スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより519 →源氏物語たより521
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより519】へ
  • 【源氏物語たより521】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより520

 ←源氏物語たより519 →源氏物語たより521
    在原行平 二度三度の登場   源氏物語たより520

  『わくらばに問ふ人あらば、須磨の浦に藻塩垂れつゝわぶと答へよ』

  この歌は、在原行平の歌であるが、なんとこの歌が源氏物語に二度も登場するのである。一度目は『須磨』の巻、二度目が『蓬生』の巻である。
  歌の意は、
  「たまたま、私がどうしているか尋ねるような人があったら、須磨の浦で藻塩を垂れながら失意のうちに生活していると答えてくれ」
というもので、比較的素直で分かりやすい。「藻塩垂れ」とは、海草を集めてそれに海水を注ぎ塩分を多く含ませ、それを焼いて塩を作る時に、水がしたたり落ちる様を、「涙が流れる」様に見立てたものである。したがって、下の句を言いかえると、「涙を流しながら侘しい暮らしをしていると答えておいてください」という意味になる。
  在原行平は、阿保親王(平城天皇の皇子)の第二子で、在原業平の兄にあたる。この歌は古今集に載っていて、その詞書に
「事にあたりて津の国の須磨といふ処にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人に遣はしける」
とある。「事」の内容は分からないが、何かの事件に関わって須磨に流れて来たということらしい。但し史実にはこの事件のことは載っていないというから、自ら罪を自覚して流れてきたのかもしれない。その点では光源氏と同じ経緯をたどっている。

  源氏は、須磨に着くや、すぐこの歌を引いている。
  『おはすべきところは、行平の中納言の「藻潮垂れつゝわび」ける家居、近きわたりなりけり。海面(うみづら)はやや入りて、あはれにすごげなる山なかなり』
と。須磨について真っ先に頭に浮かんだのが、行平のわび住まいだったのだ。自分もこれから何年に渡るか分からないが、失意のうちに涙を流しながらこの須磨で暮らしていかなければならないのか、と思うと、海からはやや離れているこの山中の住まいが、身に沁みるし、気味悪くも思えてくる、という心境を述べたものである。
 
  この須磨で、源氏は行平の歌をもう一つ引いている。
  それは須磨での生活が数か月続いた秋のことで、「名文」と称される箇所である。
  『須磨には、いとど心尽くしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の「関吹き越ゆる」と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近う聞こえて、またなくあはれなるものは、かゝる所の秋なりけり』 
  ここに引かれている「関吹き越ゆる」歌とは
  『旅人は袂(たもと)涼しくなりにけり 関吹き越ゆる須磨の浦風』
である。非常に率直、簡明な歌で、傑作と言っていいであろう。特に「袂涼しくなりにけり」という表現が、わび住まいをする者の孤独な心境が、読む者の心に率直にすとんと入り込んでくる表現になっていて好ましい。詞書に
  「津の国の須磨といふ所に侍りける時に詠める」
とあるから、当然先の歌と同じ情況下で詠われたものであろう。
  そういえば、彼の弟・業平も京を離れて東下りをしている。それは女のことで京に居づらくなったからである。源氏物語では、業平ゆかりの「伊勢物語」がしばしば引用されている。あるいは行平も、女に関わる「事」で須磨下りをしたのかもしれない。もしそうだとすれば、行平、業平、源氏が、そろって「女」に関わって都落ちしたことになる。「旅人」としての孤独、苦悩、不如意は三者共通である。

  さて、頭書の「わくらばに」の歌が、とんでもないところに再び顔を出すのである。それは『蓬生』の巻の書き出しである。
  『藻塩垂れつゝわび給ひし頃ほひ、都にもさまざま思し嘆く人多かりし』
  源氏が須磨・明石で藻塩を垂れていたころ、都でも、源氏を偲んで藻塩を垂れていた人が大勢いた、という意味になろう。もちろんこの「人」は女たちである。紫上もその一人だし、花散里もそうだ。ただ、紫上は生活上の心配は全くない。源氏のいない淋しさに「藻塩垂れる」だけすむ。 
  ところが、源氏がいなくては立ち行かない人がいた。末摘花である。もともと困窮のどん底にいた彼女は、源氏の思いもしない訪問で日の目を見るようになった。しかし、その肝心の源氏が須磨に去ってしまったのである。生活上の不如意はいかんともしがたく、その日を過ごすのにも事欠く有様に陥っていた。
  したがって、彼女が「藻塩を垂れる」のは至極当然のことである。
  ただ『蓬生』の巻頭に、なぜわざわざ「藻塩垂れつゝ」などという言葉を入れたのであろうか。源氏の須磨での情況を言っているだけではないのではあるまいか。頭書の歌の一、二句にヒントがありそうである。
  「わくらばに問ふ人あらば」
の「わくらば」は「たまたま」ということである。行平も源氏も、彼らを訪ねる人は「たまたま」ではあるが、いたにはいたはずである(たとえば、源氏の所には頭中将が来ている)。
  ところが、末摘花のところを訪れる人など皆無なのである。手紙のやり取りさえなく世間と断絶しているのだ。荒くれの盗人さえ
  『(こんな邸は)不用なものに踏み過ぎて、寄り来ざりければ』
という惨状であった。そこに源氏がまったく「わくらばに」訪ねていくことが、この巻の中心になっているのである。『蓬生』の巻頭に行平の歌を配したのは、これからの源氏と末摘花のあり方を暗示していたといえる。
  いつものことながら、紫式部のさりげなくそつのない文章作法を見る思いがする。

  いずれにしても、行平の同じ歌を二度も引用したのは、源氏がいかに彼の境遇に共感したかを表すものであることに違いはない。

  余談になるかもしれないが、百人一首に行平の次の句が採られている。
  『立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰り来む』
  行平が、因幡の守として任地に赴任する時に、見送りに来てくれた人(あるいは女か)に贈った歌である。掛詞が駆使されているので意味が取りにくい。「いなば」は「行く」と「因幡」、「まつ」は「松」と「待つ」を掛けている。「いま」は「すぐに」という意味で、全体は、
  「これから京を離れて、遠い因幡の国に行きますが、あなたが「待っている」というのでしたら、すぐに帰って来ましょう」
ということになる。
  ところがどうも歌の内容が不自然な気がしてならないのだ。なぜなら、朝廷から命じられた国司として因幡に赴くのだというのに、「すぐに帰ってきましょう」は誠に不穏当であると言えまいか。「朝廷の意に背く気か!」ということになりかねない。あるいはやむにやまれぬ女への未練かもしれないが。
  これほど不穏な言葉が出てしまうほど、平安人にとっては、京を離れるのが辛かったということだろう。彼らにとっては、京だけが住むべきところであり、京を一歩出たら、鬼の住むところであった。特に、親王の子という貴族中の貴族である行平にとっては、遠く陰鬱な因幡の国に下ることは、暗澹たる思いに駆られる以外の何物でもなかったのだ。

  役職として地方に下るのでさえ「すぐに帰りたい」という思いに駆られる。まして源氏や行平は、「罪人」として下ったのである。いつ京に帰れるかもしれない。いかに絶望的な思いに駆られていたか、その心情は理解するに難くない。まして秋が来れば、須磨の関から吹き下ろす風は「袂」をそぞろ寒く感じさせないではおかない。「誰か尋ねてくれないか」という思いは、心の底から迸り出る真情であって、切実である。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより519】へ
  • 【源氏物語たより521】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより519】へ
  • 【源氏物語たより521】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。