源氏物語

源氏物語たより505

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     光源氏の自然観 ~『薄雲』~  源氏物語たより505

  光源氏は、前斎宮(梅壺女御)に向かってこんな話をする。
  『年の内、行き変はる時々の花・紅葉、空の気色に付けても、心のゆくことも、し侍りしがな。・・狭き垣根のうちなりとも、その折の心、見知るばかり、春の花の木をも植ゑわたし、秋の草をも掘り移して、いたづらなる野辺の虫をも住ませて、人にご覧ぜさせんと思ふるを』
  季節の移り変わりを知らせてくれる花や紅葉を満足するまで味わってみたいものだ、ついては、狭い垣根のうちでもいいから、春の花木を植え渡し秋の草を掘ってきて植え、さらに野の虫をそこに放してその音を鑑賞したいもの、そしてそれを心ある方々(梅壺女御や紫上)に見ていただきたい、というのである。
  ここでは源氏は、主に春と秋について述べている。そして補足的に、唐では「春の花の錦にしくものはなし」と言っていますし、日本の和歌では「秋のあはれ」を取り立てて好んで詠っているようですが、と言っている。彼自身は、春が良いとも秋が好きとも結論付けず、女御にどちらが好きかと尋ねている。

  この三年後、源氏は、六条の鴨川に近いところに、理想の邸宅を建造する。これによって「心ゆく」邸が実現したのである。それは「狭き垣根」どころではなかった。四町にもわたるものであった。一町は、120メートル四方である。後楽園球場の、本塁から両翼までが90メートル、中堅までが120メートルであるが、一町はこれより広いし、源氏の邸はその四倍である。いかに広壮なものであるかが分かるというものである。これを六条院という。
  この院を「春、夏、秋、冬」の四つの町に分け、それぞれの町を四季に相応しい庭にしつらえた。そして、梅壺女御に語ったように、各町に情趣をわきまえる女性たちを配した。春の町には紫上を、夏の町には花散里を、秋の町には梅壺女御を、冬の町には明石君を、という具合である。
  彼が、四季折々の情緒を具現する広壮な邸宅を造ったのは、内大臣(完成した時には太政大臣)としての威光を知らしめるという目的もあったろうし、現実的にも渉外的な必要性もあったろう。しかし、主たる目的は女性たちのためであったということが、梅壺女御への言葉(人にご覧じさせん)からもうかがうことができる。自然豊かな庭園を女性方に満喫してもらうとともに、自らは、隣に分別ある女性を侍らせて、心行くまでの人生を謳歌したかったということである。
  事実、源氏は、この六条院で、四季を楽しむ様々な催しを行い、四季に合った生活を謳歌している。その様子が、『初音』の巻から『野分』の巻などまでに細かに描かれているが、特に『胡蝶』の巻は、その代表である。池に竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の舟を浮かべて、秋の町から春の町まで漕ぎ出し、女房たちに自慢の庭を満喫させている。
  『色を増したる柳、枝を垂れたる。花もえも言はぬ匂ひを散らしたり。他(ほか)には盛り過ぎたる桜も今盛りにほほゑみ、廊を巡れる藤の色も細やかに開けゆきにけり。まして、池の水に影を映したる山吹、岸よりこぼれて、いみじき盛りなり』
  春爛漫、まるで極楽浄土の趣である。

  しかし、考えさせられるのは、これが本当の自然であろうかということである。あまりに人工的ではないか。舟に乗せられた女房たちは何の屈託もなくひたすら歓声を上げるだけなのだが、心ある女性はこの極楽浄土の自然をどう感じていたのだろうか。

  そこで、先ほどの梅壺女御との場面に戻ってみよう。
  実は、女御に「あなたは春と秋のどちらが好きですか」と問う前に、二人の間に気まずい雰囲気が流れていたのである。というのは、源氏は、女御のあまりの美しさに、例の好き心を勃然とさせ、なにやかやと恋心を云いがかっていたのだが、女御は嫌な思いがするばかりで、一刻も早く源氏から身を隠したいと思っていたのである。
  さすがの源氏も、女御の尻込みに、バツが悪く感じて、急きょ話題を変える。それが「春、秋問答」だったのである。純粋な春秋賛嘆の話ではなかった。中国でも日本でも「春秋論争」はしばしば戦わされてきたが、容易に結論が出るような生易しい問題ではない。まして若い女御が「春が好きです、秋が好きです」などと軽々と答えられる問題ではない。彼女は
  『いと聞こえにくきこと、と思せど、むげに絶えて御いらえ聞こえ給はざらんも、うたてあれば』
仕方なく、
  「古歌に詠われている通り、秋が好きです」
と答えてしまう。いつまでも黙っているわけにもいかないから答えただけである。丁度、女御の母・六条御息所が亡くなったのが秋だったので、それにかこつけたものでもあった。すると源氏は即座にこう歌を詠みかける。
  『君もさば あはれを交はせ 人知れずわが身にしむる秋の夕風』
  この場合の「あはれ」は愛情という意味である。
「 私も、身にしみて秋を好ましい季節だと思います。互いに秋が好きと言う仲ですから、どうか私に情愛をおかけください」
ということである。実に巧妙であり、狡猾である。一旦は色好みの気持ちを引っ込めたと思いきや、良きチャンス到来とばかり、狼が獲物に襲いかかるように食らい付いたのである。さすがに怖くなった女御は
  『やをらづつ(奥に)引き入り給ひぬる』
のである。
  全く困った男で、春も秋もない。『松風』の巻では
  「わたしの好色心などは、もうとっくに名残もなくなっている」
と豪語していたのに。

  つまり、光源氏にとっては、自然そのものは鑑賞する対象ではないということである。自然は、女性との関係をスムーズにするための一つの手段なのである。
  六条院の夏の町には花散里を住まわせたのは、『花散里』の巻で見てきたように、彼女がホトトギスや花橘にゆかりの女性だからである。そういう配慮のもとに彼女の心を和ませようとしたのである。
  ところが後にこの町に玉鬘を住まわせることになると、源氏の好き心は「跡形もなくなっている」どころか、若い女に燃え上がってしまう。そして、夏の夜、篝火のもとに妖しい官能の疼きを募らせ、また蛍の光で玉鬘への切ない思いを紛らわすのである。
  彼は、自然を純粋に享受しようとはしない。女心をつかむためのつまとして役立てようとしたのであった。春の町に紫上を、秋の町には梅壺女御(秋好中宮)を、冬の町には松を多く植え明石君を配したのも同じ線上にある。
  
  清少納言が、透徹した目で自然を観照し、自然の中に没入している姿勢とはあまりにかけ離れている。枕草子の一段(大系本225段)だけを上げておこう。五月の頃、山里を車で逍遥した時の感慨である。
  『五月ばかりなどに山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上(表面)はつれなくて草生ひ茂りたるを、ながながとただざまに(真っ直ぐ)行けば、(草の)下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むに、はしりあがりたる、いとをかし。
  左右にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形などにさし入るを、いそぎて捉えて折らんとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いと口をしけれ。
  蓬の車に押しひしがれたりけるが、輪の廻りたるに、近ううちかかりたるもをかし』


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