源氏物語

源氏物語たより523

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     冷泉帝の困惑   源氏物語たより523

  前斎宮(以下梅壺女御)が入内することになって、以前からのいる弘徽殿女御との関係をどう保つか、冷泉帝にとっては煩わしい問題となった。そもそも梅壺女御は、九歳も年上なのだから、
  『大人は、恥づかしうやあらむ』
と帝が心配されるのも無理のないことである。夜更けて帝の前に現れた梅壺女御は、小柄で華奢な方であったので、「可愛い」とは思うものの、おっとりとして慎み深く落ち着いた雰囲気は、十三歳の帝にとってはやはり気の置ける女性にしかすぎなかった。
  それに比べて、弘徽殿女御は、歳も帝と同じくらいで、しかも先に入内していたこともあって、すっかり馴れ親しみ、愛しく心安い方と思っていた。したがって、うち解けた「童遊び」などをする昼の間は、もっぱら弘徽殿の所にばかり渡って行かれる。
  ただ、帝にとって面倒なのは、後見をしている光源氏の存在である。彼の梅壺女御に対する態度は、慇懃にかしこまって丁重だから、帝としても彼女を軽く扱うこともできない。そこで自ずから
  『御とのゐなどは等しくし給』
わざるを得なくなった。「御とのゐ」とは、帝と寝所を共にすることで、それを弘徽殿女御と梅壺女御と同等にしたというのである。
 この帝は、歳よりも大人びていられるということだが、それでも今で言えば十二歳、中学校の一年生にすぎない。夜、二十一歳の梅壺女御と何の話をしていたのだろう。まさか「童遊び」の話もできまい。何の話題もなく、随分辛い思いをして夜を明かしていたのではなかろうか。あるいは「早く夜が明けてくれないものか」と念じながら、御帳台の中でまんじりともしないでいたのかもしれない。

  しかし、このような事態は当時の宮中においては、ごく当たり前のことだったのではなかろうか。帝と言えども、愛情の多寡だけで中宮や女御・更衣の扱いに軽重を付けるわけにはいかない。彼女らは、一門の浮沈を背負って入内しているのだから、帝の扱いが粗略になれば、皇子誕生は望み薄になり一門に関わる大事に至ってしまう。
  そこで、帝は彼女たちの親(特に大臣)の顔色をうかがいながら、今夜は梅壺へ、今夜は弘徽殿へという具合に按配しながら通っていかなければならなかった(あるいは上の御局に呼ばなければならなかった)。どんな御面相でもどんな性格でも、また愛情があろうがなかろうが、一晩は我慢しなければならなかったのだ。
  実は、源氏物語の冒頭の「桐壷」の巻は、このことをテーマとしているのである。桐壷帝は、このようなルールを無視し、右大臣の意向に反して、桐壷更衣との純愛の道を突き進んでしまった。その結果この更衣は悲劇の死を遂げざるを得なくなったのである。

  このことで歴史上思い出されるのが、一条天皇と中宮・定子のことである。『枕草子』は、清少納言が、この定子の人柄をしのんで描いたものである。『枕草子』に登場する定子は、ひたすら明るいが、現実は全く逆であった。彼女の父・藤原道隆は、一条天皇の摂政関白となり、洋々たる将来を担っていたのだが、志半ばにして亡くなってしまう。その後は、彼女にとって受難続きとなった。兄二人は流罪となり、定子自身も出家する立場を余儀なくされる。もちろん一条天皇の定子に寄せる愛情は深いものがあり、還俗して再び帝の寵愛を受けるようにはなるのだが。
  そんな状況下、絶大な権勢を手に入れていた藤原道長は、十二歳の娘・彰子を入内させる。そればかりか、その翌年にはこれを中宮の位に就けてしまう。押し出されるように定子は皇后に就くことになった。ここに歴史上例を見ない二后冊立という事態が出来することになったのである。定子に対する嫌がらせであることに間違いはない。もっともこのころ、定子の権勢などは、道長にとってはなきに等しものであったのだが。
  こうなると、定子にとっては帝の愛情だけが、生きる一縷の望みである。
  定子は、『枕草子』でも分かる通り、聡明で教養豊かでセンスある方であった。帝の愛情が厚いことも頷けるというものである。もちろん彰子も最高の教育を受けて入内したはずだから、帝の愛情の対象者としては申し分ない女性ではあったろうが、いかんせん十二歳では、二十歳の帝の相手としては物足りない。おそらく一条帝も、定子と彰子の間を、道長の顔色を伺いながら、
  「御とのゐなどは等しくし」
ていたのだろう。ちなみに彰子が、皇子(敦成親王 後の後一条天皇)を生んだのは、入内してから九年も後のことである。この時の道長の歓びがいかに大きなものであったかは、『紫式部日記』に詳しい。
  一方の定子は、第三子(媄子内親王)を生んだ時に亡くなる。時に二十五歳。道長に終始圧迫され続けた悲しくも悔しい生涯であったのではなかろうか。『枕草子』では、そんな定子の面影は一切伺うことができない。

  源氏物語に戻るが、冷泉帝の寵愛が、弘徽殿女御に傾いてしまって、そちらにばかりわたられるようでは、権勢家・源氏にとっては忌々しいことで、黙視することはできない。そこで彼が目に付けたのは、帝が絵を好まれるということであった。たまたま梅壺女御も絵を描くことを得手にしているので、この絵を介して二人を接近させようという目論見であった。そして、これが『絵合』という歴史上例を見ない優雅にして醜い争いに発展していくのである。もちろん源氏が、権中納言に圧勝する。こうして梅壺女御は、源氏の圧倒的な庇護のもと、中宮の位を手にする。
  冷泉帝が、絵で意気投合したと言っても、九歳も年上の梅壺女御に愛情を感じていたかどうかは分からない。ただ、自分の実の親であることを知らない帝にとっては、源氏は、弘徽殿女御との仲を裂くだけの煩わしい存在に過ぎなかったのではあるまいか。
  梅壺中宮は、結局帝の種を宿すことはなかった。いかに権勢抜群の源氏でもそこまでは手を回すことはできなかったようだ。もっとも弘徽殿女御にも皇子誕生はなく、それが後の源氏一族に繁栄をもたらすことになるのだから皮肉である。


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