることにした。空は雲一つないまことに良き日で、海もうらうらと凪いでいた。

  ところが、源氏が、
  『八百(やほ)よろづ神もあはれと思ふらむ 犯せる罪のそれとなければ』
という歌を朗々と詠み上げるや、一天俄かに搔き曇り、激しい風が吹きすさび、雨も「肘傘雨(傘も間に合わないほどにの降り」となって降り注いできた。そのうちに雷まで鳴り始る。祓どころではなくなってしまい、みなばらばらと屋敷に駆け戻った。その光景がこう描写される。
  『さる心もなきに、よろづ吹き散らし、またなき風なり。波いと厳めしう立ちきて、人々の足をそらなり。海の面は襖を張りたらむやうに光充ちて、神鳴りひらめく。(雷が)落ちかかる心地して辛うじて(屋敷に)たどり来て・・』
  こよなき好天、凪いだ海、それが一転烈しい風・雨・雷となったのだから、人々は足も地につかない状態でとにもかくにも屋敷に逃げ込んだ。
  人々はどうして突然こんな状態になってしまったのか、理解できずにいた。この破天荒を示唆するものがあるとすれば、それは源氏が朗々と詠んだ歌ではあるまいか。それでは彼の歌の意味をたどってみよう。
  「八百万の神も私のことを憐れんでくれるだろう。なぜなら私にはこれといって犯した罪もないのだから」
  物語の経過を知っている者にとっては、信じられない内容なのである。誰でも 
  「え?ホント?本当にあなたはそう思っているの?」
と言いたくなる内容なのだから。そもそも源氏の犯した罪といえば、数えきれないほどあるのではないのだろうか。直近には朧月夜のことがあった。帝であり源氏の兄でもある人の寵姫を犯したことは罪に当たらないとでも言うのだろうか。それに、若い時には、人妻である空蝉を犯したこともある。そればかりではない、彼には「神も仏も絶対に許しはしないであろう大罪が」歴然としてあるのだ。
  にもかかわらず、「犯せる罪のそれとなければ」と詠むのだから、その鉄面皮には呆れるしかない。これでは八百万の神が一斉に怒り出して、風・雨・雷を起こすのも当然である。どうも源氏には「罪」意識が希薄すぎるようだ。何事も許されるという驕りがある。今までも何人の人に「無罪だ」「無罪だ」と言ってきただろう。左大臣と別れる時には
  『濁りなき心』
と言っているし、紫上には
  『過ちなけれど、さるべきにこそ(流罪になるようなそういう運命なのだろう)』
と言い、また花散里には
  『行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ空な眺めそ』
  (遠くさすらえても、ついには私の身は潔白ということになるのですから、しばしの間だけ曇っているに過ぎない私を悲しい目で見ないでほしい)
と言って慰めているのだ。まさに「清廉潔白」の押し売りで、これでは何のために須磨に流れて来たのか全く分からない。八百万の神が、彼の鉄面皮を叱責して引き起こした破天荒と見なければならない。
  とにかくこの天候急変は尋常ではなかった。人々は
  『かくて世は尽きぬるにや』
と絶望的にもなるほどのものであった。しかもこの破天荒は何日間(十日以上)にもわたって続いたのである。

  ところが不思議なことには、このところ京でも雨が降り乱れ、風が吹き荒れ、雷が落ちかかるという状態であるという。都の交通は途絶してしまい、上達部たちは参内もできずに、政務も滞っているということだ。ただ、京からの使いは、
  『いとかく地の底とほるばかりの氷降り、いかづちの静まらぬことは(都では)侍らざりき』
と断っている。都もひどい状態であるが、須磨ほどではないと言うのである。
  ということは、この天変地異は、源氏の不遜な歌のせいばかりとは言えないようである。京では「もののさとし(啓示)」と言って恐れているのだそうで、おそらく人々は、菅原道真の無実の大宰府配流を、源氏の上に投影しているのであろう。

  数日後、風はさらに激しくなり、潮は高く、巌も山もすべてなくなってしまうほどの有様になった。そして雷は鳴り響く。耐え切れなくなった源氏は、住吉の神に「この嵐止めさせ給え!」と悲壮な願をかけるが、雷は容赦せず、ついに源氏の住んでいる殿に落ちかかり、御座所に続く廊下が焼けてしまう。住吉の神も彼の願いを聞き入れようとしなかったようである。

  さて、どうしてこれほど空前絶後の災害をここに設定したのであろうか。それは須磨にいつまでいても、源氏に展望は開けないからである。そういえば『須磨』の巻の初めに、源氏が耳にした須磨の様がこう記されていたのが蘇ってくる。
  『かの須磨は、昔こそ人の住処などもありけれ、今はいと里ばなれ、心すごくて、海士の家だに稀になむ』
  『須磨』の巻ではこの「すごし」という言葉が何度も使われている。「気味悪い、ぞっとするほど恐ろしい、無気味だ」という意味である。そんなところに展望が開けるはずはない。とにかく逃げ出すことが、彼の課題であった。でも簡単に逃げ出すことはできない。なぜなら「流れていくのなら人少なな所がいい」と言って須磨に決めたのである。一旦決めたことを覆したのでは面子にもかかわる。それに咎人がそう安々と居所を変えるわけにはいかない。弘徽殿大后の弾劾の恰好の的になってしまう。
  彼は一年間はとにかくも涙のうちに須磨で忍従した。そこに想定外の嵐が起こった。命に係わるほどの災害で、これこそ逃げ出すための絶好の口実になったのである。
 
 それに前代未聞の天変地異は、超常現象を生むには最適である。こんな時には人々は何が起きてもそれを信じるしかない。彼の夢に不思議な神が現われたのもその一つである。その神は   
  『など都より召しあるに、参り給はぬ』
と言うではないか。この不思議な神は、嵐の間中、彼の夢になんども現れる。
  そして、ようよう空が静まり星も姿を表した夜、源氏がうたた寝している時に、桐壷院が夢に現れたのである。院はこう言う。
  『など、かくあやしき所にはものするぞ。住吉の神の導き給ふままに、はや船出して、この浦を去りね』
  院はそう言いながら、源氏の手を取り引き起こす。先の不思議な神が院であったのかどうかは分からないが、これでは源氏としても須磨を離れないわけにはいかない。
  さらに不思議なことには「神の導きだ」と言って、明石入道が須磨に舟を寄せてきたのである。
  こうして一年ぶりに明石に移るのである。明石という所は、その名のごとく「ゆほびか(ゆったりとしておだやか)」で、須磨とは比べものにならない。
  『須磨は心細く、海士の岩屋も稀なりしを、(明石は)人しげき厭ひはし給ひしかど、ここはまたさま殊に、あはれなること多くて、よろづにおぼし慰まる』
所であった。「人が多い」ことだけは、彼の本意に反することではあったが。この「あはれ」なることとは、彼に一条の光明が見えて来た歓びの感慨であろう。

  我々は、紫式部の術中にはまって、さしたる疑いを持たぬままに、明石に導かれてしまった。空前絶後の天変地異に紛れて、夢に出てきた神のことも院の諭も、何ら不思議とも、「そんな超常現象などありえない」とも思わせることなく、ごく当たり前のように明石での源氏の世界が展開していくのである。
  それでも明石で一年半にわたる流謫の生活をすることになる。ただ、須磨のようなわび住まいではない。


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