源氏物語

源氏物語たより485

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   明石君の極度な身の程意識  源氏物語たより485

  明石入道が、「自分の娘(明石君)を都の高貴なお方の嫁に」と思うのは、彼の思い上がりでもないし不見識でもない。それなりの理由はあるので、そのために須磨で流謫生活を送っている光源氏に目を付け、何とか娘を縁付けようと必死になったのである。
ところが当の明石君本人は、源氏の素晴らしさを耳にするにつけても、わが身の「身の程」を思い、結婚などとても考えられもしないと思っているのだ。しかもそれは異常なほどのもので、あまりにも卑下しすぎるのではと映るほどなのである。はたしてそこまで頑なになる必要があるのだろうか。
  明石入道は、今でこそ播磨の守を辞し、その土地の一介の豪族ではあるが、彼の父は大臣だったし、彼自身も近衛中将であった。近衛中将と言えば、将来洋々たる顕官で、父と同じく大臣になる可能性もあったはずだ。ところが、彼のひねくれ根性が災いしたのだろう、洋々たる将来を捨ててしまい、自ら望んで播磨の守になった。その後、受領という例の役得をフルに活用したらしく、財産を蓄え広大な土地を所領し、明石の豪族としておさまっていた。
  また、彼の父は、源氏の祖父(桐壷更衣の父・按察使大納言)と兄弟なのである。つまり源氏と明石君は「再従兄妹(またいとこ)」という関係にあり、いずれの面からも錚々たる家柄であるといえるのだ。

  しかも、親・入道が積極的にこの話を勧めようとしているのだから、明石君がそこまで頑なになる意味が、現代の我々には理解できない。

  明石入道と源氏は、琴(と琵琶)を通して意思を通わせ、次の歌のやり取りによって、めでたく結婚の条件が成立した。まず入道
  『ひとり寝は君も知りぬや つれづれと思ひあかしの浦さびしさを』
  そして源氏
  『旅衣うら哀しさにあかしわび 草の枕は夢も結ばず』
  入道は
  「わが娘はいつもひとり寝。その侘しさは旅にある源氏さまならよくご理解できることでしょう。早く一緒になってやってください」
と言っているし、源氏も
  「旅の空では、悲しさのためにどうにも夜も明かし兼ね、夢もまともに見ることができません。早く結婚したいものです」
と言うのだ。親の認めない結婚を「野合」と言う。明石君の場合は親がもろ手を挙げて推奨しているのだから、これほど恵まれた結婚はない。
  そもそも源氏は、あれほど華やかな女性関係を繰り広げながら、親の承諾の下にめでたく結婚ということは稀で、まともに結婚したのは葵上とくらいなのである。それに比べて、明石君とはなんとスムースな結婚であることか。
  入道と源氏の以心伝心は異常なほどで、「すぐ明日にでも」というほどの親密さである。彼らは、「思ひあかし(明かし、明石)」だとか「うら(浦)さびし」とか「うら(浦)哀し」とか「あかし(明かし、明石)わび」とか、あるいは「旅」「草の枕」など、掛詞や縁語を多用して、ルンルン気分である。

  この歌の贈答の翌日、源氏は早速明石君に手紙を贈る。それも特別な心遣いをして、紙は「高麗の胡桃色」のものを使い、しかも源氏の文字は稀に見る優れた筆致である。娘がのぼせ上らないはずはない。
  それにもかかわらず、明石君は
  『(源氏の)いと恥づかしげなる(立派な)御文のさまに、さし出でん手つきも恥づかしう、つつましう、人(源氏)の御ほど、(我が)身のほど思ふにこよなくて』
返事を書こうともしない。
  ただ、これは分かる気がする。今でこそ源氏は流謫の身にあるとはいえ、とにかく天皇の子なのである。それにこの優美な筆致、彼女の腰が引け、手を出すのも恥ずかしいと思うのは無理のないことである。また、いくら父がこの結婚に積極的とはいえ、自分は田舎生まれの田舎育ちであることを思えば、返事が書けないというのも仕方のないことである。
  これにじれた源氏は再度手紙を出す。しかも
  『いといたうなよびたる薄様に、いと美しげに書き給へり』
なので、どんな女でも褒めちぎらないはずはないほどの美しさである。
  ところが明石君は、
  『めでたしとは見れど、なずらひならぬ身の程』
を思うにつけ、例のごとくとても返事など書く気が起きない。さすがに困惑した父・入道は無理にも書かせてしまう。
  その後、二人の間で手紙のやり取りはなされるものの、女は逢うことは頑なに拒否する。このようにして源氏は、女と「心比べ」の状態で時は過ぎていく。
  このままでは埒が明かないと思ったのだろう、八月の十三日の月の華やかに照る晩、源氏は強引に女の所に忍んで行き、女に有無を言わせず、なし崩しのように結婚を成立させてしまう。

  歴史的に見ても、受領の娘が都の顕官の男と結婚する例は少なくはないのだから、明石君の尻込みはあまりに異常なのではないかと思われる。
  受領階級とは四位、五位(あるいは六位)の貴族であるが、上達部(公卿)にはなれない連中である。しかし、いずれにしても彼らの本拠は京にある。田舎暮らしは一時的なもので、四年の任期が過ぎれば京に戻る。ところが明石君の場合は、源氏とのことがなければ、生涯田舎で過ごすしかない身分である。そこがいわゆる一般の受領の娘とは違って、田舎娘の烙印は消えない。
  田舎生まれの田舎育ちの娘が、光源氏の妻になったのでは、物語の読者は許さない。そんな御伽噺のような夢物語があっていいのかと。確かにかぐや姫は帝から求婚された。しかしあれはお伽噺だから許されるのであって、源氏物語は、「竹取物語」とは敢然として異なる、という意識が紫式部にはあるのである。彼女が苦心したのは、自分の書く物語が、いかに従来の物語を越えるかであった。源氏物語にはそのための布石があちらこちらに仕掛けられていた。ここも同じなのである。つまりいかに真実性を持たせるかということである。
  後に、明石君と源氏との間に生まれた姫君が、春宮の女御になるのだが(これは皇后になることでもある)、一介の地方の豪族の娘の子が、春宮の女御になることなどあり得ないことだ、と騒ぐだろうし、やはり夢物語なのかと侮る。紫式部は、その批判をかわすために、明石君が尋常な女性ではないという証拠を積み上げているのである。
  琴の名手であることもその一つ。ずっと後に『若菜下』の巻で、源氏は女楽を催すが、四人の女性奏者のうち、何の心配もしなかったのが明石君なのである。とにかく当時の女性のたしなみ・教養の一つが「琴」であった。
  もう一つのたしなみ・教養の「書」はどうだったであろうか。彼女から源氏に初めて届いた手紙を見て源氏はこう驚いている。
『手のさま、書きたるさまなど、やんごとなき人にいたう劣るまじう上衆(じょうず)めきたり』
  「上衆」とは、「上流の」ということで、彼は紫上の書を思い出して、「紫上にもそれほど劣ってはいない上流の夫人」と評価したのだ。書の名人・源氏の目からしても合格なのだから、折り紙つきというわけである。
  さらに「歌」の実力はどうだろうか。彼女の歌を見る限りいずれの歌も標準以上である。(ただしこれは私の評価であるが)
このように、いずれの分野でも、明石君は当たり前の田舎育ちではなかった。

  さて、一番問題なのは、その人となりである。かつては都でもっともときめいていた一級中の一級の貴公子であり、しかも美貌で多才な能力の持ち主の光源氏から手紙が来たのだから、どんな女でも二つ返事で受け入れるはず。
  ところが、明石君はそうしなかった。そんな蓮っ葉な女ではないということを証明したかったのである。
  またこの後、姫君が春宮の女御になるまで、姫君に「田舎娘の子」という恥をかかせないために、身を引きひたすら耐えることになる。その忍耐心の強さ、堅固な意思の持ち主であるがゆえに、女御の母たりえるのであり、これによって読者の納得も得られるのである。
  明石君の極度なまでの「身の程意識」は、実は真実性を持たせるための布石の一つだったのである。


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