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源氏物語

源氏物語たより543

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     朱雀院と仁和寺   源氏物語りたより543

  前回の「たより」は、源氏物語ゆかりの史跡を巡る話であったが、実は仁和寺にも回っている。この寺は、光源氏の兄・朱雀院ゆかりの寺なのである。
 
  雲林院、大徳寺を回った後、仁和寺に行こうとしたが、直接のバスがない。そこで、北野白梅町までバスで行き、そこから京福電鉄で行くことにした。いわゆる「嵐電」である。ここから帷子ノ辻までを「北野線」と言う。この路線に乗るのは初めてのことであったが、誠に特色のある情趣豊かな電車であった。
  まず車両が一輌しかないことで、路面電車かバスと変わらない。改札口もなく、降りる時には降車ボタンを押して、運転手の所にある料金箱に、既定の運賃を入れるだけ。乗客は少なくローカルな感じで、清水や嵐山の雑踏とは無縁である。
  それに何より面白く感じたのが、沿線の駅がみな史跡・名勝ばかりということである。
  まず北野白梅町駅には「金閣寺」があり、次いで足利氏の菩提寺である「等持院」、石庭の「竜安寺」、臨済宗妙心寺派大本山「妙心寺」、真言宗御室派の総本山「仁和寺」と続く。それらがみな駅名になっているのだから、寺院好きには垂涎(すいぜん)の電車といえる。しかも衣笠山と双ヶ岡の間をぬって走っているので、のどかそのものである。この双ヶ岡は、吉田兼好が徒然草を執筆したところと言われている。
 
  仁和寺は、宇多天皇が、先帝光孝天皇の遺志を継いで建立したもので、出家後はこの寺に入った。この寺を「御室(おむろ)」と言うのはその関係からであり、以来、代々法親王が住持を勤めた、いわゆる門跡寺院の始まりの寺なのである。
  宇多天皇は数奇な人生をたどった人で、臣籍に下っていた(源定省と言った)が、父・光孝天皇の死の直前に親王になり、さらに皇太子、そして即日天皇になるという綱渡りのような経緯のもとに天皇になっている。この天皇の皇子が後の醍醐天皇で、源氏物語の舞台となった時代と言われている。宇多天皇自身も源氏物語に何度か登場してくる。

  仁和寺で有名なものと言えば、やはり「御室の桜」であろう。他の桜よりも遅く咲くそうで、四月下旬に満開になるという。さぞ大木なのであろうと想像していたが、これが全く予想に反して、背は低く、二メートルほどの樹高で整然と並んでいる。目の高さで鑑賞できるようにしているのだそうだ。二百本あるという。
  もう一つこの寺を有名にしているのが、徒然草の「仁和寺の和尚」の二つの話ではなかろうか。
   『仁和寺に、ある法師、年寄るまで石清水を拝まぜりければ、心憂くて・・』
で始まり、「少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」と結ぶ五十二段と、それに引き続く、仁和寺の童法師が足鼎(あしかなえ)を頭に被って抜けなくなってしまう五十三段で、ともに何か滑稽な、それでいてペーソスに満ちたいかにも兼好らしい話なので、誰の記憶にも残っているのではなかろうか。

  仁和寺の駅から寺までは広い通りなのだが、土産物屋や飲食店も少なく、がらんとしている。その先に仁王門(重文)が荘重な姿で佇み、さらに中門(重文)を入ると、広い参道が金堂(国宝)まで続いている。右手に五重塔(重文)を眺めながら金堂に行く。二度の火災の後、御所の紫宸殿を移築したものといい、その点、大覚寺と同じだが、残念なのは中に入れないことである。しかも格子はすべてぴたりと閉じられていて、内部を見ることさえできない。
  平安の時代を感じさせるものは、階(きざはし)や勾欄、簀子くらいで、仕方なく金堂の後ろに回った。そこの簀子に、源氏物語にもよく登場する閼伽(あか)棚があった。しかもまことに頑丈で人が寝泊まりできそうなほどに立派な棚が二基もある。これは、仏に供える水や花を置く棚で、僧の姿こそ見えなかったが、彼らが朝夕、仏に水を供えているのだなあ、とゆかしく見ていた。

  寺の説明が随分長くなってしまったが、それではこの寺が源氏物語にどのように登場するのかに戻ろう。
  源氏の兄・朱雀帝は、若い時から健康に優れず、特に目を病むことが多かった。精神的にも弱いところがあって、常に生きることに不安を感じていた。自分の寿命は短いであろうこと、出家して後世を願わなければならないだろうことが、彼の頭から離れることがなかった。
  結局七年在位しただけで、冷泉帝に譲位してしまう。しかも母・弘徽殿大后の反対にもかかわらずの譲位であった。
  その理由としては、もちろん心身への不安が第一ではあろうが、別の問題も考えられる。それは弟・源氏への劣等感ではなかったかと思う。とにかく源氏は、容姿に限らず、すべての面でたぐいまれな才能を持っていた。心・身ともに弱い朱雀帝が勝てる相手ではなかった。帝の尚侍(妃の一人)である朧月夜にその典型を見ることができる。それが小さいころから帝のプレッシャーになっていたのだ。
  それにもかかわらず、源氏から官位を剥奪し、結果的には源氏を須磨に流すことになってしまった。このことが帝の肩に重くのしかかっていたのだ。彼の脳裏から菅原道真の姿が離れなかったのではなかろうか。

  その後、上皇として十一年。『若菜上』の巻はこう始まる。
  『朱雀院の御門、ありし行幸の後、その頃ほひより、例ならず悩みわたらせ給ふ。もとよりあつしくおはしますうちに、この度はもの心細く思し召されて・・「世に久しかるまじき心地する」など・・』
  この「ありし行幸」とは、冷泉帝とともに源氏の六条院に行かれたことを指している。弟でしかも一介の臣下でしかないはずの源氏(准太上天皇ではあるが)を訪ねるということは、朱雀院にとっては生涯最大の屈辱となったのである。そのための「悩み(病気)」であったと言ってもいいだろう。最も院は日ごろから「あつし(病気がち)」き体ではあったのだが。
  そこで院は出家のために
  『西山に御寺造りはてて、うつろはせ給はんほどの御いそぎ(準備)をせさせ給ふ』のである。
  この「西山の御寺」こそ、仁和寺なのである。「西山」とは、本来、嵐山や愛宕山をいうのだが、それらに連なる山々、という意味で「西山」と言ったのである。仁和寺は確かに御所からは西に当たってもいる。
  しかし出家に際して、彼の強い絆(ほだ)しになったのが、最愛の娘・女三宮のことであった。女三宮は十三、四歳ということなので、当時とすれば結婚適齢期に当たるのだが、何しろ「片なり(成長していないさま、未熟なさま)」であった。この娘の将来を定めないでは出家もおぼつかないと焦る。
  周囲の者と議論を重ねた結果、娘の将来のためには降嫁させることが一番ということになり、その候補者として、夕霧や柏木や蛍宮などいろいろな名が上がるが、結局源氏以外には適任者はいないだろうという結論に至る。源氏が紫上を幼くより立派に育てたように、この女三宮をも彼ならしっかり後見してくれるはずであるというのである。このように結論付けた後、いよいよ念願の出家をし
  『院の帝、月(二月)のうちに御寺(仁和寺)に移ろひぬ』
のである。
  こうした経過の後、ついに女三宮は源氏のところに降嫁する。源氏四十歳の二月のことであった。

  ところが、この結婚は失敗であった。結婚三が日ばかりは源氏も真面目に宮の所に通ったが、彼女はあまりに片なりで、思慮に欠けていた。それに呆れたのだろう、通いも次第におろそかになり、朱雀院の手前を慮る程度になってしまった。
  そしてついに柏木の不義・密通に至ってしまうのである。

  源氏の扱いが予期に反したことを日ごろから快く思っていなかった院は、女三宮が妊娠によって、心身を病んでいるということを聞き、
  『あるまじきこととは思し召しながら、夜に隠れて(西山の寺を)出でさせ給』
うのである。出家して山籠もりしている身でありながら、娘の病気見舞いと言って山を下りるということなどは、あるうべからざることである。出家というものは、そもそも親子の恩愛を断ち切る行為そのものであるというのに。

  「夜に隠れて出でさせ給へり」とある。仁和寺は、今でこそ嵐電が走り、住宅地や学校も連なった明るい地である。しかし当時は全くの山野でうっそうとした樹木に覆われていたはずである。後ろには衣笠山を背負い、前には双ヶ岡が聳える。そこを夜に紛れて出るのだから、真の闇であったわけである。元天皇ともあろうお方が、そんな闇の中をこっそり無言で六条院までお忍びをするのだ。
  しかも、この対面の際、女三宮が泣いて出家を願い出ると、院は即座にその願いを了とし、その場で彼女の髪を切り落としてしまう。源氏を見限ったのである。

  仁和寺自身が物語に直接登場するわけではない。ただ、仁和寺から六条院までの闇路は、朱雀院にとってまさに「子を思う闇」の象徴であった。
  『人の親の心は闇にあらねども 子を思う道にまどひぬるかな』
という後撰集の歌は、源氏物語の中に少なくとも20回以上(これよりはるかに多いかもしれない)使われている。源氏物語は、親子の愛というものをその大きなテーマの一つにしているからである。
  中でも朱雀院と女三宮の親子愛は感動深く、この重要な場面が仁和寺からの闇の道に設定されているのが印象的である。


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