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源氏物語

源氏物語たより512

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    紫式部の創作姿勢 ~一つの事象を大切にする~ 源氏物語たより512

  紫式部は、物語の中に取り上げた一つの事象を縦糸にして、そこから離れずに筋を展開していくという創作姿勢をしばしば取っている。

  例えば、『明石』の巻では、終始「琴」を縦糸にして物語を貫き通している。
  明石入道は、娘(明石君)をなんとしても光源氏に娶せようという強い意志を持っていた。しかし、その気持ちを簡単に源氏に言いだすことはできない。焦燥感に苛まれながら、いつしか日も経ってしまった。
  ある月の美しい夜、源氏が京から携えてきた琴をかき鳴らしていると、その素晴らしい音色に魅かれた入道がやって来た。そして二人の琴談義が始まり、ついに
  「娘が琴の名手であるので、いつかその演奏を聴いてほしい」
と源氏に訴えるところまで漕ぎ着ける。
  ここから琴を仲立ちにして、一気に源氏と明石君の関係が進んでいく。但し両者にはそれぞれの思いがあって、容易に「逢う」までの運びには至らない。両者が意地を張りながら、いつか秋になってしまった。たまりかねた源氏が
  『この頃の波の音に、かのものの音(琴の音)を聞かばや。さらずばかひなくこそ』
と決心し、八月十三夜の月の美しい夜、彼女の家に行く。初めてのこととて、ぎくしゃくとしていた二人だが、彼女の部屋に置かれていた琴が几帳の紐に当たって鳴った。明石君はこの直前まで琴をまさぐっていたようである。そこで源氏はこう声をかける。
  「お父さんから聞いていたあなたの琴の腕前を聴かせて欲しい」
  こうして二人は初めての契りを結ぶ。
  出会いも契りも、まさに琴が仲介したのである。

  そして別れも琴であった。
  翌年の秋、源氏は許されて京に召喚される。ということは明石君と別れることである。別れに当たって二人は琴を弾奏する。明石君の琴は、どこまでも澄んで冴えきっている。入道が言うとおり、心憎きほどの力量である。源氏は、例の琴を
  『琴は、また(一緒に)かき合はすまでの形見に』
と言って、明石君に手渡す。そして最後に二人は次の歌を詠み交わす。
  君 『なほざりに頼めおくなる一言(琴)を つきせぬ音(ね)にやかけて忍ばむ』
  (いい加減な誓い言を、尽きせぬ音色に染ませて思い出しましょう 円地文子訳)
  源氏『逢ふまでの形見に契る中の緒の調べはこと(琴)に変らざらなん』
  (逢うまでの形見に残す琴の音色も、あなたの気持ちも、変わらないでほしい 同)
  このように、『明石』の巻は、終始琴で貫かれているのである。

  この創作姿勢は、ごく短い話の中にも使われている。
  源氏は、一別以来、三年ぶりに上京して来た明石君親子に逢いに行く。彼女が住むことになった大井の邸は、まだ十分には出来上がっておらず、そこここ手入れしなければならないところが残っていた。源氏は、家司や管理人に、その修理をするよう命じるとともに、自らも直衣を脱いで、遣水(寝殿造りの庭園などに水を導き入れて流れるようにしたもの 広辞苑)の修理に陣頭指揮をとる。
  すると、遣水の近くに閼伽棚があるのを目にし、閼伽からの連想で、明石君の母(尼)が近くの部屋にいることに気付く。慌てて直衣に着替えた源氏は、
  「明石姫君が立派に育ったのは、あなたの並々でないお力があったからです」
と労いの言葉をかける。一方、母尼は、
  「姫君の今後は、源氏さまがいられるので何の心配もありません。でも案じられるのは、姫君の母親(明石君)の身分が低いことでございます」
と卑下したような応答をする。
  これに対して源氏は、母尼の祖父のことに話題を持っていく。彼女の祖父は中務宮なのである。つまり「その昔はあなたの家柄も宮様ではありませんか」と彼女を立てて安心させたのである。
  そこで、源氏は、中務の親王が住んでいたころの昔話を、彼女に語らせようとする。
  すると、先ほどつくろったばかりの遣水の音が
  『かごとがましう聞こ』
えてくるのである。遣水の音が、いかにも「昔のことなら自分もお話したい」と訴えかけているように聞こえるというのである。「かごがまし」とは「なぜ自分に喋らせないのだ」と不満げに音を立てて流れていることを言っている。
  その音を耳にした母尼は、こう歌を詠む。
  『住み慣れし人はかへりてたどれども 清水ぞ宿のあるじ顔なる』
  「元の主(私 母尼)は、しばらくぶりにここに帰って来て、昔のことを思いだそうとしているのですが、何も思い出すものはありません。今では遣水こそが、いかにもここの主という顔をしております」
  源氏には、母尼のそういう卑下した態度が、「みやびやか」でとていいと感じられるのである。源氏は、
  『いさら井は早くのことも忘れじを 元のあるじや面がはりせる』
と返す。「確かに遣水は、昔のことは変わらずに忘れてはいないのかもしれませんね。それに比べてあなたは、尼にと、すっかり姿を変えてしまわれました。(その変化の大きさには胸が締め付けられる思いです)」
という意味である。
  わずか二ぺージほどの短い話ではあるが、終始「遣水」で貫かれている。

  この創作姿勢は、源氏物語のそこここに使われている。『花宴』は「月」であったし、『蓬生』が「古体」であったように。
それでは、このような文章作法は、読者にどのような印象を与えるのであろうか、考えてみよう。
  それは、一旦提示した事象をおろそかにしないということであるから、読者に安心感を与え、物語をスムースに読み進められるということにつながるものと考えられる。登場人物が突然いなくなったり、まったく関係ないものが突如登場したりする三文小説とは違うのである。
  それに物語の流れが滑らかになるということでもある。わき道にそれたり停滞したりしないので、一筋の道を快適に走る車に乗っている心地がする。
  今、NНKの朝ドラ「あさが来た」が好評である。あのドラマの良さは、一つの事象を無駄にしていないということである。あさの娘の千代が千羽鶴をいじっていると、それにかかわる話を後に登場させている。そのことによって最初の千羽鶴が生きて来る。こういう創作姿勢が、読者に安心感をを与え、心地よく見ていられる結果になっているのだ。

  ついでに、「遣水」の場面で、源氏の配慮がいかにきめ細かいものであるか、について触れておこう。彼は、母尼に会った途端に
  「姫君がなんの欠点もなく育ったのは、あなたの仏道に寄せる真摯な態度があったから」
と褒めあげている。そして、娘・明石君の身分を卑下すると、即座に中務宮に話しを持っていき、母尼の家柄の良さを認識させようとしている。
  とにかく源氏は、わりなくあるまじき恋を繰り返すのだが、その裏では、相手を慮る心を決して失わないのである。この優しい心配りがあるからこそ、源氏は誰にも愛され、千年に渡って読み継がれてきたのだ。

  (こういう追記こそ、読む者を混乱させてしまう余計な記述なのであって、まさに蛇足というものなのだが)


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