源氏物語

源氏物語たより526

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     『中宮ばかりには』の意味   源氏物語たより526

  表題の「中宮ばかりには」は、藤壺中宮の御前で「絵合せ」を行うに際して、須磨・明石の流謫中に書き集めた絵日記を見ながら、光源氏が内心でつぶやいた
  『中宮ばかりには、見せたてまつるべきものなり』
という言葉の一節である。

  『須磨』の巻に、
  「つれづれに任せてさまざまな絵などを書き、流謫の寂しさの慰めにした」
とある。源氏はもともと絵が得意であったから、彼が描く絵は、随行した供人たちを痛く感嘆させるほどの出来栄えであった。また『明石』の巻には、結婚した明石君のところにも行かず、一人臥して寝がちなつれづれに
  『絵をさまざま書き集めて、思ふことども(歌など)を書きつけ、(紫上からの)返し(返歌を)聞くべきさまにしなし給へり』
とあった。
  このように彼の流謫のわび住まいの慰めになったのは、絵であった。

  ところで、ここで不審に思われることがある。それは、これらの絵(絵日記)が、どうして「中宮だけには見せ申し上げなければならないもの」なのかということである。むしろ「紫上にこそ見せなければならないもの」と言うべきではないのか。
  そこで、『明石』の巻の記述をもう一度見てみることにする。
  「絵の中に、自分の思っていることをさまざま歌にして書きつけ、その余白に紫上の返歌が書き入れられるように按配した」
とあるのだから、絵(絵日記)は、明らかに紫上のために書いたものだ。そういう紫上を思う心が、以心伝心して、彼女も
  『ものあはれに慰む方なくおぼえ給ふ折々、同じやうに絵を書き集め給ひつゝ、やがて我が御有様、日記のやうに書き給へ(る)』
ようになったのである。二人はともに絵日記を書くことによって、一人住まいの寂しさやつれづれを慰めていたのだ。
  このような情況からして、絵(絵日記)は紫上との心の交流を目的として書かれたものであることに間違いはない。それなのに帰京して一年半も経っているというのに、今まで一度も紫上には見せていなかったとは。「絵合せ」の催しが行われることになって初めて
  『かの旅の御日記の箱をも取り出でさせ給ひて、このついでにぞ、女君にも見せたてまつり給ひける』
のである。紫上に見せるのはあくまでも「ついで」なのであり、女君「にも」なのである。あくまでも絵(絵日記)の真の目的は「中宮だけには見せ申し上げるべきもの」というのだから、理解しがたいことである。そういう源氏の内心を知らない紫上は
  『今まで見せ給はざりける恨みをぞ、聞こえ給ひける』
のであり、「一人都で物思いに沈んでいるよりも、海士の住むという須磨の情景を絵にしていた方がよほど良かった」という主旨の歌を詠むのは当然のことである。
  私は、「紫上が返歌を書けるよう、余白を残しておいた」とあるので、二人は常に絵を送り贈られしながら、心の交流を図っていたのかと、つい最近まで思っていたのだが、よく読んでみるとそうではなかった。
 
  そうなると二つの面で問題が出て来る。
  一つは、絵日記を書いている最中、彼の脳裏を去来していたのは、紫上のことではなく、藤壺中宮のことであったということにならないか、ということである。それではあまりに紫上が哀れなのではなかろうか。明石君と結婚したことも、紫上をひどく悲しませ、悩ませることになったのだが、それは成り行きから許される余地がある。しかし、絵を描くことが中宮のためであったということでは、紫上に対する許されざる不義と言わざるを得ないのではないだろうか。
  紫上はそんなことは知らないから、「一緒に須磨に行って絵でも描いていた方がましだった」などとあどけないことを言っているのだが、彼の真実の心を知ったらどれほどショックを受けたことであろうか。この事については物語は何も言おうとしていない。

  もう一つの問題は、それほどまでに藤壺中宮に見せたいという本意はなんなのだろうか、ということである。
  源氏が須磨に退去した直接的理由は、朧月夜との密会が、彼女の父・右大臣に目撃されてしまい、宿敵の弘徽殿大后に知られてしまったことである。大后は機会さえあれば源氏を陥れようと鵜の目鷹の目でいた。密会発覚は、源氏を失脚させるに絶好の機会到来となった。
  彼はそのことで、官位を剥奪されることとなったが、次に来るのは配流の措置である。正式な配流ということになれば彼の将来はない。それを察した源氏は、いち早く都を去った。
  しかし、朧月夜との一件に関しては、彼は全く罪の意識を持っていなのだ。紫上には「過ちなければ」と言い、左大臣には「濁りなき心」と言い、藤壺中宮には「思ひかけぬ罪に当たり」と言い、頭中将には「我は春日の曇りなき身」と言い、明石入道には「横ざまの罪に当たり」と言い、そしてついに神に向かって
  「犯せる罪のそれとなければ」
とまで言い出す始末なのである。朧月夜の件は彼にとっては、まったく取るに足りないことでしかなかった。
  それではなぜ都を離れたのであろうか。それは藤壺中宮との秘事が漏えいすることを恐れたからである。この秘事を知っているのは、王命婦と弁だけで、この二人から秘事が漏れることはありえないことなのだが、しかし、源氏が落ち目になっている今、誰が源氏を陥れようとするかわからない。相手の弱みに付け入って、根掘り葉掘り疵を求めることは、世間によくあることで、その結果、ついにはあの秘事にたどり着かないという保証はないのである。もしそうなれば、自分の将来がなくなるばかりではない。藤壺中宮の命取りになり、ひいては東宮の廃位にも繋がって行く。
  先に、藤壺中宮は、そのことを恐れて出家の道を選択した。
  そして、今度は、朧月夜とのことがどういう累を招くかわからない状況に至ってしまい、彼がその責任を負わなければならなくなった。それを逃れる唯一の手段は、都を去ることでしかなかったのだ。

  源氏が官位を剥奪された理由は、物語には詳しくは語られていない。右大臣としても自分の娘の不祥事でもあるので、公にはできないことである。おそらく帝に対する「不敬」が名目になったのであろう。一般の人もそう取っていたかもしれない。
  源氏の須磨退去の真意を知っていたのは、ただ一人「藤壺中宮」だけである。それは、二人の秘密の子・東宮を守ることにも繋がることである。

  彼は、中宮に見せるべく
  『かたはなるまじき一帖づゝ、さすがに浦々の有様、さやかに見えたるを選り給ふ』
のである。この「かたはなるまじき(絵)」とは、「不出来でない絵」という意味ではない。須磨・明石の生活の悲惨さ・侘しさ・辛さがいかに良く描かれているかの絵、つまり、自分の真意が最も伝わる絵ということである。
  人一倍愛してやまない京をあえて離れたのは、中宮だけはなんとしても守らなければならないという切羽詰った思いであり、二人だけの秘密の花園を荒らしてはならないという切実なる愛の証でもあった。それを涙して真実理解してくれるのは中宮しかいないのである。それが
  『中宮ばかりには、見せたてまつるべきものなり』
という内心の叫びになったのである。


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