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源氏物語

源氏物語たより527

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     松の思い   源氏物語たより527

  横浜国立大学に宮脇昭という名誉教授がいられる。世界中に緑を増やそうということで今も各国各地を飛び回って活躍していられる。以前この方の講座を受けたことがある。話の主旨は
  「日本の国土を守ってきたのは、照葉樹のカシ、シイ、タブである」
という内容であった。どこの神社に行っても、カシやシイやタブの大木があるのはそのためであり、ここが人々の避難の場所になり憩いの空間になっていた。つまりこれらの樹木が村落を守り、屋敷を守ってきたのである、というような話で、私にとっては目から鱗で非常に興味深いものであった。そして、受講生に「カシ、シイ、タブ」「カシ、シイ、タブ」と何度も何度も言わせていた。

  私の育った所にはタブはほとんどなかったので、この樹木に対する知識はなかったが、この講義の後、海の近くに行くたびにタブに注意するようになった。すると、シロダモと並んでこの樹木が多いことが分かった。しかもみな大木で、堂々とした幹や枝が海辺を守って来たことが実感できた。
  実家に、周囲三メートルにも及ぶカシの大木があって、フクロウが巣を掛けたりしていた。子供の頃、梯子をかけて幹の大きな洞を覗いたりしたものだ。今思えばあの木が実家の百年近い建物を守っていたのだ。
  また、私が毎日のように行く泉の森公園には、県の指定を受けたシラカシの林があって、急斜面の崖をしっかりと支えている。

  宮脇氏の話を聞いてからというもの、カシ、シイ、タブの重要性が確認できる事象をいくつも目にすることになった。

  これらの樹木とは別に、私は日本の「風光」を守ってきたのは「松」であると思っている。特に海辺の松は、日本を象徴するもので、岩にしっかり張り付いて根を張り、幹をくねらせ、歌舞伎役者が見栄を切ったように様よく枝を伸ばす姿は圧巻である。松島や天橋立が日本三景に選ばれるのは、むべなるかなである。松島から松が無くなったら、ただの「島」でしかないのだ。
  日本に「三大松原」があるのをご存じだろうか。そのうちの一つは、もちろん静岡の「美保の松原」である。富士山を背景にしたこの松原は日本を代表する景観と言って間違いないだろう。それに、敦賀の「気比の松原」と唐津の「虹の松原」を加えて「日本三大松原」と言うのだそうだ。私は、この三つのいずれにも行っている。
  でも、これ以外にも松の美しい景色は限りなくある。三陸海岸の松や瀬戸内海の松(ただここの松は松食い虫~マツノザイセンチュウ~の被害で見るも無残になっているが)、あるいは真鶴半島の松(小田原藩が計画的に植えたもので四百年の歴史を刻む)など枚挙にいとまがない。そしてそのいずれもが、海辺にあるのだ。松の緑、海の青、砂浜の白が織りなす風光は、まさに「白砂青松」と形容されるに相応しい。

  日本の古典にも、松はしばしば取り上げられている。たまたま松が「待つ」に語呂を合せるので「掛詞」として使われることが多いこともある。また、「常盤」であり、樹齢が長いところから、めでたさや長寿になぞらえられ、文学によく引用されるのだ。百人一首には、四首も松が詠われている。
  『立ち別れ 因幡の山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰りこむ  在原行平』
  「私の帰りを、あなたが“待つ(待っている)”と聞きましたら、すぐにも帰ってまいりましょう」という意味で、京を遠く離れて任地に赴く心細さや侘さの心情を、「松」を使って巧妙に表現したものである。
  『誰をかも知る人にせむ 高砂の松も昔の友ならなくに  藤原興風』
  「いったい私は、誰を知人(友達)としたら(言ったら)いいのだろうか。長寿で名高い高砂の松だって、別に昔からの友と言うわけではないのだから」という意味である。興風は長く生きすぎてしまったのだ。周りを見渡しても、知人はすべて黄泉の国に行ってしまって、誰一人いなくなっていしまった。私(興風)と同じく、いくら長寿とはいえ、あの「高砂の松」を友と言うわけにもいくまい。
  老いの孤独の嘆きが、松にかこつけてしみじみと呟かれている。

  それでは、源氏物語には松がどのように登場しているだろうか。
  まず挙げなければならないのが、明石君と松の関係であろう。明石と言うところには、松が多かったのであろう、『明石』の巻には松がしばしば登場する。須磨から明石に移った光源氏が、つれづれを紛らわすために、久しく手に触れていなかった琴を弾きだす。すると、その音が、明石君の住む岡辺の家にも
  『松の響き、波の音にあひ』
聞こえてくる。この事を契機として明石君と源氏の仲が進展していく。

 その後、明石君は、源氏の再三の勧めにやむなく大井(現在の渡月橋のあたり)に移ってくる。そこの風光は、明石の風光に極めて似通っているという。まず、大井川の川面が、明石の海面を思い出させるのだ。それだけではない。
  『(大井川の)川面にえも言わぬ松かげ』
があり、これが明石に通じるというのである。明石君が最初に感じたのは
  『年ごろ経たる海面におぼえたれば、ところ変へたる心地せず』
という思いであった。
  しかしせっかく大井に移って来たというのに、源氏のお出でがない。そのつれづれに任せて、源氏が形見にと言って手渡した琴を取り出して弾き始める。すると、琴の音は
  『松風、はしたなく響きあひたり』
というほどに聞こえてくるのであった。「はしたなし」とは、「きまりが悪い」という意味で、弾いている本人でさえきまり悪くなるほど松風に交響してきたのだ。それほど見事な演奏であったということである。明石君は琴の名手で、同じく琴の名手である父・明石入道さえ、時に「松風か」と思うほどの名演奏をしていたという。物に臥していた彼女の母尼が、その琴の音を聞いて、もっこり起き上がり、こんな歌を詠む。
  『身を変えて一人帰れる山里に 聞きしに似たる松風ぞ吹く』
  尼に身を変え、夫と別れて京に帰ってきたが、あたかも明石で日夜聞いていた松風の響きを聞いているような娘の琴の音色であることよ、と言う感慨を詠ったものである。このように明石君と松とは切っても切れない関係にある。

 ずっと後に、松は全く姿を変えて登場する。それは『初音』の巻である。姫君を源氏に取り上げられ、紫上に預けてしまったために、四年間というもの姫君に全く会えずに過ごしてきた。そして五年目の正月、彼女は姫君に初春を祝う消息をする。果物が盛られた鬚籠(ひげこ 物を入れるかご)や破子(わりご)も送られてきたが、そこに、五葉の松とその枝に止まった鶯が付けられていた。消息には
  『年月をまつに引かれてふる人に 今日鶯の初音聞かせよ  音せぬ里の』
とあった。「ふる人」とは明石君のことで、「あなたに会える日を待っている間にすっかり年を取ってしまったが、今日のこの初春くらいは、ぜひあなたの声だけでも聴きたいものです、という意味である。追伸の「音せぬ里」とは「あなたの声さえ聞こえないところ」ということで、そこに五年間も住んでいるのですからね、と言う嘆きである。
  先の話のように、松は、今でも正月には門松にしたりするようにめでたいもので、当時は正月の最初の子の日に、小松を引き抜いて常磐の幸せと長(とこ)しえの長寿とを祝ったという。
  でも、明石君は、実の子にさえ会えない日々が続いていたのである。五年目の今年ぐらいは、私に声を聴かせてくれてもいいのでは、と松にことよせて切実な思いを伝えたのである。

  最後に、夕霧が、落葉宮を小野に訪ねるところを上げておこう。
  まめ人として有名であった夕霧だが、故柏木の妻・落葉宮にすっかり魂を抜かれてしまう。彼女に自分の思いを伝えようとするのだが、容易に靡こうとしない。やるせない思いを抱きながらもの思いに浸っている彼の目に入る小野の自然がこう描かれる。
  『(比叡の)山おろし心すごく、松の響き、木深く聞こえわたされなどして・・』
  比叡から吹き下ろしてくる風がぞっとするような感じを与え、その音が松に響いて木立全体を深深と騒がせる様である。彼の切ない思いが、比叡下しの松風に交叉する。

  常磐の松やその松を渡る風の音(松籟)は、さまざまな思いを人に呼び覚ます。時には現実の自然の松として、時には掛詞のように仮想の松として、源氏物語や古典には盛んに松が登場する。


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