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源氏物語

源氏物語たより499

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    『絵合』の巻の意義  源氏物語たより499

  私たちの「源氏物語を読む会」で、『絵合』の巻を読んでいる時に、何人かの方から「今までで、この巻が一番いいと思います」
という声が上がったのには驚かされた。というのは、十七回も源氏物語を読んできて、一度もこの巻を「いい」と感じたことがなかったからである。文章が難解なことと変化の乏しいこととがあいまって、面白さを感じることなくこれまできてしまっていた。
  私は源氏物語を読む時に、毎回、二つの面からそれぞれの巻を評価してきた。一つは、文章の難易度での評価である。完璧に読み取れたか、不十分の理解であるかなどで、「完璧」「ほぼ完璧」「やや難解」「難解」「超難解」というように段階を設定していたが、『絵合』の巻はいつも「難解」の段階に入っていた。
  もう一つが「面白さ」での評価で、面白さは自ずから難易度と関連してくるのだが、「面白い」「普通」「あまり面白くない」の段階でも、『絵合』の巻は、『帚木(雨夜の品定めまで)』や『行幸』や『常夏』などの巻と並んで、いつも「普通」の評価でしかなかった。

  「読む会」の人がどうしてこの巻を「一番面白い」と評価したのか、その理由について聞くことはしなかったが、恐らく『明石』の巻までのような光源氏の華やかな女性遍歴がないことに、逆に新鮮さを感じたのではなかろうか。確かにこの巻には、藤壺宮や朧月夜との源氏のわりない恋愛沙汰や六条御息所への不誠実な愛などがない。源氏の恋愛問題は一切登場しないのである。
  『桐壷』の巻から『賢木』の巻までは、ドロドロした源氏の愛執事件が「これでもか」というほどにくどくどと描かれていて、それにいささか辟易していたのかもしれない。 そんなところに、趣を全く異にした『絵合』が、ぽっと登場して、あたかも曇天続きに晴れ間を見た思いがしたのではなかろうか。

  改めて詳細に読み込んで行ってみると、なるほど、「源氏の恋愛沙汰がないから」という理由以外に、この巻には目新しい問題や教えられる点が極めて多いことに気付いた。それらのいくつかを箇条的にあげていってみよう。

  まずこの巻には、「絵」が中心になって構成されているという特異さがあるということであろう。
  「絵合」という行事は、源氏物語以前には行われていなかったそうである。とすれば紫式部の独創ということになる。そもそも物語の中心素材に「絵」を取り込んでいくというのが新機軸と言え、その目新しさが評価されよう。
  ただ、この巻には問題がないとは言えない。その一つがやや無理な筋立てをしているところである。源氏が絵の達者であることは、『若紫』や『須磨』の巻で既に述べられているので問題はないのだが、冷泉帝が絵が好きであったというのも唐突であるし、元斎宮が絵を書くのがうまかったなどと言うのも、ご都合主義の感が否めない。また藤壺宮まで絵が得意であるというのでは、無理に役者を揃えたと言われても仕方がない。あるいは当時、絵を描くことは、琴や書や歌などと並んで必須の教養だったとでもいうのだろうか。
  もう一つ違和感を覚えるのが、この「絵合」は純粋に絵を評価するものではないということである。竹取物語と宇津保物語の対決では、絵はそっちのけにされてしまって、もっぱらそれぞれの主人公(かぐや姫と俊蔭)が、いかに朝廷に貢献したかという観点だけが評価の尺度になってしまっている。正三位物語と伊勢物語の対決も同じような傾向があるし、この時は、藤壺宮の最後の一言で勝負が決まってしまっている。
  「(伊勢物語の)業平の名をおろそかにしてはなるまい」
  冷泉帝の御前での「絵合」では、絵の本質に迫る所もあるが、これも延々勝負が展開されたのに比して、その結果があっけなさ過ぎる。源氏が描いた「須磨」の絵が提示されたところで、いとも簡単に勝負が決まってしまったのだ。夜に入るまで議論する必要はなかった。
  それでも、物語にはなじみそうもない「絵」と言う特殊な素材を駆使して、最後まで緊張感を孕みながら話を進めているのは、「さすがに紫式部!」と思わせる巻である。

 次に、源氏と朱雀院の、「絵合」を巡っての相互の思いの深刻さが、丁寧に描かれていて興味深い、という点に触れておこう。
  朱雀院は、前斎宮をこの上なく好ましい女性として、斎宮の任が解けたところで、院に入内することを懇望していた。ところが、源氏が、院の思いを阻止してしまって、強引に冷泉帝に入れてしまった。そのことに対して、院は院なりに源氏を快く思っていなかったし、源氏も、院を裏切ったことへの自責の念に悩む。
  『(院のことが)いとほしく、何にかくあながちなることを思ひ始めて、心苦しくおぼし悩ますらむ』
  「どうしてこんな無理なことを推し進めてしまって、院にお気の毒な思いをさせ、悩ませてしまったのだろうか」と反省する。前斎宮は、年齢的にも院に相応しいということが分かっていたにもかかわらず、自分の権力志向のために、帝への入内を推し進めてしまった。これに対する悔恨の情である。
  一方、朱雀帝の思いは、物語の上にはあまり描かれていないのだが前斎宮の冷泉帝入内の式に、わざとがましく立派な贈り物をしていることなどに、彼の無念を見てとることができる。「私がこれほど前斎宮を慕っていたにもかかわらず・・」と言う思いで、たぐいないほどの贈り物をしたのだ。それは源氏への面当てであったかもしれないし、おそらく内心では源氏の横車への怒りで煮えくり返っていたことだろう。

  源氏と権中納言(元の頭中将 以下頭中将)の確執も面白い。
  「絵合」の催しは、それぞれの娘が中宮になるかどうかの問題にからんでいたから、真剣な争いになることは必定である。源氏は、頭中将が、「絵合」のために、優れた絵を集めることに異常なほどになっていることを嘲笑するのだが、源氏・藤壺連合に対して、形勢不利な状況に置かれている頭中将とすれば、手段を選んでなどいられない。優秀な絵師を集め、秘密の部屋に鍵をかけて描かせるというのも当然の行動であって、源氏が笑えることではない。
  源氏の須磨の絵によって、「絵合」に負けてしまった時の頭中将の嘆きが哀れである。自分の娘(弘徽殿女御)への帝の寵が、このことによって前斎宮(梅壺女御)に移ってしまったかも知れないが、 
  『うえの(帝の弘徽殿女御に対する)御心ざしは、もとよりおぼししみにければ、なほこまやかにおぼししめしたる様を、人知れず見たてまつり知り給ひてぞ、頼もしく、「さりとも」とおぼされける』
  やや難しい文章だが、弘徽殿女御は、梅壺女御よりも早くに入内していたので、帝の情愛も深かった。それを頭中将はよく知っている。だから「絵合」の後も、帝の、娘への寵愛を頼もしいものに思っているので、「さりとも」と無理にも自分に思わせるのである。「さりとも」とは「いくらなんでも」ということで、「絵合」に負けたからと言って、いくらなんでも帝の寵愛が衰えるということはあるまい、という意味である。彼の切ない期待が「さりとも」という言葉に凝縮されている。

  次に、この巻には、物語に現実感を持たせようとする技法が駆使されていることに触れてみよう。
  その一つが、歴史上の人物を盛んに登場させていることである。絵の詞書の書は、紀貫之であるとか小野道風であるとか醍醐天皇であるとか、あるいは絵師は、巨勢相覧(こせのあふみ)であるとか常則であるとか(いずれも当時有名な絵師)と断わっている。これは物語に現実感を持たせるための手段で、実在した人物を上げることによって、 
  「源氏物語は決して単なる架空の物語ではありません」
ということを強調しているのである。このことで読者の興味・関心を煽ろうしている。ここには、源氏物語は、これまでの物語とは一線を画するものであるという作者の強い自負の表れている。

  最後に源氏の芸術観や教育観や人生観についてみてみよう。
  「絵合」の催しが終わった後、判者であった帥の宮(源氏の弟)と源氏は、しみじみ過去の諸芸への対し方などについて語り合う。
  その一つが、父・桐壷帝の教育方針の思い出である。 
  父帝は、源氏に対して「漢学はそれほど深く学ぶ必要はない」と言っていたという。これは意外なことで、当時、学問と言えばまずは漢学であったはずで、漢学の才のないものは軽んじられていたのではなかろうか。ところが、桐壷院は、天皇の子として生まれた者は、漢学の力を深めるより「本才」を大切にせよと言っていたというのである。「本才」とは、諸芸のことで、管弦や書や歌や絵画を指す。源氏に「お前はこれらをこそ優先して学ぶべし」と言ったというのである。
  考えてみれば、源氏は臣籍に降りたとはいえ、一代源氏である。漢学の才がそれほど深くなくとも、帝の子ということで立派に世を渡ることができる。したがって、管弦や書や歌で豊かな人間性を育めと言うのであろう。確かにこれらの才によって、後々、源氏は人々の脚光を浴びることになった。中でも絵に関しては自負するものがあったと言う。これがまた「絵合」で劇的に役立ったのである。
  帥の宮は、「源氏は子供の頃、桐壷帝に師事して学んだことはすべて見事にマスターした」と父帝から聞いていると話している。いずれの親王・内親王もみな桐壷帝の薫陶を受けたのであるが、源氏は群を向いてそれらを学び取ったと言う。源氏の才能が元々優れていたこともあろうが、帥の宮に言わせれば、源氏の諸芸の才は、決して天賦の才だけではなかったということである。
  『(桐壷院の)取り立てたる御心に入れて、伝え受け取らせ給へるかひありて』
だったと言う。帝は、源氏に対して特別な熱意をもって教えたのだが、それを源氏自身がまた特別な努力をもって受け取ったからこそ、何事も見事にこなすことができたのだと言うのである。
  我々読者は、ともすると源氏という男は超人的な人物であると捉え、「物語だからさ」と考えてしまいがちなのだが、実はその裏には、臣籍に下った源氏の必死な努力もあったのだ。またそこには、愛する源氏を臣籍に落としてしまった帝の贖罪の思いもあったのだ。この両者が相まって、後年の彼を造ったのだということが、帥の宮の言葉によって知ることができるのである。
  二つ目が、源氏のものの考え方である。彼は言う。
  『齢(よわひ)たらで、官・位、高く上り、世に抜けぬる人の、長く(命を)え保たぬわざなりけり。(私は)この世には身の程、おぼえ、(身に)過ぎにたり。・・今より後の栄えは、なほ命後ろめたし』
  「私は、若くして官位も世間の評判も、頂を極めるほどになってしまった。そういう人は「命長からず」と昔から言われている。今後も私がさらに栄光を極めるようになれば、命もおぼつかないことになる(そうなる前に出家しよう)」と言うのである。
  源氏という男は、官・位に関してもひたすら上昇志向で、天皇にさえなりたがっていたのではなかろうかと思わせるふしもあるし、また女性との華やかな交際にこの世を謳歌しているだけの人間かと思われるところもあるのだが、実は冷静に自分を捉えていたのである。

  『絵合』の巻は、源氏という人物に、華やかに躍動する人間としてではなく、裏面から光を当てていたのである。源氏物語は「男と女の物語だけではないのだ。着実な努力や教育、堅実な思想、あるいはさまざまな人々との交接の上に源氏という人物が創造されてきたのだということが、この巻から読み取ることができるのである。
  このような点を「読む会」の方が感じ取っていたのかもしれない。


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