源氏物語

源氏物語たより491

 ←源氏物語たより490 →源氏物語たより492
    末摘花の叔母 執念の復讐心  源氏物語たより491

  末摘花の叔母は、姉(末摘花の母)が、宮様の北の方になったのに、自分は一介の受領の妻でしかないことをひどく僻(ひが)み、そのことに強いコンプレックスを持っていた。彼女の夫は、後に「太宰の大弐」になるのだから、受領と言っても「一介の受領」ではない。太宰の大弐と言えば、地方長官のなかでは最高のポストなのである。実は太宰府の長官は、「太宰の帥」と言って、これには親王が就くことになっているが、実際上は都にいて、帥自身が太宰府に下ることはなかった。したがって「大弐」は事実上の大宰府のトップということであり、九州全域の実権を握っていたので、下手な上達部よりはるかに実入りもあり、受領層羨望の官位であった。
  我々現代人には、これほど権勢のある夫を持ちながら、どうしてこの叔母が僻み根性を持つのか、理解しにくいところがあるのだが、彼女の家柄が相当良かったということであろう。おそらく大臣家か宮家生まれだったかもしれない。ということで姉との差を僻むようになってしまったのだろう。

  さて、よい家柄に生まれたものは、そうそう僻み嫉(そね)みの感情は外に出さないものなのだが、この叔母は、天性品性が卑しいのだろう、姉が日ごろから自分を蔑(さげす)み見くびっていると思い込み、恨みに思っていた。
  『おのれをばおとしめ給ひて、面ぶせに思したりしかば、姫君(末摘花)の御有様の心苦しけれど、えとぶらひ聞こえず』
  「面ぶせ」とは、「面汚し」ということで、「受領の妻ぐらいになって、我が家の面汚しだ」というのである。本当に末摘花の母がそう思っていたかどうかは疑わしい。おそらく叔母の僻み根性がそう感じさせていたのだろう。とにかく先の「おのれをばおとしめ給ひて・・」を
  『なま憎げなる言葉ども』
で言い続けるのである。「なま憎げ」とは、この場に見事にフィットした言葉で、口をひん曲げて憎々しげにほざいている叔母の姿が髣髴とする。
 
  この叔母の「なま憎げ」な心が、神に届いたのだろうか、末摘花の父も母も亡くなってしまう。後見をなくした宮家の遺児ほど哀れなものはない。末摘花は雪だるま式に困窮の生活に陥って行く。叔母は
  「あんなに私を見くびり侮っていたからね、今、末摘花はお気の毒な状態であるけれども、私はお見舞いにも行ってあげないのよ」
と誇らしげに言う。ところがそう言いつつ、彼女は末摘花を訪ねているのである。もちろん姪への親切心からでもなく、同情心からでもない。むらむらと彼女の復讐心が燃え上がって来た結果である。
  『いかでかかる世の末に、この君(末摘花)を、わが娘どもの使ひ人になしてしがな』
と謀をするのである。それには末摘花を娘たちの使ひ人(つかひびと 召使)にしてしまうに越したことはない。「がな」は、「実現への願望の意を表す終助詞 広辞苑」である。「相手の家運の衰えに付け入って、なんとしても・・」というのだから、凄まじいばかりの願望で、彼女の鼻息が聞こえてくる気がする。そして末摘花にこう言う。
  『時々ここ(叔母宅)にわたらせ給ひて。御琴の音もうけ給はらまほしがる人(娘)なむ侍る』
  ここで叔母が「琴の音」を持ち出したのが利いている。なぜかといえば末摘花には何の能力もないが、唯一「琴を弾く」ことだけは得意であったからである。『末摘花』の巻に、靫負の命婦が、末摘花を光源氏に紹介しようとした時に、この琴を持ち出して源氏の好色心を煽ろうとする場面があった。
  『(末摘花は)琴をぞ、なつかしき語らひ人と思へる』
  それを聞いた源氏は途端に乗り気になる。現に源氏がほのかに聞いてみると、彼女の琴は「けしうはあらず」だったのである。琴の名手・源氏が「悪くはない」と太鼓判を押すのだから、それなりの力はあったのだろう。とすれば琴は、末摘花の命そのものといっていいかもしれない。叔母は、その命をずばり狙ったのである。急所を刺せば、言うことを聞くであろうという魂胆である。
  ところが、末摘花は首を縦に振らない。彼女が、手足と頼りにしている乳母子の侍従が勧めても承知しないのである。別に叔母に逆らっているわけではない。彼女の引っ込み癖がそうさせるだけなのだが、叔母は、こんなに困窮しても未だに末摘花が矜持を保っていることに「ねたみ」を感じるのである。

  しかしこれで引き下がる叔母ではない。夫が太宰の大弐になったのを機に、末摘花も九州に同道させてしまおうと考える。彼女は
  「遠く離れてしまうと、あなたのことが心配でたまらないから」
などと甘言を並べて盛んに誘う。その様子を作者は『ことよがる』と言っている。「口先が上手に」ということであり「言葉巧みに」ということである。末摘花を心配する気持ちなど微塵もないというのに。おそらく九州くんだりまで連れて行けば、娘の琴の師どころではあるまい。「ひすまし」としてこき使ったかもしれない。
  だが、当然のことながら、末摘花は承知しない。ついに叔母は憤懣やるかたなく
  『あな、憎。ことごとしや。心一つに思し上がるとも、さる藪原に年経たまふ人(末摘花)を、大将殿(源氏)もやんごとなくしも思ひ聞こえ給はじ』
と皮肉の限りを尽くして言い放つ。確かに末摘花邸では、あまりの貧しさに耐えきれず、家人が次々に暇を取って去ってしまい、草を採る人さえいなくなって、蓬と浅茅に覆われている。しかしそれにしても「さる藪原」はないだろう。憤懣の塊のような言葉で、とても生まれが良い人のものとは思えない。

  九州への末摘花同道こそ諦めたが、それでも叔母は矛を収めない。最後に狙いを付けたのが、末摘花が唯一の手足と頼む侍従を連れて行ってしまうことである。
  乳母子はどんな状況になろうとも、主を見捨ててはいけない存在である。このことは以前にも述べたことで、乳母や乳母子は、主人に対して絶対でなければならなかった。それは惟光(源氏の乳母子)や夕顔の乳母や夕霧の乳母などで見てきたところである。この侍従とて、主の末摘花を捨てることは身の裂ける思いであったはずだ。ところが彼女には、叔母の甥が夫となっていた。おそらく叔母がそう仕掛けのだろう。主の貧困を救わねばという思いと夫への義理立てという板挟みに、深刻に悩んだはずである。しかし、ついに九州下りをするしかなかった。このことで、二人の間に涙なくしては語れない別れが演じられるのである。

  叔母の凄まじいばかりの復讐心がこれをもって成就した。何しろ末摘花が杖と頼む侍従を連れて行ってしまったのだから。後に残されたのは老女房だけである。彼女たちには、「着るものもない、食うものもない」と貧困を嘆くだけで、現状を変えようなどという甲斐性はない。
  塀は崩れ、屋根は落ち、簀子も朽ちて、蓬と浅茅に埋もれただだっ広いだけの邸で誰一人尋ねるものとてなく末摘花は
   『音泣きがちに、いとおぼし沈みたる』
様で日を送るしかなくなった。
  叔母は九州に立つに際して、末摘花の窮状に涙出さんばかりに嘆きながら去って行くのだが、
  『されど、行く道に心をやりて、いと心地よげなり』
なのである。「心をやる」とは、「満足する」ということである。今までも彼女の夫は諸国の受領を歴任してきたのであろうが、とにもかくにも「太宰の大弐」である。その栄達は計り知れず、得意満面である。それに念願の復讐も成し遂げた。彼女が「心をやらない」はずはない。とにかく叔母が勝ったのである。
  しかし・・

  この場面における紫式部の筆はまことに確かである。はじめは末摘花の態度が乳母にとっては「なま憎し」であった。「なま」とは「なんとなく、どことなく」であるが、それが次には「あな、憎」になった。そして、末摘花を「使ひ人」にしようとし、さらには唯一の頼り人・侍従も奪っていく。最後には宮家の没落を象徴する荒れ邸を「藪原」と言い切るまでにエスカレートさせていく。
  外堀を埋め、内堀を埋め、と末摘花をこれでもかこれでもかと窮地に追い込んでいく迫力は、恐ろしいまでである。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより490】へ
  • 【源氏物語たより492】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより490】へ
  • 【源氏物語たより492】へ