源氏物語

源氏物語たより513

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    『朝顔』の巻の意味   源氏物語たより513

  『朝顔』の巻は、さしたるドラマがあるわけでもなく面白みに欠ける巻で、源氏物語を原文で読みだしたころは、文章の難しさも相まって、敬遠気味に読んでいた。
  この巻の中心人物は勿論「朝顔」である。彼女は桐壷院の弟・桃園式部卿宮の娘で、光源氏には従妹にあたる。この女性は、『葵』や『賢木』の巻に、ほんのちらりと姿を現していたものの、別に物語上重要な役割を演じていたわけではない。だからどんな人柄であるかも分からないままであった。
  確かに源氏とは長い間関係していた女性のようである。『賢木』の巻には、彼女が斎院になったにもかかわらず、源氏は彼女への思いを引きずっていて、
  『御文などは絶えざるべし』
という関係にあった。したがって、源氏の彼女に対するご執心はそれなりにあったようである。しかしそれ以上の人物ではなかったし、そもそも彼女は源氏に対して常につれない態度をとり続けていて、源氏からの手紙に対しても、形式的な返事をするだけであった。
  源氏もそれほど真剣に相手にしようと言う女性ではなかったように思われて仕方がない。ただ源氏の癖である「負けて止みなんことを口惜し」と思う程度だったのではなかろうか。とにかく源氏の本気度が測れない女性であった。

  ところが、この巻で突如、彼女が主役として躍り出るのだ。どうもこのあたりの作者の意図が分からない。おそらく読者の誰もがそう感じるのではないだろうか。そんな読者の疑問に咎めを感じたのか、作者は、朝顔のことを
  「世間の評判もいいし、何しろあてなる人」
であると、唐突に弁解がましく付け加えている。

  桃園式部卿が亡くなったために、朝顔が斎院を下りると、源氏は待ち構えていたように彼女を訪問する。しかし、この時の逢瀬も、応対は女房を通してであるし、何かちぐはぐしていて味気ないものであった。源氏は、そんな待遇に愚痴を言うが、しかし情の籠らない言葉が返って来るばかりである。面目ない思いを抱きながら、源氏はすごすごと帰って来るしかなかった。
  翌朝、源氏は手紙を贈るが、それに付けた歌が信じられないものであった。
  『見しをりのつゆ忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん』
  「昔お目にかかった時のあの朝顔の花を忘れることができないのですが、今ではあの美しかった盛りは過ぎてしまったのでしょうか」という意味であるが、この歌の意味ほど理解しがたいものはない。確かに朝顔は、今は二十五歳は越えているであろうから、女の盛りはとうに過ぎていることに間違いはない。だからと言って「花の盛りは過ぎやしぬらん」などと相手の容色の衰えを言うだろうか。もちろん、源氏の本意は、「昔のままの美しさを保っていられることでしょうから、ぜひお会いしたいものです」ということかもしれないが。
  あるいは私の解釈が間違っているのかもしれない。しかしいずれにしても源氏物語中でも最も意味の取りにくい歌であることに間違いはない。少なくとも源氏の溢れるような愛情を感じ取れることはできない。
  朝顔からは、例によって儀礼的な返事は来る。それは
  「私の現在の身に相応しい歌をいただき、涙でぬれる思いでございます」
であった。当然のことである。
 
  要は、二人の間に真摯に深い情を交換しようという姿勢がないということである。かつて藤壺宮や夕顔や朧月夜と華麗にして激情的な恋を繰り広げた熱意が、ここでは少しも感じとれない。私が、源氏の本気度が疑われるというのはこういうところを言っているのだが、それを受ける朝顔もすっかり冷めてしまっている。
  こんなところが、この巻を面白く感じさせなくしているのだろう。

  にもかかわらず、朝顔を中心人物として一巻に仕立てた作者の意図はなんだったのだろうか。それは「たより451」にも述べたように、紫上の哀しみをクローズアップさせるがためではなかったろうか。事実、源氏と朝顔の関係で受けた紫上の哀しみは計り知れないものであった。
  紫上は、二人の関係がどうなっているのかの真相を知らない。ただ源氏の様子を見て推測するしかないのだ。朝顔を訪問する時のそわそわとした態度、ものも言わなくなる仕草、それらは紫上には、源氏がいかに朝顔を真剣に愛しているかとしか映らないのである。紫上は、
  『同じすぢにはものし給へど、おぼえ殊に、昔よりやむごとなく聞こえ給ふを、御心など移りなば、はしたなくもあべいかな』
と深刻に悩むしかない。朝顔も自分も、ともに宮様の娘ではあるが、彼女は、世の評判も高いし、高貴さにおいては遥かに違う。もし源氏の心が本当にあちらに移ってしまったとしたら、私はどれほど具合の悪い立場に立たされることだろうと、さまざまに思い乱れるのである。
  そうかといって、これほど真剣に熱を上げているようである源氏に向かって、何を言うことができようか。辛い感情を顔に出すことすらできないで、ただ堪えるしかない。彼女にできることと言えば源氏を
  「うとましく」
思うことだけである。

  受け身でしかいられない女の哀しさ、自己を主張できない女の弱さ、男のなすがままで、ひたすら哀しみに堪えているだけの女という存在を、「これでもか」と描いたものが『朝顔』の巻なのではなかろうかと思う。したがって、朝顔はこの巻の主役などではなく添え物にすぎず、主役はあくまでも紫上である。
  この『朝顔』の巻末で、彼女がポツリと漏らした歌が、切々と心に迫ってくる。それは源氏が過去にかかわった女性たちの話を、紫上に長々としている時であった。
  『氷とじ岩間の水は行き悩み 空すむ月の影ぞ流るる』
  「眼の前に見る遣水の水が、氷に閉ざされて行き悩んでいるような私、そんな私の心も知らぬげに、源氏さまは自在に女性の間を流れていられる」という恨みと嘆きの心を詠ったものである。この歌に、女というものの哀しみ、やるせなさが集約されている。
  
  そう、朝顔という人物は、紫上にこの歌を呟かせるための狂言回しを演じていたのだ。そう読んでみると、この巻の面白さが分かってくるだけでなく、源氏物語全体にかかわる主題を担った大事な巻であることにも気が付くのである。


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