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源氏物語

源氏物語たより483

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   『源氏物語』あはれ考 その2  源氏物語たより483
  
              回 数  ページ数    率(%)
 竹取物語         7    38      18、4
 宇津保物語
  『忠こそ』の巻     2    27       7,4
  『藤原の君』の巻   2    49       4、1
  『初秋』の巻     30    73      41、1
  『蔵開』の巻     18   158      11、4
 落窪物語        67   202      33、2

  上の表は、「たより482」で源氏物語に使用されている「あはれ」という言葉の頻度をまとめてみたのと同じように、源氏物語に先行する三つの物語に使用されている「あはれ」の頻度を調べてみたものである。宇津保物語は、膨大な物語なので、そのうちの四つの巻だけを調べてみた。なお、数え間違いがあるかもしれないが、それほどの差は出ないと思っている。
  この表は、たとえば竹取物語で言えば、「あはれ」は7回しか使用されていないということを表しており、これは一ぺージにすれば「あはれ」の頻度は18%に過ぎないのということを示している。つまり竹取物語には「あはれ」という言葉は、5,6ページに一回しか出てこないということである。源氏物語の頻度が50,2%であったこと(二ページに一回は出て来る)を思うと格段の差である。
  宇津保物語では、四つの巻を調べてみたが、『初秋』の巻を別にすれば、その頻度はさらに低いことが分かる。
  この二つの物語から言えることは、それぞれの物語の本意が、源氏物語のように「もののあはれ」を狙ったものではないということである。
 
  竹取物語は、結婚譚が主で、特に五人の貴公子の、かぐや姫に対する求愛はすべて失敗してしまうのだから、恋に破れた失意の感情が「あはれ」と言う言葉となってもう少し使用されていていいのではないかと予想していたのだが、想定外の低さであった。また、精魂込めて育ててくれた竹取の翁夫婦と最終的には別れて、天に昇って行くのだから、これももう少し「あはれ」が使われていていいはずなのに、これも予想外の結果であった。

  宇津保物語は、最初に調べた『忠こそ』、『藤原の君』の巻があまりにも低い頻度だったので、『初秋』の巻も調べ、さらに『蔵開』の巻にまで至ってしまったものである。  
  そもそも『忠こそ』の巻には、女の嫉妬があったり中心人物の出家があったりして、「あはれ」という言葉が出てきてもいいはずだし、『藤原の君』の巻も、結婚譚が中心になっていて、絶世の美女・あて宮に対して、九人も十人もの求婚者が殺到し、竹取物語と同じように、そのいずれもが思いを遂げることができずに、失意に嘆く話が中心になっているのだ。中には、後にあて宮への恋のために狂い死んでしまう者もいるほどなのだ。にもかかわらず「あはれ」の頻度は4%に過ぎない。
  この二つの巻の余りの低さに、『初秋』の巻まで調べてみる結果になってしまった。というのは、その巻の名前がいかにも「あはれ」が多用されていそうだと思ったからである。しかも、この巻には源氏物語に類似するような場面が何か所かあるし、宇津保物語の主題である琴が重要な役割を果たしているのである。「あはれ」が多用されていて当然と予測して調べてみたのだが、案の定その頻度は高かった。
  しかし、これでは先の二つの巻と『初秋』の巻の差が大きすぎる。そこで『蔵開(くらびらき)』の巻にまで至ってしまったのである。
  全体を調べないで、軽軽たる結論は避けるべきかもしれないが、おそらくその他の巻も、『蔵開』とそれほどの差はないのではなかろうか。やはりこの物語の本意は、「あはれ」には置かれていないようである。

  落窪物語は、比較的に頻度は高いものの、その「あはれ」のほとんどが「可哀想だ」「気の毒だ」という意味で使われていて、源氏物語のように多様な意味は含んでいない。そもそもこの物語の第一巻は、主人公・落窪姫に対する継母の、徹底した継子いじめを描いたものであり、第二、三巻は、継母のいじめに対して、落窪姫の夫である少将が、徹底して報復する惨劇なのである。「あはれ」の世界からは程遠いものと言っても仕方がないし、自ずから「あはれ」の意味も限定的なものになるのは避けられない。

  こうように見てくると、源氏物語の「あはれ」が、その頻度のみならず、深さや多様さにおいて他に類をみないものであることが分かってくる。
  そこでもう一度、源氏物語における「あはれ」を誘引する要因としてはどんなものがあるのか整理しておきたいと思う。

  [もの・ことが変化する際に誘引される「あはれ」]
   1、 死別 特に愛する人の死
   2、 生別 旅立ちや配流など
   3、 失意 失恋、夫婦の間の亀裂、親子間の葛藤など
   4、 出家
   5、 世相の転換 特に自分の意に添わない世になる際
   6、 自然の変化 草・花の生々枯死、四季の移り変わり、月の満ち欠けなど
   7、 時の経過

  [状況の意外さや特殊さからくる「あはれ」]
   1、信じられない(めったにない)行動や行為
   2、芸能、学問などにおける格別な技量や才能
   3、珍しい自然や風物
   4、殊勝な心がけや行為
 
  [往時をしのぶ]
   1、懐旧の情

  [人柄]
   1、優しさ
   2、情け深さ
   3、可愛さ、愛おしさ、いじらしさ

  [感嘆]
    1、「ああ(嗚呼)」などの感嘆や溜息
    2、悲しさ、寂しさ
    3、気の毒だ、可哀想だ

  早稲田大学の中野幸一名誉教授が、この度『正訳源氏物語』(勉誠出版)を出版された。そのことが神奈川新聞に報道されていたが、その中で、源氏物語の魅力をこう語っていられる。
  「愛にまつわる一切の感情が書いてある」
  「単なるプレーボーイの話じゃない。愛があるから嫉妬や妬みがあり、その先には宗教や死がある。これほど人間というものに真剣に挑んだ物語はないんじゃあないかな」

  「あはれ」の情は、恋から生まれることが多い。なぜなら恋ほど変化の激しいものはないからである。光源氏は、単なる恋の遍歴者ではない。彼の恋に安穏な恋など一つもない。また幸せな結婚生活なども一度としてない。なぜなら彼は恋を通して人のありようを見ようとし、そこに「あはれ」を求めようとしているからである。
  そしてそれは「愛にまつわる」だけではなく、母子の関係や兄弟の確執、あるいは自然や風物、芸能や風俗などの対象に、研ぎ澄まされた感覚を働かせて、その中に存在する「あはれ」を鋭くえぐろうとしているのである。落窪物語の「あはれ」が、多くは「気の毒だ」「可哀想だ」という領域にとどまっているのに対して、まったく次元を異にしているのである。
  


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