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源氏物語

源氏物語たより531

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     玉鬘の不可解だらけの放浪  源氏物語たより531

  乳母というものは、主人に対して絶対であるということは以前述べたことがある(たより183)。源氏物語に登場する乳母はみなこの決まりの中に入っている。玉鬘の乳母もまた、主(玉鬘)に対してそれなりの忠誠を尽くしている。
  ただ一方では理解できない行動の多いことも否定できない。
一番大きな疑問は、彼女が、夫(太宰の小弐として赴任)に従って九州に下らなければならなくなった時の行動である。姫君を九州くんだりまで連れて行かなければならないということは尋常なことではない。にもかかわらず、そのことを実の父親である頭中将になぜ一言も言わなかったのか、理解に苦しむところである。頭中将は左大臣の嫡男、将来は当然その後を継ぐ人材である。たとえ玉鬘が、彼の嫡妻の子ではなくとも、一言くらいは九州下向について告げておくべきであったろうに。
  そうできなかったのは、頭中将の正妻の圧迫が激しかったからであろう。もともと玉鬘の母・夕顔は、この正妻の圧迫に耐え切れずに姿を隠したのである。夕顔が突然死した後、乳母は三歳の玉鬘を擁して西の京に移った。その頃も正妻の圧迫を極度に恐れていたことは想像できる。
  このような事情があったことは理解できないではないが、それにしても権門の嫡男の娘が九州落ちになるのである。一言も告げようとしなかったことは、乳母としての資格が疑われても仕方がない。
  頭中将が、夕顔をいかに愛していたかは『帚木』の巻に詳しい。また彼が三歳の玉鬘を探していたことも確かである。その事情については、乳母は知らなかったであろうが、でも頭中将の動静を常に注視しているというのも乳母の務めではなかったのだろうか。

  さて、彼女の夫は太宰小弐の任が解ける。恐らく一般の国司と同じように任期は四年であったろう。太宰小弐という役職は相当の顕職である。大宰府のトップは太宰の帥であるが、この帥は任地に就かない、いわば名前だけで、実質的には太宰大弐がトップである。これは顕職中の顕職で、国司仲間の垂涎の役職である。小弐は、これに次ぐ次官ということだがこれも正五位上で、大国の国司(従五位上)よりもはるかに上である。
  そんな立場にある者が、中央における頭中将の動静が分からないはずはない。任期中にも何度か頭中将に会っていよう。そういう時に、玉鬘のことをそれとなく伝える機会はいくらでもあったはずである。
  しかし、彼はそれを怠ったばかりでなく、任果てた時に京に帰れなかったという。なぜかと言えば、「京は遠すぎる」からだという。彼は特別の勢力も持たなかったために帰京する旅費さえなかったのがその理由らしいが、相当身すぎ世過ぎが下手だったということである。
  受領と言えば蓄財には事欠かない立場にある。大国の国司を一期勤めれば、大層な財を蓄えたという。後の地頭と同じで「転んでもただでは起きない」のが国司であった。播磨の国司であった明石入道を見ればわかることである。しかしこの小弐は京に帰れなかったというのだから信じられない。
  そのうちこの小弐、重き病気を罹ってしまう。この時、玉鬘は既に十歳になっていた。彼は、妻(乳母)や子を呼びこう遺言する。
『あやしきところに生ひ出で給ふを、かたじけなう思ひ聞こゆれど、いつしかも京に率(ゐ)てたまつりて、さるべき人(頭中将 今は内大臣)に知らせたてまつりて、・・ただこの姫君、京に率てたてまつるべきことを思へ』
  「あやしきところ」とは九州を指していて、こんな田舎で育てるようになってしまって申し訳ないということで、故に「なんとしても京に連れ帰れ」と二度にわたって子供たちに檄を飛ばしているのだ。並々ならぬ覚悟と言っていいのだが、それにしては、任果てたこの二、三年間、何をぐずぐずしていたのだと、逆に檄を飛ばしたくなるのだが、いずれにしても彼は死んでしまう。

  この後の乳母一家の行動がまた理解できない。彼らが動き出したのは、なんと玉鬘が二十歳を過ぎたころである。小弐が亡くなってすでに十年も経っているというのに、この間彼らは何をしていたのだろう。また父親の遺言をどう受け止めていたのだろうか。彼らの最大の使命は玉鬘を京に帰すことではなかったのか。

  太夫の監という熊本の有力者が玉鬘に結婚を申し込むというピンチを迎えて、はじめて彼らは玉鬘を京に帰すことを本気で考えるようになる。乳母の長男も娘も、家族を九州に残したまま、九死に一生を得るような困難を犯して、瀬戸内海をからがら登ってくる。これもまた、理解に苦しむところで、これだけの勇気と決断力があったなら、なぜもっと早く決行しなかったのか。

  実は、京に戻った玉鬘一行は、夕顔お付きの女房・右近と、長谷寺詣での際、偶然遭遇するのだが、これもまたあまりに唐突で論理性に欠ける話である。「そんな馬鹿な」と言われても仕方がない。
  要するに『玉鬘』の巻は、不可解と矛盾とに満ちた、荒唐無稽な物語である。筋の展開は粗く心理面の追及もなく、あの用心深い紫式部の作品とはとても思えない。別人の作品ではあるまいかと勘繰ってしまうほどである。

  でも、これはこれでいいのかもしれない。源氏物語が書き継がれていくにしたがって、読者(主にお姫様たち)の注文も多くなったという。「夕顔の遺児はどうしたの?」という思い付きの問い合わせもあったかもしれないし、中にはあどけない注文もあったろう。そこで、紫式部は、あどけないお姫様たちのために、一度くらいは娯楽本位の作品でも作ってあげようとしたのだろう。
そのおかげで、『玉鬘』の巻は、手に汗握るスリルとサスペンスに満ちた物語になっていることに間違いはない。そういう観点から読めば十分楽しめる。深刻な内容が続いてきた中にあって、それなりに新鮮で、一服の清涼剤になることは確かである。

  この後に、いわゆる「玉鬘十帖」という巻々が展開される。光源氏の玉鬘に対する年甲斐もないねちねちとした懸想が中心になり、『野分』の巻と『真木柱』の巻を除けば、冗漫でくどく、話は停滞気味で面白くない。『玉鬘』の巻の反動かも知れない。『玉鬘』の巻の躍動感にあふれた生き生きとした物語が懐かしくなる。
  したがってこの「十帖」は、『玉鬘』と『野分』『真木柱』の巻以外は、読むのをやめるようお勧めする。特に『蛍』『常夏』『行幸』『藤袴』の巻はやめよう。


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