源氏物語

源氏物語たより486

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   弘徽殿大后の剛毅   源氏物語たより486

  須磨が猛烈な雨・風・雷に襲われている時に、京でも同じように烈しい風雨が吹き荒れ、雷が閃いていた。三月十二日は光源氏の枕上に、故桐壷院が出てきた晩であるが、不思議なことに、その翌日の十三日の夜には、朱雀帝の夢にも院が現われたのである。しかも、院は、源氏に対しては「どうしてこんな所にいるのか。早くここを立ち去りなさい」と優しく諭したのだが、朱雀帝に対してはそうではなかった。
  『(院の)御気色いと悪しく、(帝を)睨み聞こえさせ給ふ』
のであった。そして帝にさまざまな諌めをする。多くは源氏に関することのようであった。日ごろから心優しい帝は、これにはすっかり震え上がってしまい、母・弘徽殿大后の所に飛んで行って、その旨を告げた。すると大后はこう一蹴する。
  『雨など降り、空乱れたる夜は、思ひなしなることはさぞ侍る。軽々しきやうにおぼし驚くまじきこと』
  「思ひなしなること」とは、「日ごろ思っていること」という意味で、日ごろこだわっていることは、雨が降ったり空が荒れたりする夜には、自ずからそれに関する夢を見るものだ、ということで、「軽々にそんなことを気にするものではない」とぴしゃり釘を刺したのである。大后の貫録が言わせた言葉であり、帝とは風格の違いを感じさせる毅然たるものである。しかし、いくら夢だからといっても、自分の夫が息子の夢枕に立ったのである。それを軽くいなしてしまうとは、剛毅な人というしかない。
  大后の戒めにもかかわらず、帝の恐れは消えるどころか、院と見合わせた時の目が堪えがたいほど患い悩みこんでしまう。そんな時に、祖父・太政大臣が亡くなる。また京には次々と凶事が起こる。それに天空はここのところひっきりなしに荒れ狂っている。さすがに剛毅な大后もなんとなく病気がちになってしまう。
  帝は、「これは源氏から官位を奪い、配流の状態にしているからに違いない、源氏には何の咎もないのだから、この報いは必ずあるはず」とすっかり弱気になってしまった。そこで、
  「源氏をもとの位に戻すべし」
と、何度も大后に訴える。ところが彼女は
  「都を去った人を三年もしないで召喚するなど、もってのほか。そもそもそんな措置をとれば、「軽率なことを!」と世間が非難するだろう」
と言って毫も考慮しようとはしない。
  「流罪の人は、流されてより六年以内には公の役に就くことは許されない。また流罪の咎に及ばない人でも、殊更に流罪せられた人は、三年以内は仕えることを許さず、と獄令にある。  角川書房 源氏物語評釈より」
そうなので、大后の言っていることに間違いはないのである。

  それにしても、自分の父(太政大臣)が死んだのを「それなりの歳なのだから仕方がない」と割り切ってしまう、まことに理性の勝った人物である。また自らの体調不良にも屈っせず、何日にもわたって天変異常の状態が続くのも気にしない。
  「弘徽殿女御のお人柄 たより88」では、彼女の強さは、自分の息子(帝)を守ろうとする必死の母の愛ではない、と言った。あくまでもそれは彼女の生まれながらに持った本然の人柄、いわば彼女の代名詞でもある「さがなさ(根性の悪さ)」から出たものであり、その「さがなさ」が、桐壷更衣を死に追いやり、藤壺宮を恨み嫉みし、源氏を窮地に立たせたのだ、と結論付けた。

  しかし、どうもこれだけではない気もする。それでは彼女の剛毅はどこからきているのだろうか。それは右大臣家一門と自らの権勢を守るという一念でもあったのではなかろうか。朱雀帝が天皇の位についている限り、彼女の地位は安泰である。ところが帝が一旦譲位してしまえば、大后といえども「ただの人」になってしまう。朱雀帝には、大后の血縁の妃には男の子がいなかった。大后の妹の朧月夜が右大臣家の持ち駒であったのだが、彼女との間にはついに子供は生まれなかった。これでは「ただの人」になるしかない。だから、少しでも長く息子が帝位についていることが、右大臣一門のためであり、自らのためでもあった。いわば朱雀帝の譲位問題は、彼女にとっては、「ただの人」になるかどうかの生命線であったのだ。
  惜しむらくは、この剛毅さは息子に遺伝しなかった。朱雀帝は、一門の浮沈にかかわるというのに母の思いを無視してしまう。
『源氏のかく沈み給ふこと、いとあたらしうあるまじきことなれば、ついに后の御諌めをも背きて、許され給ふべき定め出で来ぬ』
「あたらし」とは「惜しい」ということで、源氏のような優れた人物が配流の状況になっていていいはずはないというのである。こうして二年半近くにわたる源氏の配流生活はピリオドを打つ。

  後年、源氏は後見する冷泉帝ともに、朱雀院に行幸し、ついでに弘徽殿大后を見舞う。ありきたりの社交辞令を言っただけで、すぐに堂々と帰って行ってしまう。その源氏の後姿を眺めながら、彼女は寂しげにつぶやく。
  『(源氏のように)世を保ち給ふべき御宿世は、消たれぬものにこそと、いにしへを悔い思す。・・命長くかかる世の末を見ること』
源氏のような優れた人物は、いずれにしてもこの社会を統率するようになるもの、それは宿命であり、簡単に消し去ることなどできないのだ、それにもかかわらず自分は刃向った、間違いであった。それもこれも長生きしたために、こんな恥を見るはめになってしまったのだ・・。完全なる敗北のつぶやきである。

  源氏物語は、このあたりの政治関係はあまり語らない。しかし、紫式部が生きた時代そのものが、政権争いの暗闘が繰り返されていた時代で、彼女もそのすさまじさ・醜さはつぶさに目にしていたはずである。しかし女はそんなことを詳しく書くべきではない。


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