源氏物語

源氏物語たより34

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  宇治川は滔々と今日も美し 源氏物語たより34

 『光源氏のいない源氏物語など、クリープを入れないコーヒ-のようなもの』
と言った人がいるそうだ。私も同じ思いでいた。光源氏は、四十一帖の『幻』の巻をもってその姿を消す。


 それ以降は、光源氏の子供である薫(実は女三宮と柏木の不義の子なのであるが)と、源氏の孫である匂宮(におうのみや)が、主人公となる。
 薫は、生真面目で誠実、自分の生まれに疑いを持つ、うじうじ男で、道心さえ持っている。一方の匂宮は、奔放不羈の人で、一途に突き進む、先を考えない、いわばあだ人である。
 源氏は、どういう局面にも対応できる柔軟性を持っていた。芯の強さもあった。また、どのような分野にも卓越した資質・能力を持っていて、そのうえ弁舌までさわやかであった。
 この二人が、どうあがいたとしても、源氏には遠く及ばない。

 ということで、私は『幻』の巻までは11回も読んだのに、それ以降の十三帖は3回しか読んでいない。
 しかし今回、改めて読み直してみて、その凄さに圧倒された。
 中でも、屈指の名場面として有名な『浮舟』の巻の、宇治川雪の道行きの場は、やはり“屈指”というに値するだけの素晴らしい描写であることをしみじみ感じた。
 浮舟は、もともと薫が愛していた女であったが、その美しさに魅せられた匂宮は、例の奔放不羈の本性を発揮して、薫が宇治に隠しておいた浮舟を、強引にもぎ取ってしまった。浮舟自身も、匂宮の奔放でひたむきな愛に引かれ始めていた。
 そして、ある雪の朝、突然宇治に現われた匂宮は、誰にも干渉されない所で、官能の時を過ごそうと彼女を連れ出す。そこは宇治川を挟んだ対岸の小家であった。

 『「いと、はかなげなるもの」と、明け暮れ見出す小さき舟に乗り給ひて、さし渡り給ふ程、はるかならん岸にしも漕ぎ離れたらんやうに、心細く思えて、つと、つきて抱かれたるも、「いと、ろうたし」と思す。
 有明の月、澄みのぼりて、水の面も曇りなきに、「これなん、橘の小島」と申して、御舟しばしさしとどめたるを、見給へば、大きやかなる岩のさまして、ざれたる常磐木の影、茂れり』
 (たいそう頼りないものと、明け暮れ見ていた小さな舟に乗って、棹を挿し、川を渡っていくうちに、浮舟は、はるかな遠い岸にでも離れていくように思われ、心細く思え、じっと宮のふところに抱かれている。宮はその姿を「可愛い」と思われる。  有明の月が空高く澄み上って、宇治川の水面も、曇りもないほどに澄み流れている。
船頭が「これが橘の小島と申します」と言って、しばらく舟をとどめた。ご覧になると、島は大きな岩の形をしていて、そこに格好の好い常磐木の影が茂っている)       

 いざよう小舟、音立てて流れる川波、有明の月、残る雪、小島、常磐木、宇治の山々、そして舟上の麗しき貴公子とたおやかな美女・・
 お膳立てはすべて整っている。一幅の絵である。そういえば、ハ-バード大学美術館蔵の『源氏物語画帖 浮舟』(室町時代)は、その様を活写している。
 舟の上で抱き合う二人は、昨夜の激情のほとばしりの炎が、まだふつふつと燃えているはずだし、対岸の小家で繰り広げられるであろうこれからの行為を思うと、またまた炎は燃え立ってくる。
 匂宮は、あの常磐木のように「お前への愛はいつまでも変わらない」と誓ってくださるのだけれど、信じられるのだろうか。あるいは、自分は匂宮の一時の激情に翻弄される女にしか過ぎないのではないか。
 それに、何よりも薫を欺いているという自責の念は払拭することができない。なんともつらくはかないわが身であることか。

 『橘の小島の色は変わらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ』

 “橘の小島”は、宇治橋のやや下流ということであるが、今では、島が陸続きになってしまったのか、その位置は定かではないという。
 二人は、宇治川を京都側から平等院側の対岸に渡ったのだろう。

 私は、京都はいずこも好きだが、宇治はまた格別で、昨年も源氏を尋ねて宇治に行った。滔々と流れる宇治川は、いつもしみじみとして感興を呼び、宇治橋からの眺めはドラマの一つも思い浮ばせるに十分である。

 『宇治十帖』は、紫式部の作ではないと、過去何度も言われてきた。中には僧侶が書いたものであるという人さえいる。しかしあの情緒纏綿たる文章は、僧侶に書けるはずのものではない、ありえない説だ。これだけの筆力をもって、宇治を表し尽くすことのできる者は、紫式部をおいてない。
 宇治には平等院がある。もちろん藤原道長、頼通のゆかりの別荘である。道長の愛人だったとも言われる紫式部は、彼とともにここを訪れているにちがいない。宇治の風光を実際に目にしたことで、彼女の創作意欲はまた新たに燃え立ったのだ。あの日、匂宮と浮舟が燃え立ったように。

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