源氏物語

源氏物語たより511

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     秘めたる恋の終わり   源氏物語たより511

  藤壺宮は、三十七歳にして
  『ともし火などの消え入るやうにて果て給ひぬ』
ということで、誠に静かな死を迎えた。それはあたかも仏の死を暗示させるほどのものであった。彼女ほど、慎ましく、優しい心根の人はいない。中宮ともなれば、権勢に任せて人の苦しみなど顧慮しなくなるものだが、そのようなことは決してさせなかった。それでいて毅然とした高貴さ、この上ない品格を損なうこともなかった。それゆえ光源氏が終生慕い続けたのである。

  物も食べられないほど衰弱した宮を、源氏は見舞う。今までも「宮を恋い慕う気持ち」を何とか機会をとらえては打ち明けようとしてきたのだが、どうすることもできないまま今日にいたってしまった。立場の違いが二人の間に厳然と控えていたから、それも叶わぬことだったのだ。
  一方の宮も、子供の冷泉帝の後見として何くれと尽くしてくれた源氏に対して感謝の気持ちを伝えたいと思い続けてきたのだが、やはりその機会はやって来なかった。それが彼女にとっては誠に
  『あはれに口惜し』
く思えてならないのである。
  しかし、それだけだろうか。実は、宮は、源氏に対していつも冷淡な態度を貫いてきたのだが、決して嫌っていたわけではなのだ。むしろ彼女も源氏を愛する気持ちは深かったのである。冷泉帝に対する源氏の献身よりも、そんな自分の秘めた気持ちをどこかで告白したかったかもしれない。しかしだからと言ってどうすることができようか。

  几帳の向こうで、女房に、源氏への感謝の気持ちを述べている言葉が、源氏の耳にほのかに聞こえてくる。その言葉に対して源氏が
  「自分は、力の限り冷泉帝の後見のために尽くしてきたつもりですが・・、宮がこのように重く患っていらっしゃる様子を目にしますと、私自身もこの世に生きていることもできないかもしれないほどの気持ちでございます・・」
と言っている時に、宮は
  「ともし火の」
如く消えて行ってしまった。互いに秘めたものを抱えながら、それを伝えることもできずに、永の別れのために引き裂かれていく。

  源氏は日一日、涙にくれるのだが、そんな姿を見られては人が咎めるであろうと、念誦堂に籠って泣き暮らす。
 と、
  『夕日はなやかにさして、山際の木ずゑあらわなるに、雲の薄く渡れるが鈍色なる』
景色を彼は目にする。日ごろは何とも思わない夕日の当たった雲が、あたかも宮を思わすが如く「鈍色」に棚引いているではないか。「鈍色」は、宮の尼としての衣を思わせるものであるとともに、源氏が身に付けている喪服の色でもある。そして鈍色は何よりも哀しみを象徴する色である。さまざまな思いを呼び起こす薄雲を見ながら、彼は心の中でこう歌う。
  『入日さす嶺にたなびく薄雲は もの思ふ袖の色やまがへる』
  「あの鈍色の雲は、悲しみの涙で濡れた私のこの喪服の袖の色に見間違うほどである」という意味で、見たままの景色に自分の思いを託しただけの易しい歌であるが、そこには透徹した悲しみがにじんでいる。

  思えば、長い間の藤壺宮への思慕であった。源氏が、物心つき始めたころ、宮は入内された。母・桐壷更衣に生き写しという宮を、当初は母恋の気持ちで見ていたのだが、それがいつか激しい思慕へと変わって行った。
  そして、過ちがあったのが、源氏十八歳、宮二十三歳の四月である。閨で交わしたあの歌こそ、絶唱歌といえるものであった。あの時、源氏は、「再び逢うなどということは不可能なことでしょう。だったらこの夢のような逢瀬の中に消えてしまいたいものす」と歌った。その時に罪の子が冷泉帝である。もちろんこの秘事は誰に明かすこともできない二人の秘密中の秘密である。その秘密を抱いたまま一方の宮は消えて行ってしまった。
 
  後に、雪の大層降った夜、源氏は、紫上に宮のことをこう語っている。
  「藤壺宮は、私のことを信頼してくださって、何事も私を相談相手としてくださいました。宮は、特に才気ばしったところがおありではありませんでしたけれども、いかにもおおようで女らしく、それでいて奥深いお心をお持ちの方でした。あれほどご立派な人を私は知りません」
  源氏は慎重に言葉を選んで、宮のことを語ったつもりでいた。しかし聡い紫上は、源氏がいかに宮のことを深く思っていたか、その情愛のほどを感じとっていたはずである。
  その夜の源氏の夢に、宮が出てくる。その夢は、源氏が紫上に、自分(宮)のことについて話してしまったことを恨んだものであった。
  源氏は、本心では宮のことを誰かに話したくてしかたがないのかもしれない。そこで思わず危ういところまで紫上に漏らしてしまったのだ。この気持ちはよくわかる。なにしろ宮は源氏にとっては
  『などか、なのめなることだにうち交じり給はざりけん』
と思えるほどの理想的な女性であったのである。しかし真実はあくまで隠しおおせなければならないことであった。

  秘密を持ちながら、それを誰にも漏らすことができないまま、永遠に別れて行かなければならない男・女のもどかしさと嘆きが、『薄雲』と『朝顔』の巻に、淡々と綴られていて胸を打つ。



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