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源氏物語

源氏物語たより545

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     撫子 礼賛   源氏物語たより545

  我が家の鉢植えの撫子の花が、今年初めて一輪開いた。薄い桜色の五弁の花びらが規則正しく凛と広がっている。
  細かく見ると、花の中心から分かれた五弁のそれぞれの中心部分は女性の腰のように細く、紅に白を交えた柔らかい色をしている。やがてそれぞれの花弁(はなびら)は、扇のように広がって行き、その先端は細く、無数に裂けている。それらがあるいは優しく寄り添い、あるいは内側に向かって反り返ったり上に向かって踊り跳ねたりしている。その様は見るだに楽しい。
  花びらの先端の細密・巧緻な様、主張しない優しい色合い、花全体のバランスは、芭蕉の言葉を借りれば、「造化の天工」の仕業と言うしかない。

  そういえば芭蕉はこの花が好きだったようで、那須の黒羽の野を、農夫から借りた馬で行く時に、撫子を登場させている。馬を貸してくれた農夫の子二人が芭蕉の後をついて来た。そのうちの小さな娘に名前を聞くと、「かさね」と言う。芭蕉はひどくこの娘の名「かさね」に心惹かれてしまう。そんな芭蕉の心を感じ取ったのか、同行の曾良が代わって次の歌を詠む。
  『かさねとは八重撫子の名なるべし』
  ある人は、実はこの歌は曾良のものではなく、芭蕉自身の句ではないかと言っている。芭蕉の他の文章の中にこの時のことが、次のように書かれているのが根拠だという。
  『「我、子あらば、この名を得させん」と道連れなる人に戯れ侍りしを思い出でゝ・・』(『芭蕉 日本古典鑑賞講座』 角川書店より)
  自分に子供があれば、この「あかね」と言う名を付けたい、というほどに、「あかね」にご執心だったと言うのである。やはり先の歌は芭蕉のものなのであろう。
  芭蕉は「かさね」から、衣の襲(かさね)を連想したのだ。撫子の襲の色目は「表が紅、裏が薄紫」だそうで、いかにも優しい色合いである。今、撫子を目の前にして見ていると、そんな色目の衣を着た女の子が目前に浮かんでくる気がする。
  芭蕉は「かさね」と言う名に興を覚えただけでなく、その子の愛らしさにも興を覚えたに違いない。その子は
  『いとささやかに、えもいはずをかしかりし』
娘であったというのだから。撫子は「可愛い子」の代名詞でもあった。

  古の人はこのように撫子をこよなく愛したようで、さまざまな作品に登場する。
  『枕草子』の「もの尽くし」の一つ「草の花は」の中に、真っ先にこの花が上げられている。
  『草の花は、なでしこ。唐のはさらなり。大和のもいとめでたし』
  「唐の」とは、中国のなでしこのことで、「石竹」をいう。(私は石竹より、大和撫子(河原撫子)のほうがはるかに好きなのだが)。これらの花に次いで、女郎花、桔梗、朝顔、菊、壺スミレ、竜胆などが上げられている。
  撫子の花の優美さが魅力的であることは勿論であるが、「なでしこ」という言葉の響きにも快いものを感じるのかもしれない。
 それに「なでしこ」という言葉が、「撫でたくなるほど可愛い子」を連想させるところにも、古の人が興を覚えたようである。また、撫子には別に「常夏(床夏)」という名があるのだが、「あの人と共にした“床が懐かしい”」という含みに古代人たちは魅かれたのだ。
  つまり、撫子には、「可愛い子」と「愛しい女性」とを表す二重の意味が含まれているのだから、彼らを惹きつけたのは当然なことである。
  そのために物語には使い勝手がよかったのだろう、源氏物語にも盛んに使われている。『帚木』の巻のいわゆる「雨夜の品定め」などでは、なんとこの両方の含みが同時に登場する。
  光源氏を交えて、四人の貴公子が雨の降る夜、女性論に花を咲かせていた。左馬頭が堂々と自己の論理を展開している時に、頭中将がかつて付き合っていた女性(実は夕顔)の話を始める。二人の間には可愛い子供まであったのだが、頭中将の通いが次第に少なくなってしまった。我慢しかねたのだろう、ある時、夕顔から、撫子の花を添えてこんな歌が贈られてくる。
  『山がつの垣ほ荒(あ)るとも をりをりはあはれはかけよ撫子の露』
  「私の家の垣根はすっかり荒れてしまった(あなたのお出でが無くなってしまった)けれども、あなたの可愛い子のために、たまには愛情をおかけください」という意味である。その文に誘われるように頭中将は久しぶりに夕顔を訪ねる。露がいっぱい降りた垣根で虫が盛んに鳴き競っている。その庭に目をやりながら寂しそうにしている夕顔に、彼はこんな歌で応えてやる。
  『咲まじる花はいづれと分かねども なほ常夏にしくものぞなき』
  「前栽には美しい花(夕顔と娘)が競うように咲いているけれども、やはり常夏の花に勝るものはないね」という意味で、要するに「子供に比べれば、やはりお前の方が一層好きだよ」と言うのだ。
  この歌に対する、語り手の評が面白い。
  『大和撫子をばさしおきて、まづ「塵をだに」など親の心を取る』
と言っているのだ。どういう意味かと言うと、「大和撫子(子)のことは差し置いて、まず「常夏(夕顔)こそ一番好きだ」などと言って親の歓心をかおうとするとは(なんとあきれたことか)という評である。

  ここには古今集の凡河内躬恒の撫子の歌も引かれているのだから忙しい。まさに撫子の花盛りというところである。躬恒の歌は、
  『塵をだにすゑじとぞ思ふ 咲しより妹とわが寝るとこなつの花』
というものだが、この歌には次のような前書きがある。
  「隣の家から「おたくに咲いている常夏の花をください」と言ってきたけれども、惜しくて・・、その代わりにこの歌を差し上げた」
というもので、歌の意味は、
  「誠に残念ですが、この花には塵一つ積もらせまいと思っていたのです。我々夫婦の大切な寝床に名前が似ている“とこなつ”ですから、それに塵がかかっては一大事です。これが咲いた時から、我々夫婦が秘蔵している花なんです」  (『日本古典文学全集』 小学館)
  まさか隣家の人に撫子の花を上げなかったわけではあるまいが、軽妙にして滑稽、ほっとほほ笑みの出てくる楽しい歌である。常夏は、男にすれば、それほどに愛しい存在だったということである。
  さて、頭中将がそれほど愛した「とこなつ」ではあったが、彼の北の方の激しい妨害にあって、いたたまれなくなった夕顔は子を連れて彼の前から姿を隠してしまう。次に現れるのは『夕顔』の巻である。
 
  紫式部は、殊の外に撫子が好きだったようで、いたるところにこの花を登場させている。『葵』の巻では、葵上が亡くなったことを偲んでこう詠っている。
  『草枯れのま垣に残るなでしこを 別れし秋の形見とぞ見る』
  「母を亡くした子(夕霧)を、その形見として見ることにする」というのである。また、亡くなった葵の家を去る時にはこんな歌も詠っている。
  『君なくて塵つもりぬるとこなつの 露うち払いいく夜寝ぬらむ』
  「あなたと共にした床にはこんなにも塵が積もってしまった。そこで私は一人、幾晩寝たことだろう」という意味で、これも先の躬恒の歌を引いたものかもしれない。
  『紅葉賀』の巻では、藤壺宮に自分との子が生まれたというのに、その子に会えぬ嘆きを、撫子の花をつけてこんな歌を詠って、贈っている。
  『よそへつゝ見るに心はなぐさまで 露けさ勝るなでしこの花』
  (撫子の花を愛しい我が子になぞらえて眺めても、少しも心は慰まず、涙がしとどにかえってますます増すばかり  瀬戸内寂聴訳 講談社)
  さらに、六条院の夏の館には、花橘や薔薇、竜胆にならんで撫子を植えている。そもそも『常夏』の巻などは、夕顔の遺児、玉鬘に由来している巻名なのでもあるのだ。この他に『乙女』の巻などにも出て来る。これほどしばしば顔を出す花も珍しい。

  今この文章を書いている間に、鉢植えの撫子が二輪目の花を開いていた。

  最後に芭蕉の句を上げて、撫子礼賛を閉めることにしよう。
  『酔うて寝ん 撫子咲ける石の上』



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