スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより528 →源氏物語たより530
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより528】へ
  • 【源氏物語たより530】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより529

 ←源氏物語たより528 →源氏物語たより530
     つなぎの妙   源氏物語たより529

  光源氏は、絵合せの催しにおいて、権中納言(元の頭中将)側に完勝した。彼の提示した須磨・明石流謫時代の絵が、人々の涙を誘ったためである。これで源氏の養女・前斎宮(梅壺女御)は帝の寵を得、中宮の位に就くことができる可能性が高まった。同時に源氏の政権も安定することだろう。
  彼は得意満面、自尊の域にあって、その盛りの世に安住することができるはずである。ところが彼はこれに満足することはなかった。逆に深い反省の境地に至るのである。ここが光源氏の光源氏たるところで、並みの人物ではないことをこれをもっても知ることができる。
  彼は頂点を極めた者の例を心の中で反芻し、こう述懐する。
  『昔のためしを見、聞くにも、齢(よはひ)足らで、官・位高くのぼり、世に抜けぬる人の、長く(命を)え保たぬわざなりけり。(私は)この御世には身の程・おぼえ過ぎにたり。・・今より後の栄えは、なほ命うしろめたし。静かに籠りゐて、後の世のことを勤め、かつは齢をも延べん』
  こういう反省のもとに、山里ののどかなるところに御堂を造らせて、仏を敬い読経三昧の日々を送ろうと思い立つ。つまり出家しなければということである。しかし、これはいつもの彼の言い癖に過ぎなかった。夕霧や明石姫君や冷泉帝の将来を考えると、出家は思いとどまらざるを得なくなってしまうのである。 

  ところで、彼の考えのもとになっている
  「若くして官位を極めた者の命はなかなか長くは保てぬもの」
とは、歴史上のどういう人物を指して言っているのかは不明である。平安時代で世に抜けぬる人と言えば、藤原冬嗣、良房、基経、道長などであろうが、みな五十歳を超えている。もちろん「齢足らで」というわけではないが、いずれにしても若くして死んだ人の例は見えない。
  それに対して、源氏は二十九歳にして内大臣で、確かに若くして官位を極めている。その後も、太政大臣(33歳)、准太上天皇(39歳)と、とんとん拍子に官位を上げ、「わが世の春」を謳歌している。亡くなったのは六十六、七歳と考えられるから、当時としては相当の長命である。出家しなくてもこの長寿を全うできたというのは皮肉である。

  本題に戻ろう。
  次の『松風』の巻に、彼が山里の静かな所・嵯峨の地を占めて御堂を造らせている話が出てくる。仏道帰依に対する思いは持っていたのではあろう。
  ところがこの御堂が、彼の思いとはおよそかけ離れた面で活躍するのだから、これも皮肉なことである。しかも丁寧なことに『絵合』の巻末に
  『いかにおぼしおきつるにかと、いと知りがたし』
とある。「本気で出家するつもりなのかしら、また御堂はどういう意図でお造りになろうとしているのかしら、さっぱり分からない」というのだから、紫式部という人の、人を食った性格を思い知らされる。

  それではこの御堂はどのように使われるのだろうか、追って行ってみよう。
  明石君は、源氏の再三の上京要請にも応じず、明石に引きこもっていた。しかしさすがに姫君が三歳になったこともあって、姫君の将来にはやむなしと考えたのであろう、上京を覚悟する。ところが京の街中では、恐れ多い、気が引けるということで街中から遠く離れた大井に移ることになった。 
  なんとそこは、源氏が建設している嵯峨の御堂のすぐ近くだったのである。

  明石君がようよう大井に移ってくる。御堂もおおむね出来上がった。
  ところが、源氏はなかなか大井に渡って行けない。なぜなら内大臣という身分的な煩雑さもあるし、それに「流謫中に女を作り子供までもうけた」という世間の非難を浴びるかも知れないのだ。容易に会いには行けない。
  なかでも障害になるのは紫上である。何しろ三年間の別居生活を強いられてきた紫上である。この間の彼女の心配は並大抵なものではなかった。源氏の無事の帰還を死ぬ思いで待ち焦がれていたのだ。にもかかわらず、その配流先で、愛人を作り姫君までなしてしまって、ぬくぬくと生活していたとは。
  源氏にすれば、何とも面目が立たない所業と言わざるを得ない。その遠慮と恐れが彼の足を躊躇させていた。源氏としてはすぐにも飛んで行きたい気持ちであるはずなのだが、ぐずぐずしているうちに何日か過ぎてしまった。そこで彼は大井渡りを
  『とこうおぼしたばかる』
のである。「たばかる」とは、「思い巡らす」ということであるが、「謀かり欺く」という意味もある。つまり紫上をだましていかに大井に渡って行くかということである。
  そこで彼が「たばかった」のが、嵯峨の御堂を利用することであった。彼は、紫上に直接会って言うことには抵抗があったのだろう、同じ邸に住んでいるというのに、彼女に手紙でこう知らせる。
  『・・嵯峨の御堂にも、飾りなき仏の御とぶらひすべければ、二、三日ははべりなん』
  嵯峨の御堂はできたばかりで、まだ仏像の彩色も不十分だし、その飾り付けやらもしなければならないから・・というのである。
仏道勤行のために建設したはずの御堂が、逢瀬の口実になったしまった。『絵合』の巻末の言葉が利いていることに改めて気づく。
  「何をお考えやら、さっぱり分からない」

  「嵯峨の御堂」は、巻から巻への絶妙なつなぎになった。紫式部の伏線の立て方は、いつも実に巧妙であり用意周到である。しかし、このように全く予期しない形で、伏線を張り巡らせるとは、我々読者には思いも及ばぬことである。若くして官位を極めた者の命は長くはないとか、それよりあの世の安穏のためにひたすら仏道勤行をとか、そのためには御堂を建てなければなどと、大上段に構えて、思慮深そうに真摯に麗々しく高尚な抱負を述べていたかと思ったら、一転、御堂は逢引の極楽浄土に早変わり。
  やはり紫式部は尋常な作家ではない。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより528】へ
  • 【源氏物語たより530】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより528】へ
  • 【源氏物語たより530】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。