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源氏物語

源氏物語たより517

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     ちぐはぐな贈答歌   源氏物語たより517

  光源氏が、藤壺宮と三度目の逢瀬を持ったのは失敗であった。
宮はひたすら源氏から逃れようとして、気が上がってしまい胸をひどく痛めてしまう。その様子を見てすぐ退散すればよかったのだが、その暇もなく、女房たちによって塗籠に押し込められてしまう。翌日、源氏は、塗籠の中で宮に近づく機会をじっと狙っていた。そして、再び宮の前に姿を現すのだから「あさましい限り」と言うしかない。一体彼の神経はどうなっているのだろうかと疑ってしまう。
  さすがに宮は、彼の言動を気味悪く思う。
 
  こんな状況下では歌を贈っても芳しいものができるはずはなく、案の定、源氏の歌は誠に愚痴っぽく、恨みつらみに充ちたものになってしまった。
  『逢ふことの難きを今日に限らずば いま幾世をか嘆きつゝ経ん』
  「あなたに逢うことが難しいのが、今日に限らないとするならば、あと幾世、私は嘆きを繰り返しながら過ごしていかなければならないというのだろうか」という意味であるが、端的に言えば、
  「あなたは、私を未来永劫嘆かせておこうというおつもりですか」
という主旨になる。自分勝手に押しかけてきて、まともに会ってくれないからといって、それをみな宮に責任転嫁している。なんとも厚かましい訴えである。これでは宮としてはやりきれない。

  二回目の二人の逢瀬がどんなものであったか思い出してみよう。
  あの夜も源氏は、宮のところに強引に押しかけたのだから、情況は今回と同じである。宮が望んで逢ったわけではないし、それどころか、「こんなことがあってはいけない」と理性では頑なに源氏を拒んでいたのだから、これも同じ情況である。
大きく違ったのは、逢瀬の結果である。あの夜は、ともに夢のような官能の一夜を過ごすことができた。源氏の歌はこうだった。
  『見てもまた逢ふ夜まれなる 夢のうちにやがてまぎるゝわが身ともがな』
  (今現にこうしてお逢いしているけれども、再びこのように逢うことが困難だとすれば、この夢のような一瞬のうちに消えてなくなってしまう自分であったらいいのに)
  私はこの歌を「愛の絶唱歌」と言った。おそらく二人は抱擁しながら歌を交換したのであろう。その快楽の最中に消えてしまうことができれば、どれほど幸せなことか。まさに「愛の絶唱」というに相応しい歌である。ここには相手を責めたり怨んだりの心情は片鱗もない。ただひたすら幸せであり、嬉しい感情にあふれている。純粋な心から迸(ほとばし)り出たものである。

  それでは三回目の逢瀬の歌にもう一度戻ってみよう。二句までは、二回目の歌とあまり変わらない。ところが下の句が押しつけがましくなっているのだ。
  「これからいつまで私を嘆かせておけば済むのですか」
という誠に身勝手なものになっていて、嫌味な印象すら漂っている。

  これでは、宮の返しの歌が贈答歌にはそぐわないものになってしまうのも仕方がない。
  『長き世のうらみを人に残しても かつは心をあだと知らなむ』
  (未来永劫、尽きない怨みを私のせいになさっていられるけれども、それもしょせんあなたの浮気心がそうさせたに過ぎないのではありませんか・・それをよく知って欲しいものですわ)
  贈答歌は、男が詠いかけた内容をうけて、その一部を取り込みながら、女がそれに否定的なニュアンスで返すのが常套である。もちろん男をじらしたり甘えたりの心情を表すために、あえて否定的な返しをするのだが。
  宮の返しの歌も、確かにこのルールにのっとっている。源氏の「いま幾世をか嘆きつゝ経ん」を「長き世の恨み」と受け、全体的にも、源氏の歌に対して否定的な内容になってはいる。
  しかし、決定的に違うのは、ここには相手をじらしたり甘えたりの情が感じられないということである。むしろ相手を突き放した冷たさばかりが出てしまっている。「そんなに私を責めないでください。そもそもあなたの浮気心が、あなた自身を嘆かせているだけでしょ」というのだから、そこには優しさも温かさもなく、完全な門前払いである。
  特に「あなたの浮気心のせい」というのは厳しい。源氏は確かに「色好み」の男ではあるし、数々の浮気を繰り返してきた。しかし、少なくとも藤壺宮に対しては、浮気心ではなかった。幼いころの思慕が次第に恋心に育っていったもので、義母を愛するのは悪徳ではあろうが、真剣なものであり純粋なものであったことに違いはない。宮もそんな純なる源氏を捨てきれずに、今までずっと来ていたのだ。にもかかわらず「浮気」と切り捨てられてしまった。源氏にとってはいかに辛い言葉になったことか計り知れない。
  二人の贈答歌には、もう純粋な恋の歓びや幸せはない。互いに相手を責めあう醜いものになってしまった。二人の恋には終止符が打たれなければならないようである。
  さすがに源氏は
  『いづこを面(おもて)にてか、また見えたてまつらん』
とすごすごと帰って行くしかなかった。面目丸つぶれだというのである。彼は意地になって、それからしばらく宮に会おうともしなくなる。

  それもこれも、源氏の行為が、あまりに非常識だったからだ。宮が胸を咳き上げ、気絶もしかねない状態にいる時に、「少し落ち着いたようだから」と勝手に判断して、塗籠から這い出して宮を追い回すのだから、光源氏ともあろう者の所業と思えないあさましさである。源氏の思いやりのなさ、判断力のなさが、こんな結果を生んでしまった。
  しかも、贈答歌がちぐはぐになるだけではなかった。また源氏が意地を張っている状況でもなくなってしまった。源氏のあさましい行為が、宮に重大な決意をさせてしまうのである。宮は、誰に相談するでもなく、法華八講の最終日に、突然出家の意思を僧侶に伝えてしまうのである。源氏が手を打つ暇もなかった。

  最後に二度目の逢瀬の時の、宮の歌を上げておこう。
  『世語りに人や伝へん たぐひなく憂き身を覚めぬ夢になしても』
  (醒めることのない夢にしても、この私の辛さは死後にも世の語り草になりはしないでしょうか  円地文子訳、新潮社『源氏物語』)
  この返しの歌には、宮の優しさがあった、甘えがあった。


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