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源氏物語

源氏物語たより496

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     光源氏の才能は天賦のものか  源氏物語たより496

  光源氏のように、あらゆる分野に万遍なく類ない才能を発揮できる人物というのも珍しい。しかしそれを「物語だから・・」と片づけてしまっていいものだろうか。それでは味も素っ気もなくなってしまうのだが。
  現実にも源氏のような人物は存在するもので、私の教え子にそれに当てはまる生徒がいた。成績は学年でトップ、容貌は抜群、背は高く、運動をやれせれば何でもこなしてしまう、ピアノを弾かせればこれがまた絶品。それに何より特筆されることは人柄が申し分ないということである。彼の場合は、天賦のものかもしれない。
  源氏の得意を上げれば、枚挙にいとまがない。詩、琴、舞踏、歌、書、絵画・・いずれも人に抜きんでた能力で、容貌、弁舌などは今更言うを待たない。ただ一つだけ弱点があったようで、彼はこう言っている。
  『おほきおとど(元の頭中将)の、よろずのことに(私に)立ち並びて、勝ち負けの定めし給ひし中に、鞠なん、え及ばずなりにし』
「頭中将は、私と勝ち負けの争いをよくしていたものだが、何の分野でも互いに肩を並べ合ってきた。ただ蹴鞠だけは彼に歯が立たなかった」と言う意味で、源氏のこの言葉には謙遜が入っているのだが、事実は、頭中将は源氏の前では「深山木」でしかなく、何をしてもいつも後れを取っていた。ただ運動面だけは、源氏は頭中将には及ばなかったというのである。これはどうも本音のようである。彼が、弓を射たり馬競べをしたりする場面は物語に登場しない。逆に夕顔の死骸を看取った帰り、馬から滑り落ちている。

  さて、彼の才能の中でも「絵」は傑出していた。その絵の技量のために「絵合」の催しでは頭中将に圧勝してしまった。
  この催しの後、源氏は、弟であり「絵合」の判者でもあった帥宮(蛍兵部卿宮)と酒を酌み交わしながら、子供の頃の学問や趣味の習得についてしみじみと語り合っている。ここで、故父・桐壷院が、源氏に対して趣味・教養の習得をどのようにしてくれたかが述懐されている。それを要約してみよう。
  「私は、幼いころ漢学に力を注いでいましたが、桐壷帝は
 「漢学は世の中で大事にされる能力ではあるが、あまりにその才が付き過ぎると、かえって幸せな人生を送れなくなる、そういう例が過去にも多い。身分高く生まれた者は、あまり深く漢学を学ばなくともよい」
ということで、むしろ本才の方をよく指導してくださったものです。どの分野でも出来が悪いということもなかったけれども、取り立てて勝れていたということもまたありませんでした。ただ、絵に対してだけは私は興味・関心が強くて、何とかよい絵を書いてみようと思っていたものです。しかし絵には限界と言うものがありましてね、なかなか満足には描けないままできてしまいましたよ」
  ここにも彼の謙遜がたっぷり入っていて、事実とは異なっている。実は彼は、本才(趣味・教養)の面では、笛でも琴でも舞でも詩でも書でも、なんでもござれで、中でも絵は飛び切り優れていたのである。

  この述懐から、我々は彼の才能について改めて考えさせられるものが見えてくる。つまり彼の才能は、どうやら天賦のものではなかったということで、父・桐壷帝の特別な指導・助言があって初めて可能だったということである。
  源氏は、桐壷更衣の子で、この更衣は、桐壷帝が国を傾けてまで愛した女性である。しかし薄倖のうちに亡くなってしまった。残された源氏に対して、母更衣に勝る帝の愛が注がれた。東宮にさえと考えていたほどである。しかしそれはかえって源氏の不幸につながるものと危惧し、親王にもせず、臣籍に落としてしまった。
  それは愛する源氏には不憫な措置であった。そこで帝は、源氏に臣下としてよりよく世を渡ることができる才能を付けてやらねばならない、と考えたのだろう。そのために情熱を傾けて、あらゆる分野の能力を源氏に授けようとした。もともと才能豊かに生まれた源氏は、父の情熱にも押されて、その教えを忠実に、また砂が水を吸い取るように完璧に学び取って来たのだ。

  このことは次の蛍宮の述懐でも知ることができる。宮の話を要約すると
  「何の才でも、全身全霊を打ちこんでこそ、初めて本格的に習得できるものです。そしてまた良き師に学んでこそよりよく学び取ることができます。ただ絵と碁ばかりは、どうも天賦の才と言うものがあるようで、特に生まれの良い者の中には、絵と碁は他に抜きんでた才を発揮する者がいるようです」
ということになる。もちろん源氏の子供の頃を回想して語っているのだ。ここで分かることは、源氏が全身全霊を打ち込んで、諸芸を学んできたこと、そして帝は彼のために良き師を付けてくれたこと、その結果、生まれの良さも手伝って源氏が好きな絵の面では、他に抜きんでた才能を発揮できたこと、などである。
  蛍宮の話はまだ続く。
  『院の御前にて、親王たち、内親王、いづれかはさまざまとりどりの才、習はさせ給はざりけむ。その中にもとりたてたる御心に入れて(帝が)伝へ(たことを源氏が)受け取らせ給へるかひありて、「文才(漢学)をばさるものにて言わず、さらぬことの中には、琴を弾かせ給ふことなむ、一の才にて、次には、横笛、琵琶、筝の琴をなむ、次々に習ひ給へる」と上(帝)もおぼしの給はせき』
我々は、光源氏と言う主人公は、天賦の才の持ち主で、そのために「超人的な能力」を発揮できたのだ、まあそれも物語である以上、仕方ないことで、文句を言うべき筋ではない、と思っていなかったろうか。しかし、そうではないことをここではっきり知ることができたのである。
  親王や内親王は、いずれもみなさまざまなことを学ばせられる。いわゆる帝王学などもこの中に入るのだろう。しかし、それらを学び取れるかどうかは、その人の努力、集中力、意思にかかわってくる。また元々の能力もあろう。同じ塾に行っていても出来不出来の兄弟ができてしまうのも、このことに由来している。源氏は他の親王たちとは違った。
  「とりたてたる御心に入れて」
学んだからこそ、どれもみな一級のものになったのだ。そこには、帝の特別な熱い思いと源氏自身に学び取るだけの元々の才能があったことも事実であろう。しかし、少なくとも「天賦」と言い切ってしまうことはできない。光源氏も、一人の人間なのである。天皇の子と言うのは特別な生まれと言えるかもしれないが、それでも宇宙からやってきたかぐや姫とは違う。
  以前、能登を旅していた時に、たまたまその地で行われていた「全国植樹○○大会」というイベントに、皇太子が行啓されていて、車の窓から顔を出され手を振っていられた姿を、すぐ身近に拝見したことがある。何か神々しい顔をされていた。やはり下々のものとは違うなと思った。帝王学を完全にマスターしていられたのかもしれない。
  女三宮が源氏に降嫁した時に、源氏はその幼さ、心構えのなさにあきれるとともに、彼女の父である朱雀院の教育を疑う場面がある。
  『(院は)をかしき筋(風流ごと)になまめき、ゆえゆえしき方(趣味)は、人にまさり給へるを。などてかく(女三宮を)おいらかに生ほし立て給ひけん』
  朱雀院は風流・韻事には長けていられたのに、娘には何も教えなかったのだろうか、と疑い、「なんとまあ、おっとりとした姫君に育ってしまったことよ」と嘆くのである。

 源氏物語は、光源氏の物語であるから、彼が超人的な能力を発揮するのは当然のことなのだが、『絵合』の巻では、それは天賦のものではなく、彼もまた一人の生の人間であることが語られる。このことによって、現実性のある生身の源氏に対して新たなる興味を抱くことができるのである。


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