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源氏物語

源氏物語たより518

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     物語と史実との混沌   源氏物語たより518

  「源氏物語を読む会」の時に、こんな意見が出されて考えさせられた。
  「先生はよく物語を現実の歴史と一緒に話されるので、物語なのか歴史なのか混乱してしまいます」
  言われてみれば、確かに説明の中に歴史の話を入れていることが多い。例えば、光源氏のモデルとなった人物として、源融や源高明を上げて説明したり、『松風』の巻では、源氏が嵯峨に御堂を建てたと言う話のところで
  「この御堂のモデルになっているのが、大覚寺の南に位置する清凉寺ではないかと言われています。ここには源融と彼の父・嵯峨天皇の碑がありまして・・」
などと補足したりしている。
  また源氏が六条院を建造したというところでは、源融の河原院を引き合いに出して、
  「この河原院は源融の邸で、今の東本願寺の東側、鴨川寄りにありました。現在の渉成園(枳殼邸 きこくてい)のあたりがそうではないかと言われています。この河原院を源氏物語では六条院に当てているのです」
などと話しているのだ。
  その方が、物語をより興味深く、また豊かに味わうことができるのではないかと思うからである。

  しかし考えてみれば、物語はあくまでも物語であって、虚構である。わざわざ歴史の事実に符合させて理解しなくてもいいわけだ。特に源氏物語のようにすぐれた作品は、歴史とは一切切り離しても、それだけで十分楽しめるし面白く読むことができる。おそらく当時の読者は、そんなことに拘泥せず、
  「源氏と六条御息所の関係はこれからどうなって行くのだろう」
とか
  「浮舟は、最後には薫と匂宮のどちらを選ぶのだろうか」
などと物語の展開に一喜一憂しながら読んでいたはずである。彼女(読者)らのだれが、
  「嵯峨の御堂って、源融の清凉寺(棲霞観)のことではないのかしら」
  「六条院ってひょっとすると・・」
などと考えながら読んでいただろうか。彼女たちは、そんなことは度外視して純粋に物語を楽しんでいたに違いない。
  現代の我々は、どうも学問づいてしまって、素直に源氏物語を楽しむという姿勢をなくしているのかもしれない。やはり原点に返って、この巻のどこがどのように面白いのかなどに焦点を当てて行かなければいけないだろう。

  と認識を新たにし、反省を促されにもかかわらず、次の時にはやはり物語と史実とを混在させながら説明しているのだから、困ったものである。
  それにしても源氏物語となるとどうしてこのように史実を持ち出してしまうのだろうか。
  その最大の原因は、紫式部自身に、源氏物語を「事実あったこと」として創作しようとする姿勢が強くあるということである。
  「私の作る物語は、現実離れしたものではありません。怪異の空想物語でも不可思議な夢物語でもないのです」
と言う意識が紫式部には強いのである。
  確かに、高麗の相人の占いがあったり宿曜の予言があったり、住吉の神のお告げや桐壷院の夢のお告げがあったりして、それが実現してしまうというような、現代では信じられない不思議が書かれてはいる。しかし、それらがなくとも物語は実に自然に流れているし、それらを抜きにしても十分物語を堪能できる。
  紫式部ほど、歴史上実在した人物を多数登場させ、古典籍を多く引用する作家はいない。彼女の「事実あったことを物語にしているのだ」と言う意識がそうさせているのだ。
  例えば、「桐壷」の巻から白楽天の「長恨歌」を抜きにしては理解できない。「長恨歌」を抜きにできない以上、唐の玄宗皇帝や楊貴妃を語らざるを得ない。
  またこの巻で展開される後宮における女御・更衣たちの激しい帝寵争いも、現実そのものなのである。中宮争いも春宮争いも現実のことなのである。それゆえに、ここに描かれている例は、歴史上のどの時代のどのことを言っているのだろうか、という関心に自然に突き当たってしまうのだ。
  そもそも源氏物語の巻頭からして、「あ、これは単なる空想の物語ではないのだな」と思わせるような描写をしているのだ。その書き出しは
  『いづれの御時にか。女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に・・』
で、「いづれの御時にか」と書かれると、誰もが
  「え、それは一体ども帝のことを指しているのだろか」
と、この「御時」に当たる帝を詮索したい気持ちにさせられ、
  「女御、更衣があまたいられた帝と言えば・・○○天皇か、あるいは△△天皇か」
と考えだしてしまう。それが紫式部の狙いなのである。先に「読者は史実には拘泥せず」と言ったが、実は紫式部自身が必死で読者を史実に引き込もうとしているのだから厄介である。

 源氏の須磨流謫の事件は、源氏物語が書かれた一条期に現実にあった事件と瓜二つである。藤原道長によって左遷された藤原伊周(これちか)がその人である。彼は当初は道長よりも出世頭であった。ところが彼の父・道隆が亡くなった途端に、立場は逆転してしまい、道長によって大宰府に流されてしまう。
  同じように光源氏は、右大臣や弘徽殿大后にとっては、朱雀帝(右大臣の孫)を脅かす存在である。そのために彼らは、源氏を配流にすべき機会を右顧左眄していた。結局右大臣らの圧迫にあって、彼は自主的に京を退去していくが、それは配流に変わりはない。
  伊周は、流される途中、須磨から京に逃げ帰ったという。源氏も,須磨での蟄居生活が一年ほどたった時に、
  『都に帰らむことも、まだ世に許されもなくては、人笑はれなること』
と内心では都に逃げ帰りたいと思っている。でもそれでは世間体が悪いと思い直したのだ。まるで伊周の写しのようなものである。
さらにこの伊周の左遷事件は、彼の妹である中宮定子に不幸をもたらしていく。道長は、娘・彰子を強引に中宮の位に就けてしまう。その結果、中宮定子は皇后にさせられ、ここに二后並立という歴史上類を見ない変則的な制度が実現した。結局定子は、一条天皇に愛されながらも、若くして不運のうちに死んでいく。
  藤壺中宮も、右大臣側によっていつ位を剥奪されるかわからない不安な状態に置かれていた。もしそうなれば、即自分の子である春宮(後の冷泉帝)の危機に繋がっていく。これは、無理に皇后にさせられ悲劇のうちに死んでいった定子と重なる。
  また、源氏の養女・元斎宮と権中納言(元の頭中将)の娘の中宮争いでは、冷泉帝は、年の近い権中納言の娘を気に入っていたのであるが、源氏の横車によって、元斎宮が中宮になり、帝は心ならずも元斎宮の所に多く通はなければならなくなる。定子と彰子の例を目の当たりに見るようである。
 
  源氏物語を解説している時に、自然に史実を語る時間が多くなってしまうのも、以上このような理由からである。
  ただ、史実を探ることが源氏物語を読む主たる目的になってしまうと、この物語が持つ「面白さ」がおろそかにされてしまう。それは本末転倒というもので、心しなくてはいけないことに間違いはない。


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