スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより529 →源氏物語たより531
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより529】へ
  • 【源氏物語たより531】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより530

 ←源氏物語たより529 →源氏物語たより531
     紫上はなぜ垣間見られてしまったのか  源氏物語たより530

  『野分』の巻は、美しくも爽やかな巻である。
  「野分」とは、二百十日・二百二十日前後に吹く「暴風」のことであるから、「美しくも爽やか」であると、この巻を印象付けるのには、抵抗を感じないでもない。事実、物語上でもこの野分を「むくつけし(気味が悪い)」とか「はしたなし(嫌になるほど激しい)」などと表現している。
  でもこの巻の全編に漂っているのは、やはり「美しくも爽やかな」情緒である。
 
  ただ、そんな中で一つだけどうも腑に落ちないことがある。それは、紫上が夕霧に姿を見られてしまったことである。あのたとしえなく奥ゆかしく思慮深い紫上が、どうして粗忽ともいえる行動を取ってしまったのだろうか。

  平安時代には、女性が自らの姿を男に見られることは厳しいタブーになっていた。素顔を見られることは、現代で言えば裸体を見られるようなものであったし、それは、男に征服されることをも意味していた。そのために御簾があり屏風があり几帳があり扇があり、そして袖があった。女性たちは最後の最後まで男に姿を見られないよう、防御を固くしたものである。女が縁側の端近くに出るなどは、もっとも慎まなければならないことであった。
  もちろん男はいかにこの強固な防御を破って女を見るかに力を注いだ。その男と女のせめぎ合いは熾烈だったようである。この垣間見によっていろいろの問題が生ずるから、女性は万全の備えと用意を怠らなかったのである。
  源氏物語の中に、この垣間見によって悲劇の人生を送らざるを得なかった女性がいる。女三宮である。また相手の柏木も、死をもって垣間見の代償を負わされる。
  女三宮が柏木に垣間見られてしまったのは、彼女があまりに幼く、思慮に欠けていたからである。
 
  それに比べて、紫上は「聡く、らうらうじ」き人であった。「らうらうじ」とは、「行き届いている、こまやかである」ということで、何事にも心が行き届き万事慰労がないということであるから、万が一にも男に姿を見られてしまうような女性ではなかったはずである。
彼女自身もそうであったが、光源氏の配慮も万全であった。彼は、紫上を他の男に見せるなどということは絶対にさせなかった。『乙女』の巻に、夕顔が、五節の舞姫(惟光の娘)を見に行く場面がある。そこは紫上が住む西の対であった。源氏のその配慮についてこんなふうに書かれている。
  『うえの御方には、御簾の前にだに、もの近うももてなし給わず。我が御心ならひ、いかにおぼすにかあらむ、うとうとしければ』
「うえ」とは、紫上のことである。源氏は、彼女の所では、夕霧が御簾の前に行くことさえ禁じていた。それは、源氏には、若き日に藤壺宮と密通したという経験があり、それが彼自身の「心ならひ」になっていて、夕霧もそうしかねないという疑いを持っていたからである。だから義母といえども、夕霧が紫上を「見る」ことなど及びもつかないことであった。
  同じ源氏の妻でありながら、女三宮は男に見られてしまった。直接には彼女の幼さがもたらしたものではあるが、源氏の女三宮指導が緩んでしまっていたことも、悲劇を招くもとになったことは否定できない。

  さて、野分の日に、夕霧は六条院の紫上方に嵐の見舞いに行く。渡殿の小障子から見てみると、なんと妻戸が開いているではないか。それに屏風も強い風を避けるためであろう、押し畳まれているので、ずっとむこうまで見渡される。
  その眼の先の廂にいる方こそ、まぎれもない紫上であった。何とも気高く清らで、まるで
  『春のあけぼのの霞の間より、おもしろきかば桜の咲き乱れたる』
ような姿をしていられる。彼は完全にのぼせ上ってしまって、この日一日、胸を「つぶつぶ、つぶつぶ」させ通しで過ごすことになる。
  これは紫上の信じられない失態である。源氏が恐れていたことが現実になってしまったのだから。しかし、「まめ人」と言われる夕霧は、源氏とは人種が違う。義母に横恋慕するような大胆ができる人柄ではなかった。所詮彼は源氏に比べればはるかに小者なのである

 それはとにかくとして、紫上ともあろう女性がどうして夕霧に姿を見られてしまうような粗忽、失態をしでかしてしまったのだろうか。
  一つには、稀に見る激しい野分であったということが挙げられよう。大木の枝は折れ、瓦は飛び、釣殿も倒れるそうになるほどの猛威なのである。そのことを夕霧の祖母・大宮がこう言っている。
  『ここらの齢に、まだかく騒がしき野分にこそ、会はざりつれ』
  「こんな高齢になるまで、これほどひどい嵐に会ったこともない」というのだ。大宮は、内大臣の母親であるから、六十歳を超えていよう。つまりこの六十年もの間、これほどひどい嵐は見たこともないというのだ。いかに強烈なものであったかが分かるというものである。
  紫上は、歴史に残るかもしれないような嵐と会って、思わず廂の端に出てしまったのだ。女房たちも大勢廂に出て、主人ともども呆れ騒いで嵐の様子を見ていたのだ。

  もう一つの理由は、そうせざるを得なかった紫上の優しさがある。前栽の草花は最近繕ったばかりである。それにもかかわらず、激しい風は、小萩などの枝を折り、吹き飛ばそうとしている。心配でたまらない紫上は、思わず
  『すこし端近くて、見給ふ』
以外になかった。そして
  『花どもを心苦しがりて、え見捨てて入り給はず』
ということになってしまったのだ。花どもが右に左に吹き飛ばされるのを見捨てて、部屋に入ってしまうことなど、優しい心の持ち主である紫上には、とてもできる仕業ではなかった。茫然と見つめて立ち尽くしているしかなかった。紫上の真情を垣間見る思いのする場面である。
  そういえば、源氏が須磨に退去するに当たって、もともと源氏付きであった女房たちが一括して紫上の西の対に預けられたことがあった。当初こそ、女房たちは紫上の人となりが分からず、源氏さまがあれほど大切にし、愛していられるのだが、
  『などかさしもあらむ』
と疑ってかかっていた。ところが、馴れるにしたがって紫上の
  『なつかしう、をかしき御有様にて、まめやかなる御心ばへも、思ひやり深く、あわれなれば』
すっかり心酔するようになってしまった。「まめやかなる御心ばへ」とは、生活全般にわたっての心配りということで、すべての面で女房たちの世話に心を尽くしたというのである。これもすべて彼女の優しさから出たものである。ここの「あはれ」は、まさに「優しい」ということであろう。
 
  紫上が廂の端近に出ていて、夕霧に垣間見られてしまったのは、彼女の粗忽でも失態でもない。高齢の大宮さえ経験がないという空前の野分と、草花の辛さをも見捨てることのできない紫上の優しさとが、「いりもみする風の中」をさまよい歩いて来た夕霧に、気高く清らな姿を見せるという僥倖をもたらしただけのことである。
  やはり、『野分』の巻は、あくまでも美しく爽やかである


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより529】へ
  • 【源氏物語たより531】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより529】へ
  • 【源氏物語たより531】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。