源氏物語

源氏物語たより497

 ←源氏物語たより496 →源氏物語たより498
    明石君の大堰川の邸はどの辺りか  源氏物語たより497

  光源氏が「上京すべき旨」を再三促したにもかかわらず、明石君はそれを渋り通してきた。そのわけは、この上なくやんごとなきご婦人でさえ、源氏の愛が衰えると、きっぱり別れてくれればとにかく、突き放しもせず、そのために辛い思いをしている方がいるという噂を耳にしているからである。まして自分は田舎育ちの身であり、源氏の愛情も定かでないのに、華やかな所に出て行けば、身分もあからさまになってしまい、若君(姫君)の面汚しになってしまうことだろう、また自分も源氏の冷淡な扱いに、人笑われな思いをし、きまりの悪い経験をする羽目になるだろうことを恐れたのだ。
  しかし、そうかといって姫君をこのまま田舎に置くわけにもいかない。
  彼女は、理性と感情の狭間で思い悩む。
  娘の煩悶を見て、明石入道が考えたのが、まずは「大堰川わたり」に出ていくということである。ここに、妻(明石君の母親)の祖父の荘園があったのを思い出したのだ。今ではすっかり荒れ果ててしまっていたのを宿守が細々管理していた。
  彼は、早速宿守を呼んで、荒れた邸を修理してもらうべくやり取りを始める。このやり取りが意外に緊迫したものになってしまって、入道もたじたじとなって滑稽である。ここには、源氏物語には珍しく、下賤の者が登場してきて、その者の欲深さが執拗に生々しく描かれていて面白い。しかし、今回のテーマとは特にかかわりはないので、ひとまず置くことにしよう。
  さて、この宿守とのやり取りの中に、入道が思い定めた「大堰川わたり」の位置を暗示させる言葉が出て来る。入道が「京の街中ではなく、静かな所に住みたいと思うのだ」と言うと、宿守は、
  『この春の頃より、内の大殿の造らせ給ふ御堂近くて、かのわたりなむ、いと気さわがしうなりにて侍る』
と言い出す。「だから、静かな所に住みたいということでしたら、その本意には添わないのではないでしょうか」と愚痴る。できれば自分の既得権を犯されたくないという魂胆から言っているのだ。
  「内の大殿」とは、源氏のことで、今は歴とした内大臣である。『絵合』の巻の最後に、彼は「自分は栄華の極みに至ってしまった。これ以上、何の望みがあろう、ついては出家でもしたいもの」と考え、
  『山里ののどかなるを占めて御堂造らせ給ひ』
とあった。それが、宿守の言っている「御堂」なのである。この御堂を造るために大勢の工事人が出入りしていて決して静かではないと、言っている。つまり「大堰川わたり」と言ってもそこは、この御堂に近いということが分かる。それではこの御堂がどの辺りかというと、次の所でこう紹介されている。
  『大覚寺の南にあたりて』
  大覚寺の南には、清凉寺がある。この寺が源氏が造らせている「御堂」のモデルではないかと言われているのである。なぜなら、この寺は、源融の別荘があったところだからである。源氏物語は、源融の後追いをしていて、この巻に登場する「桂の院」も源融の別荘のあったところ。さらに三年後に完成する六条院は源融の「河原院」に模している。ずっと下って宇治十帖に登場する宇治の山荘も、源融の別荘のあったところである。これは後に藤原道長が所領し、さらに息子の頼通が寺院にしたもので、例の平等院である。

  明石君が住むことになった邸は、清凉寺よりさらに南で、大堰川にずっと近い。源氏の命を受けた惟光が、その邸を偵察しに行き、帰ってきて源氏のこう報告している。
  『あたりをかしう、(明石の)海面にかよひたる』
  そこは、明石の海辺の風景に似ているというのである。つまりすぐ前が大堰川ということである。それが『薄雲』の巻では、さらに具体的にこう描かれている。
  『いと木繁き中より、かがり火どもの影の、遣水の蛍に見えまがふもをかし』
「かがり火」とは、もちろん大堰川で鵜飼をする舟が灯している漁火のことで、それが遣水に飛ぶ蛍の光のように見えるという。これは、源氏が明石君と語らっている時に、部屋の中から見た情景なので、まさに大堰川は目と鼻の先ということになる。
 
  ということは、現在の臨川寺か天竜寺のあたりということになろうか。野宮神社まで入ってしまうと、鵜飼の漁火は見えないのではあるまいか。当時の大堰川がどのような情況であったかは定かではないが、現在、渡月橋のあたりの堤に土産物店などが立ち並んでいるが、あのあたりと言ってもいいかもしれない。
  今でこそあの賑わいであるが、当時はこのあたりは、源氏の望みであった「山里ののどかなるところ」で、周囲は樹木に覆われていて人目も稀だったのではなかろうか。その中に貴族の別邸がポツリポツリと建っている。
  そういえば、源氏が、野宮で潔斎のために引きこもっていた六条御息所を訪ねて行った時の情景が参考になる。美しい文章なので改めて上げておこう。
  『はるけき(嵯峨の)野辺を分け入り給ふより、いとものあわれなり。秋の花みな衰えつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風すごく吹き合わせて』
  要するに、嵯峨野一帯が、松の林であり、浅茅の生い茂ったところで、「分け入る」ように行くしかなかった所なのだ。今でこそ野宮などは、縁結びのお札を求める人でごった返しているが、当時は、狐狸の跳梁する場所であった。そもそも右京(朱雀大路より西)そのものが、さびれていたという。まして嵯峨野の侘しさは、たとえようもなかったことだろう。

  こうして、入道が求めていた「静かなる所」は叶えられ、明石君が移ってくるのだが、彼女は、ここで松風を聞きながら侘しく源氏の君のお出でを待つ身となってしまったというのも皮肉である。一方の源氏は「山里ののどかなる御堂」を造立し、仏道精進を兼ねて、仏を祈りに行くことを口実に、女を訪ねることができたというのも可笑しい。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより496】へ
  • 【源氏物語たより498】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより496】へ
  • 【源氏物語たより498】へ