源氏物語

源氏物語たより533

 ←源氏物語たより532 →源氏物語たより534
     光源氏が玉鬘を引き取ったわけ  源氏物語たより533

  光源氏が玉鬘を手元に引き取ろうとしたのは、まずは彼女が夕顔の忘れ形見であったことである。夕顔を死なせてしまったことは、彼の自責の念と夕顔いとしの情が常に頭から離れなかった。『末摘花』の巻の巻頭にこうある。
  『思へども、なほ飽かざりし夕顔の露に、おくれしほどの心地を、年月ふれど思し忘れず』
  なぜこれほど彼女のことが忘れられなかったのだろうか。それは、夕顔ほど素晴らしい女性は、源氏の過去の多くの女性の中でも例を見ないほどであったからである。今まで関係してきた女性たちは、みな心から打ち解けることなく、気取っていて気位が高い人ばかりだった。それに対して夕顔は
  『けぢかく、なつかしかりしあはれに、似るものなう』
  (親しみやすく、人の心を惹きつけるその情愛に溢れた人柄は、似るものもない)
ほどであった。
  玉鬘は、この女性の忘れ形見だったのである。となれば源氏が放っておくはずはない。
  夕顔が亡くなってしまった時に、彼女付きの女房である右近から、夕顔に娘がいることを聞いた源氏は、手元に引き取りたいものだと、こう右近に言っている。
  『さて(その娘は)いづこにぞ。人にさとは知らせで、我に得させよ。あとはかなく、いみじと思ふ御形見に、いと嬉しかるべくなむ』
  この時、右近は、その娘が乳母とともに西の京にいることを源氏に伝えている。すぐに探せば探し出せたかもしれない。しかし、そうできない理由があった。それは下手に動いて、女を死なせてしまったことが世間に知られれば、一大事になるのは目に見えているからである。夕顔を、五条の彼女の屋敷から廃院に連れ出したのだが、その五条の屋敷にさえ真実(夕顔の死)を告げてはいない。右近にも「絶対漏らすまじ」と厳しく戒めている。そのようなわけで、あの時は、とにかく慎重な行動を取らざるを得なかったのだ。

  あれから十八年が経つ。右近が長谷詣での際に、たまたま玉鬘を見つけ出し、その旨を源氏に報告する。源氏は早速、手元に引き取ろうと思うのだが、九州の片田舎に育った娘であるから、いまどのような女性になっているかは未知数である。そこで、彼はそれとなく娘と手紙のやり取りや歌の贈答などを通して、彼女の品定めをする。このあたりが源氏のそつのなさであり計算高いところである。ただでは引き取らない。その結果、筆跡は頼りなく、未熟な感じではあるが、何より品があり、趣が漂っていると評価し、その人となりも優れているだろうと判断して六条院に引き取ることになった。

  ここで不審に思われるのは、このことをどうして実父である内大臣(頭中将)に知らせないのかということである。その理由を彼は、
  「内大臣には大勢の子供がいるから、今更名乗り出てもろくな扱いはされないだろう」
と言っている。それも一理あることだが、むしろあの過去の問題(夕顔の死)を、直接の関係者である内大臣によってほじくり出されることを恐れたのではなかろうか。

  こうして玉鬘が六条院にやって来た。はじめて彼女に会った時に、
  「なるほど、右近が言っていた通り、夕顔にも劣らない美しい目元をそしている」
と源氏は感動する。そして彼女にこう語りかける。
  『としごろ御行方を知らで、心に懸けぬ折りなく嘆きつるを。かくて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことも取りそへ、忍びがたきに、(何事もあなたに)えなむ聞こえられざり』
  感動のあまり何も言うことができないと、彼は涙をおし拭うのである。これは偽りのない彼の思いであったろう。
  この後、彼は玉鬘への情を深めていき、ついには耐え切れないほどの慕情となって膨らんでいくのであるが、当初はそうではなかった。彼には余裕があった。

  六条院には多くの若者がやって来る。ところが、ここには彼ら若者の興味を惹きつけるような女君がいない。そのことを彼はいつも寂しく思っていた。紫上や明石君などの理想的な女性はいるが、彼女らは歳をとりすぎている(紫上 二十七歳、明石君 二十六歳)、あるいは若すぎる(明石姫君 七歳)。若者の興味を惹きつける女性は、六条院には喫緊の条件であった。それが夕顔の忘れ形見であればさらに申し分がないことである。そこで彼は右近にこう言う。
  『好き者ども(若者のたち)の心尽くさするくさはいにて、いといたうもてなさん』
  「くさはい」とは「種、材料」ということで、玉鬘を若者の心を尽くさせる材料にしよう、そのために大事にもてなそう、というのである。随分変わった養父ではある。後に、同じことを紫上にも言っている。
  「玉鬘は、こちらの気が引けるほど立派な娘で、このことを世間に知らせて、我が家にやって来る若者の心を乱してみたいものだ。いつもみな端然と澄ましているのだが、あの連中の本然の姿(好色がましさ)を明らかにさせてみたい」
  これを聞いた紫上はさすがに、
  『あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを、先に思すよ。けしからず』
と呆れる。娘を引き取るや否や、若者の心を焚きつけようとは、怪しからんお考えということだが、当然の感想である。

  そして現に、蛍宮(源氏の弟)や鬚黒大将(後の玉鬘の婿)や柏木(玉鬘の実の弟)の心を乱すようになるのだが、実はこれは源氏の戯れからでたものであり、源氏には内心、別の思いがあった。それは誠に壮大なもので、玉鬘も、彼のこの壮大な意図の一角を担う素材であった。さすがにこのことは紫上さえ気づいていないようである。
  それは六条院をこの世の理想郷とすることである。内裏以上の世界、一種の極楽浄土を具現したいということである。六条院の邸は四町に渡る広大さであり、建物は三つ葉四つ葉の壮大にして華麗なもの、また四季を尽くした庭の趣などなど、いずれもこの世の贅を尽くした世界である。女性も、紫上や明石君のような理想的な方々がいる。
  この理想郷にあと一つ足りないのがある。それは、若くはつらつとした女性である。玉鬘がここに入ることによって、六条院は一層の輝きを増すことになるのだ。いわば彼にとって、玉鬘は画竜点睛の「眼」であったのだ。

 この後、物語は玉鬘を中心として展開していく。
  『初音』の巻では、これ以上はないという衣装をまとった女性方が、あたかも世界ミスコンテストのように居立ちする。
  また、『胡蝶』の巻では、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ りょうとうげきす)の舟を池に浮かべて、雅楽寮(うたづかさ)の楽人を招き舟楽を催す。さらには、この舟に美しい女房どもを乗せて、秋の町から春の町へと舟遊びをする。中島には絵に書いたような見事な立石、岸には色を増した柳やこぼれ咲く山吹、水面には鴛鴦(おしどり)のつがいが波に漂っている。あたかも「知らぬ国」に来たような趣である。例の歌が詠われたのもこんな風情の中である。
  『春の日のうららに挿して行く舟は 棹のしずくも花ぞ散りける』
  「知らぬ国」とは、鳥鳴き花咲く、まさに極楽浄土の国のことである。玉鬘はこの極楽浄土の一角を担う重要な人物であった。

  ところが、源氏は、魅力あふれるこの天女(玉鬘)に接するに従い余裕をなくし、自ら「心乱し」ていってしまう。理想の極楽浄土は、官能渦巻く「禁断の園」と化してしまった。紫上が言っていた「あやしの人の親や」とは「養女に懸想するとはなんとあやしの親であることか」ということであったのかもしれない。紫上はいち早くこうなることを見通していたのだろう。

もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより532】へ
  • 【源氏物語たより534】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより532】へ
  • 【源氏物語たより534】へ