源氏物語

源氏物語たより489

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    平仮名発生の経緯と理由   源氏物語たより489

  『絵合』の巻で、二度絵合わせが行われている。一度目は、藤壺中宮の御前でのもので、梅壺女御(前斎宮)側からは竹取物語や伊勢物語が、一方の弘徽殿女御側からは宇津保物語や正三位物語が出され、丁々発止の議論がなされたが、勝ち負け同じということで「持(じ)」になってしまった。そこで、光源氏は
  「どうせなら帝の前で絵合わせをしようではないか」
と提案し、ついにその運びとなった。これが二回目の絵合わせである。互いに特別勝れた絵ばかりを出してくるものだから、判者の帥の宮(源氏の弟)も優劣を判じかねて夜になってしまった。
  そしていよいよ最後の一枚となった時に、源氏はとっておきの奥の手を出す。須磨に流謫していた時につれづれに任せて描いた絵である。源氏はもともと絵に関しては天賦の才能を持っているから、これが出された時に相手方の中納言は
  『御心騒ぎにけり』
であった。中納言とはかつての頭中将のことである。
  この絵合わせは、一見優雅な平安人の遊びのように見えて、実は裏では中宮の座を争うドロドロした権勢が絡んだものであった。梅壺女御は、源氏の養女で藤壺中宮と連合軍を組んでいた。一方の弘徽殿女御は、中納言の娘で、つまりは源氏と中納言との争いであったというわけである。
  中納言の「御心騒ぎにけり」とは、源氏の須磨の絵を見た途端に、中納言は
  「負けた!やられた!」
と心の中で絶叫し悶絶したということである。
  源氏の絵の技量は、専門家も尻尾を巻いて逃げ出す程なのだが、中納言の心が騒いだのは、絵が優れているかどうかの問題ではない。そこには源氏の生涯で唯一の不遇な境遇の様が、克明に描かれているだろうからである。源氏が、右大臣との争いに負けて、須磨に流れて行った事件については、人々の記憶に新しい。しかし、その真の理由については誰も知らない。だから源氏は罪無くして右大臣に左遷されたものと思っていて、涙なくしては語れない事件であった。その不遇な時代の絵が、
  『かかるいみじきもの(絵)の上手の、心の限り、思ひ澄まして、静かに書』
かれているのである。中納言が悶絶するのも無理からぬことである。案の定
  『皇子(帥の宮)よりはじめたてまつりて、涙とどめ給はず』
と万座の人々は一斉に涙を流し、留めることができなかった。人々は、源氏が須磨に退去していた時の悲嘆の様を思い出したのである。もう絵の良し悪しは問題でなくなっていた。
  当然のことながら、後に梅壺女御の方が中宮になった。

 
  ところで、この源氏の須磨の絵には、絵に関する詞書や歌なども書かれていた。そのことについてこうある。
  『草の手に、仮名のところどころに書きまぜて、まほのくはしき日記にはあらず』
  とにかく源氏の才能は、絵に限らない。琴も笛も舞も詩も、なにごとにも「つたなきこと」がないのである。当然書もまた一級。その能書家が、草書で、また平仮名をところどころに書きまぜて、見事に絵と調和させて描いていたのだ。

  そこで、ここに出て来る「草の手」、「仮名」、「まほ」とは何だろうか、物語を離れて少し考えておきたいと思う。源氏物語を読む上で、あるいは参考になるかもしれない。
  まず「まほ」についてみてみよう。
  「まほ」とは、「よく整っている、まともな」ということで、「正しい」という意味を含んでいよう。当時正しい文字と言えば漢字であった。正式な文章はすべて漢字で書かれた。それはまさに男の文字で、当時の男の日記もすべて漢字で書かれていた。平安時代の日記として有名なものに、藤原実資の「小右記」がある。実資が五十五年にわたって書き続けたもので、当時を知る資料として価値が高い。
  そこには藤原道長のことなどもこと細かに書かれている。道長の娘・彰子に皇子(後の後一条天皇)が生まれた時の、七夜の産養(うぶやしない)の様子がこう書かれている。そのほんの一部を上げておこう。
  『十七日、甲戌、黄昏参中宮、右大臣己下参入、但内大臣・民部卿不参、其外皆悉参入、如五日夜』
  十七日、甲戌(きのえいぬ)の日の、七日の産養に参列した人々のことが書かれており、五日夜の時と同じように、産養の儀式が行われたという内容である。
  これがまさに「男もすなる日記」であるが、源氏の須磨の絵に書かれた文字は、このような漢字の正式な日記ではなく、草体と仮名文字で書かれていたということである。

  仮名は、漢字からできたものであることは誰もが知っている。
  それでは漢字はいつごろ日本にやってきたのだろうか。実は漢字の伝来については、はっきりは分かっていない。応神天皇(十五代天皇 仁徳天皇の父)の時代に、王仁が「千字文」を日本にもたらしたという話がある。応神天皇は、四世紀後半から五世紀前半ころの人と言われているので、万葉集ができるよりもはるかに昔のことである。しかし、その後長く漢字は使われていなかったようで、もろもろの記録や意思の伝達はすべて口承で行われていた。
  しかし文字がないのではいかにも不便である。そこで考え出されたのが「万葉仮名」である。万葉仮名は、万葉集に使われているところから名づけられたものだが、古事記などにも使われている。表意文字である漢字を表音文字として用いるもので、中国音をもとにした音仮名と、日本で訓読みとして定着した発音をもとにした訓仮名とに、大きく分けられる。それでは万葉仮名の例を二つばかり、有名な歌で紹介しておこう。
  『熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許芸乞菜』
  『茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流』
  いずれも額田王の歌であるが、訓を使ったり音を使ったりと忙しい。「船」「乗る」「月」「待つ」などは日本語の訓を当て、「世」「武」「登」などは漢字の音を使っている。
  ところがここで問題になるのは、日本語の音に当たる漢字は数多くあるということである。例えば「い」に当たる漢字には「伊、井、異、衣、以・・」など数えきれないほどある。これらをみな勝手に使っていたのでは収集がつかなくなる。万葉仮名の元になった漢字(字母)は、千文字にも達するという。いくらなんでもこれでは多すぎて不便で、次第に絞られてきて、二百~百数十の漢字に収まってきた。

  ところで、漢字の書体には「楷書」「行書」「草書」があることは周知のことである。楷書は一点一画を崩すことなく几帳面に書く。ところがそれでは速く書く時には不便であるから、自ずから点や画を続けて書くようになった。それが「行書」である。さらにそれを崩していったものが「草書」である。もっとも行書と草書は同時に発展してきたものと考えられるのだが。この万葉仮名の草書体から生み出していったのが平仮名である。例えば「安」が「あ」になり「以」が「い」になり「宇」が「う」になるという具合である。ただしこの類型に入らないものもある。

  仮名が発見されたのは「便利」ということだけではない。漢字は、男の専用文字で、平安時代には、女は漢字を書くことが禁じられていたと言ってもよい状況にあったので、女にとっては誠に差別的な情況であった。女も当然文字が必要であり、それは生存権の獲得でもある。
  実はこれは女ばかりでなく男にとっても困る問題であったのだ。男が女に手紙を出しても、相手が漢字を読めないのでは事が運ばない。相互に意思を通わせるためには、文字がどうしても必要だった。そこで編み出されたのが「平仮名」なのである。
  平仮名は、女が発明したと一般に言われているが、私は、男との共同作業であったと思っている。なぜなら男が一番困るわけであるから。それに和歌などは漢字ばかりでは無骨である。そこであの美しい流麗な文字ができてきたのである。
  他国の文字を利用して自国の文字を作り上げるというのは、まことに独創的、画期的、脅威的なことで、日本人の優秀性というか進取の気質がうかがわれて面白い。当初は女が主として使っていたので、これを「女手」と言うが、その便利さに男も使うようになってきた。土佐日記の冒頭の文章はまさにそのことを証明している。
  『をとこもすなる日記といふものを、をむなもしてみむとてするなり』
  この仮名文字の発明は、平安文学のレベルを一気に押し上げた。特に女の躍進が目覚ましかった。小野小町、道綱の母、紫式部、清少納言、和泉式部、赤染衛門、孝標の娘・・とむしろ男を圧している感がある。

  源氏のように女性関係に忙しい人は、仮名文字がどれほど役立ったことか。もし源氏の懸想文が、すべて漢字で書かれている、と想像すると可笑しい。
  源氏は、絵合わせの後、その絵を藤壺中宮に献上すると言っている。なぜか、須磨に流れた真の意味を知っているのは、二人だけだからである。あの密通が公になれば、二人の子である冷泉帝は天皇になれないばかりか、身の破滅になる。その秘密を共有する人に、源氏はとにもかくにも須磨の絵を見ていただきたかったのだ。そのためにも草の手と仮名(かんな)の文字に、彼はどれほど心を込めたことか。

  なお、『梅枝』の巻に
  『仮名のみなむ、今の世はいと際なくかしこくなりにたる』
とある。何の分野でも上代の業には及ばないが、仮名だけはこの上なく勝れたものになってきているというのだ。万葉仮名から発達してきた文字は、源氏物語の時代(醍醐天皇の頃 900年前後)には、ますます流麗になり芸術的な書体になって来たということだろう。

  ※ 参考資料 書芸文化新社「古典かな字鑑」


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