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源氏物語

源氏物語たより541

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     信じられない柏木の恋   源氏物語たより541

  東京小金井市で、二十歳の女子大生が、二十七歳の男にナイフで刺されて意識不明の重体に陥るという事件が起きた。女子大生はアイドル活動をしており可愛く、その魅力に取り付かれた男が犯行に及んだようである。このような事件は今までもないではなかったが、小金井の事件の特異性は、男のあまりにも自己中心的な言動であろう。  
  男は、女子大生に一方的に好意を持つようになり、時計をプレゼントしたという。そして、こう書き込みをしていた。
  「腕時計をプレゼントする意味を知っていますか。大切にしてください。・・要らないのなら返して。それは僕の『心』だ」
  このプレゼントする「意味」とは、「僕があなたをこんなにも深く思っているのだか、あなたも僕を愛する義務がある」ということではなかろうか。だとすれば全くの一方的な押し付けであり、相手の意思や感情や立場などは一切無視した身勝手さである。
  しかもプレゼントは「僕の命」と言う。だから「僕の命を粗末にするような者には天罰が下る」とでも言いたいのだろう。結局、女子学生が自分の意のままにならなかったと言うので、自ら刺殺(の意思があった)という残忍な天罰を下してしまった。
  狂気の沙汰と言わざるを得ないのだが、同時に「恋」というものの持つ「魔力」というものを思い知らされた事件でもある。身勝手で一方的な恋は、相手を悲劇に陥れるとともに、自らの人生も破滅させてしまう。それが分かっていて、破滅にまで突っ走ってしまうのが恋であり、恋の恐ろしさである。

  源氏物語の中にもこれに類した事件は少なくない。もちろんその筆頭は光源氏である。特に藤壺宮との恋は、両者を破滅に導くに十分であった。源氏には不義の結果がよく分かっていても、藤壺宮を忘れることができなかった。そこでわりない逢瀬を繰り返すのだ。ただこの恋は、藤壺宮の賢い判断で中断したが。
  空蝉や朧月夜との恋も、まことに危険で無理なものであり、恋の歓びと破滅とを裏腹にしていた。朧月夜との不倫は、近衛の大将の都落ちという憂き目を源氏にもたらす結果となった。

  さて、今回は、柏木の恋について考えてみようと思う。彼もまた実にわりない恋をしているのである。
  柏木が、女三宮(以下 宮)に懸想するまでの経緯は分からないではない。しかし、宮が、源氏の正妻になってしまった以上、諦めるしかなかったのだ。だから、宮を永遠の憧憬の女性としておくか、あるいは偶像として奉っておけばよかったのだ。
  ところが彼は宮への恋心を断つことができず、無謀な恋に突き進んでしまった。彼はなぜあれほど無謀な恋に身を任せてしまったのだろうか、不可解と言うしかない。
  宮を強引に犯してしまった後、柏木は悩みに悩む。その翌日は妻の邸に帰ることもならず、父の邸で横になると、昨夜のことが頭に浮かんで目も合わず、鬱々とするばかりなのである。そして
  『さても、いみじき過ちしつる身かな。世にあらんことこそまばゆくなりぬれ』
と恐ろしくも恥ずかしくもいたたまれない悔恨に苛(さいな)まれる。「まばゆく」とは、目も開けてもいられないということで、この世では、まともに目を開けて生きていけないと、嘆いているのである。
  一方の宮は、
  「この秘事はすぐにも世の人に知られてしまうことであろう、と思うと目も開けていられないほど悔やまれ、明るいところにいざって出ることもできない」
というほどに恐れおののくのである。

  二人がこのような心境でいるにもかかわらず、物語は誠に不可解な展開をしていく。
  柏木は、宮が恋しくて恋しくてどうにもならない時々は、
  『夢のやうに見たてまつりけれど』
とある。彼は、その後も宮に逢っていたのである。しかも夢のような快楽の逢瀬をである。また「時々」とあるから、一度ならず逢っていたということであるが、一体これはどうしたことであろうか。
  一方はこの世に生きていけないと思うほどに悩み込み、一方は目も開けていられないほどに恐れおののいているというのに。それに、宮は、柏木のことを決して愛するようになったわけではない。それどころか、柏木の人間的価値などは、源氏にははるかに及ばないと認識し、「めざまし(気に入らず心外)」とさえ思っているのである。
  これでは普通だったら恋は成立しない。互いに二度と逢うのをはやめようと思うのではなかろうか。
  また、いくら源氏が二条院で紫上の病に忙殺されていて、六条院に渡ってくることが少ないとはいえ、逢うのは容易なことではなかったはずである。
  この逢瀬のお膳立てしたのは、勿論かの小侍従である。最初こそ、葵祭りの日を狙い人少なの情況を選び、万端条件を整えて逢う機会を得た。しかしあんな恰好なチャンスは二度と訪れるものではない。それにこの小侍従、それほど賢く思慮深い女とも思えない。後の言行でもわかるとおり、どちらかと言えば軽はずみな女である。それにもかかわらず、時々逢瀬の機会を作ったという。

  何が二人の逢瀬を可能にしたのだろうか。やはり恋の魔力と言うしかないであろう。恋に狂ってしまった男は、常識では測れないことを仕出かすものである。
  宮が体調を崩していると聞いた源氏が、六条院に渡って行く。そのことを伝え聞いた柏木は、なんと嫉妬心を燃やすのだから呆れる。夫が妻の所に通うのに何の問題があろうか。しかし、恋に狂った男にはそれさえ許せないのである。そこで彼は宮に
  『いみじきことどもを書き続けて(手紙を宮に)おこせ給へり』
と言うのだから凄まじ限りである。「いみじきこと」の内容は、本文には書かれていないので想像するしかないのだが、恐らく、
  「私がこれほどまでに恋い焦がれているというのに、あなたはなぜ源氏と睦まじくす
るのか」
というような愚痴ではなかろうか。こういう柏木を語り手は
  『おほけなく心過ちして』
と評している。「おほけなし」とは身分不相応という意味で、「准太上天皇ともあろう人に対して何たる不遜」というのであろうが、この場合は身分よりも「家庭と言う秩序も忘れて」というニュアンスではないだろうか。夫が妻の所に行くというごく当たり前の秩序も分からず、理性を失ってしまって、「夫に会うこともまかりならぬ」と常軌を逸したことを考えると語り手は非難しているのである。でもそれが恋なのである。
  恐らくこの柏木の狂気が、小侍従に伝染してしまったのだ。最初こそ小侍従は、宮に逢いたいから算段しろという柏木の申し出を、
  「そんな気持ちの悪いことをよくも言えたものね」
と、手厳しく突っぱねたのだが、柏木の狂気の情熱に、彼女自身も理性を失って、悪賢く不可能を可能にしてしまたのだ。もちろんこの裏には柏木の手段を択ばない小侍従に対する懐柔(金品や性で身動きを取れなくする)もあったのだろうが。

  結局、この「いみじきこと」を書き連ねた手紙が、柏木の命取りになってしまう。こともあろうに手紙が源氏に見られてしまうのだ。その後、彼は、源氏のひと睨みにあって、心身を病み、ひたすら死に向かっていくしかなかった。この過程は凄惨ですらある。と同時に、女三宮も、二十二、三歳の若さと二品内親王という地位を犠牲にしてしまって、尼になっていく。

  小金井の事件は、二十七歳の犯人に性格的変質(狂気)があるのかもしれない。刺殺にまで至ってしまうのはそう考えるしかない。
  柏木は、ごく真面目でノーマルな男である。しかも太政大臣の嫡男として将来を嘱望されてもいた。にもかかわらず恋の魔力と魅力に抗することができなかった。「恋は思案の外(ほか)」と言い、「恋の山には孔子の倒れ(聖人・孔子でさえも恋では失敗する)」と言う。



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