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源氏物語

源氏物語たより525

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     弘徽殿大后の屈辱   源氏物語たより525

  朱雀院への行幸の帰り、冷泉帝は弘徽殿大后(以下大后)を見舞うことにした。それは、朱雀院に寄っただけで大后の邸を素通りしてしまっては、情けに欠けると思ったからである。帝の後見である光源氏も同道することになった。
  源氏には、一目見で大后が「ひどく年老いているものよ」と感じられた。そして、内心こう思う。
  『かく長くおはするたぐひも、おはしけるものを』
  「こんなに長々と生きている人もいるのに」ということで、それに比べて、藤壺宮は三十七歳の若さで亡くなってしまった。良き人が若死にし、こんな人が長生きするとはと、源氏はそのことを大層残念に思うのである。
  ここには、はなから真摯に大后を見舞おうなどという気持ちはない。彼は一体何しに来たのだろうかと怪訝に思ってしまうほどの不遜さである。

  それでも大后は二人の見舞いを
  『待ち喜びきこえ給ひて対面』
する。彼女の本心は分からないが、もとより「待ち喜んで対面する」はずはなく、おそらく儀礼的なものであろう。何しろあれほど憎み恨みしていた源氏と、藤壺の子(冷泉帝)なのだから。
  特に源氏に対しては、彼が幼いころから、常に忌み嫌っていた。源氏の母(桐壷更衣)には桐壷帝の寵愛を独り占めされ、その子の源氏には、我が子(朱雀院)が脅かされ続けた。そのようなことで、源氏のすること為すこと、大后にとっては虫唾(むしず)の走るものであり、蛇蝎(だかつ)のようにしか見えなかった。
  それでも彼女はこう挨拶をする。
  「こんなに年を取ってしまって、何もかも忘れてしまったのですが、お二人にお会いできて、昔のことが懐かしく思い出されました」
  ただ、彼女が思い出す昔のことと言えば、苦々しいことばかりではなかったのだろうか。桐壷更衣の後に入内した藤壺宮には、またまた桐壷帝の寵愛を独占され、中宮の位も棒に振ってしまった。妹の朧月夜は、源氏に心底靡いてしまって、朱雀帝をないがしろにするという有様で、源氏に悉く煮え湯を飲まされてきた。源氏の見舞いが快かろうはずはない。

  冷泉帝は、父・院に関するありきたりの挨拶をするのだが、源氏の方は
  『さるべき様に聞こえて』
とあるだけで、どういう挨拶をしたのか具体的には書かれていない。「さるべき様」とは、「当然そうある」ということで、ありきたりのということだ。悪く言えば「適当な」挨拶をしたのだろう。それは彼の次の言葉で想像がつく。
  『殊更にさぶらひてなん』
  「いずれまたあらためてお伺いしましょう」ということだが、彼が改めて大后を訪ねることなど金輪際ありえない。むしろその場を早く立ち去りたいという気持ちがありありと伺われる言葉である。
  表面的には笑顔で対面したのだろうが、互いの心の底にはとげとげしいもの漂っていた。源氏は帰京後、須磨流離の話をことあるごとに引き出している。それも偏に大后による策謀と思っているのだから、彼の恨めしさは生涯解けることとてなかったのだ。

  一方、大后は、ゆっくりともしないでそわそわと帰っていく源氏の威勢を見ながら心を騒がせ、
  『(源氏は自分のことを)いかに思し出づらん。世を保ち給ふべき御宿世は、消たれぬものにこそ』
と述懐し、昔のことを後悔するのである。「政権を統治する者の宿命というものは、やはり簡単に圧倒することなどできないものなのだなあ」という意味なのだが、この「消たれぬ」は単に「圧倒することができない」ということではあるまい。むしろ相手を「抹消することができない」と言う意が含まれている。
  そういえば『澪標』の巻に、帰京した源氏に我も我もと靡き追従する人々の様を見た大后がこう言って臍をかんでいる場面があった。
  『つひにこの人を、え消たずなりぬること』
  ここにも「消つ」が使われていた。ここでの「消つ」もまた「圧倒する」というよりも、本来の意味である「形のあるものを失わせ、存在させなくする」と取った方が適切である。大后にとっては、源氏という人間は骨の髄まで憎々しい宿敵であり、この世に存在してはならないのである。
  しかし相手にするにはあまりに大きすぎる存在であった。須磨に流れて行った時が、源氏を「消つ」絶好の機会であった。それができなかったがゆえに今日の屈辱がある。また年を取りすぎたのが、彼女にとっては無念な結果になってしまった。

  源氏が、みな人にかしずかれながら、大后の所から去って行く姿を見ながら「いにしへを悔ひ思す」とあったが、もちろん本心から後悔したのではない。それはその後の彼女の行為から分かることである。帝から下賜される位や年俸などに対して不満があると
  『命長くて、かかる世の末を見ること、と(昔を)とりかへさまほしうよろづを思しむつかりける』
  「むつかる」とは、「怒る」「不平を言う」意味で、年老いた弘徽殿大后の面目躍如の言葉である。やはり若い時からの
 「おしたち(ごり押しをする)、かどかどしく(我を張り意地っ張り)、さがなさ(根性の悪さ)」
という性格はそう安々と変わるものではなかった。


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~ Comment ~

 

孫である女三宮が源氏に与えた打撃とその顛末を見たら、大后は一体どう感じたか気になってしまいます。
『ざまあみろ、源氏!三宮、よくやった。これまで貴女の事は、ライバル藤壺に縁の女の娘であり、いつまでも幼稚で未熟なお荷物だとしか思っていなかった。けれども、よもやこんな形で私に貢献してくれるなんて。この調子でどんどん源氏の足を引っ張りなさい!』
と、負の心に身を任せて喜んだのか。
それとも
『何も知らない童女のような孫を、死兵のように…。このような形で源氏にダメージを与えても、ちっとも嬉しくない!』
と、憤ったのか。

弘徽殿大后の屈辱 

 女三宮の事件は、光源氏の栄光や自尊を一気に灰燼にしてしまったので、源氏を憎く思うものは、まさに快哉であったろうと思います。弘徽殿大后が生きていれば、おそらく終生の源氏に対する恨みが、このことですっかり晴れたことでしょう。しかしこの事件は、女三宮と源氏(小侍従も)しか知らないことで、たとえ大后が生きていたとしてもそれを知るすべはないわけですから、快哉を上げるわけにはいかないことになります。
 それにしても大后の嫉妬と憎悪は尋常なものではないので、あるいは、六条御息所がそうであったように、あの世でも源氏に対する憎悪の炎を燃やしていて、女三宮の事件をそれとなく嗅ぎ付けて(草葉の陰で?)ほくそ笑んでいたかもしれません。
 話は変わりますが、女三宮事件は、源氏と藤壺宮との不義に対する因果応報という人がありますが、私はそれは違うと思います。たとえば源氏の子・夕霧と紫上の不義というようなことであったのなら、大いなる因果応報といえましょう。しかし、源氏は女三宮を愛していなかったことが決定的に状況が違っています。この事件は源氏の自尊心をひどく傷つけただけなのではないでしょうか。
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