源氏物語

源氏物語たより549

 ←源氏物語たより548 →源氏物語たより550
     「なくてぞ」 藤壺宮の死(2)  源氏物語たより549

  光源氏の母・桐壷更衣は、「やむごとなき際」ではなかったのだが、桐壷帝の過度なまでの寵愛のために、他の女御・更衣の嫉視や敵視、恨みや憤りを買うことになってしまった。そして彼女たちの陰湿ないじめに若くして命を落とす結果となった。
  ところが、亡くなってみると、心ある人たちは、更衣の
  『さま・かたちの、めでたかりしこと、心ばせのなだらかに、めやすく、憎みがたかりし(こと)』
を今になって思い出すのである。様子や容姿が美しく素晴らしかった、気立てが温和で感じがよかったということである。また、帝付きの女房たちは、彼女の
  『人柄のあはれに、情けありし御心』
を恋い忍びあうのである。この「あはれ」は「慈悲深い、情愛が厚い」という意味で、「情けありし」と同じである。それをあえて重ねたことで、更衣の人となりを強調したものである。
  作者はこのような人の心の動きを
  『「なくてぞ」とは、かかる折に(言うのでは)やと見えたり』
と評している。これは「源氏物語釈」(平安末期の源氏物語研究書)に載っている次の歌から引いたものである。
  『ある時はありのすさびに憎かりき なくてぞ人は恋しかりける』
  (生きている時は、何かにつけて憎く思ったりしたものだが、さてその人が亡くなってみると今更に恋しく思われてならない)
  桐壷更衣が生きている時には、帝のあまりの寵愛に、憎く思えて仕方がなかったのだが、いざ亡くなってみると、更衣のあれこれがみなよく思い出され、恋しくてならないということである。このような現象は現代でもよくあることで、隣人が不慮の死などを遂げた時に、死者に関する感想を聞くと誰もが
  「ああ、あの人はとてもいい人でした。明るくて人づきあいがよく、誰からも好かれていましたよ。人から恨まれるなど、とてもとても・・」
などと答えているのと同じで、死によって悪いところなどが人々の意識から浄化されてしまうのだろう(社交辞令も多分にあるが)。

  藤壺宮(以下 宮)の死後の評価もまた特別に高いものであった。宮は桐壷更衣とは違って、帝の娘として生まれたから、桐壷帝がいかに寵愛しようとも、弘徽殿女御以外は、誰も憎んだり恨んだり嫉妬したりする者はいなかったが、それにしても高い評価を受けている。まずは
  『世のためにも、あまねくあはれにおはしまして』
と評価されている。この「あはれ」も、桐壷更衣の場合と同じで、「慈悲深い、情愛が厚い」ということである。しかし宮の場合は「世のため」である。宮を取り巻くごく少数の人々に対してだけではない。世間の人全体に対して宮は「あはれ」であったということである。更衣とは格が断然違う。これについて語り手はこう付け加えている。
  「だいたい権門・勢家になると、人の苦しみになるようなことを自然にしたりしてしまうものだが、宮に関してはそういうことが一切なかった。人の苦しみとなるようなことは自らこれを禁じた」
  さらに、仏事・供養などの行事でも、権門・勢家の者は、他の者が勧めるにしたがって、大層壮麗にしたり目も綾にしたりするものだが、宮は、これだけはどうしてもという仏事・供養に絞り、これを執り行い、しかもすべて自分の所得の中から慎ましく営まれた、と褒めあげている。
  したがって、何の考えを持たないような山伏(山野で修行する僧)でさえ、宮の死を惜しみ申し上げたという。まして殿上人などは誰もが悲しみに沈み、
  『もののはえなき春の暮れ』
になってしまったという。

  宮は、皇后になり皇太后にもなられた方で、一介の更衣と並べてしまっては恐れ多いのだが、それにしても褒めすぎなのではあるまいか。例の「源氏物語を読む会」でも、ある会員から疑問が出された。
  「極まりなく高い身分に生まれた育ったお姫様は、自分の部屋から出ることなどほとんどなかったのではないでしょうか。それなのに「人々に対して慈悲深かった」などという評価がどうして出来るのでしょうか」
  至極当然の疑問である。これが源氏の目から評価されたものであるのならば、十分納得できるのだが、地の文(語り手)で言われているのだから、「それほどの方だったの?」ということになってしまう。

  物語の中で、藤壺宮がどのように優れた女性であったかが、具体的に描かれることはほとんどない。しかもその評価もみな、宮に惚れきっている源氏の目を通したものであるのだから幾重にも差し引かなければならない。
  美しい女性であったことに間違いあるまい。桐壷帝が一気に籠絡されたのだから。源氏などの目にあえば、宮は
  『なつかしうらうたげに、さりとてうち解けず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させ給はぬを、などなのめなることだにうち交じり給はざりけん』
と言うほどに理想化されてしまう。「なのめなること」とは、欠点とか不十分な所ということで、宮にはそれが一切ないというのだから、人間を超越した女性で、神格化さえされてしまっている。 
  この贔屓の引き倒しは別にして、語り手の評価は客観的なものであるはずである。あるいは、宮は、皇后として、かの光明皇后のようなことをしていたのかもしれない。自分の所得の中から、悲田院、施薬院のようなものを造って、世の人々を救うというような行為を、である。だからこそ状況もよく知りもしない「山伏」まで、宮の死を惜しみ聞こえたのだろう。ただ、光明子のように、「病気の民の体を洗ってあげたとか、膿を・・とか」まで書いてしまうとあまりに生々しくなってしまって、物語としての夢が消えてしまうので、省略してあるのだ。

  いずれにしても、藤壺宮の場合は、「なくてぞ」ではない。死の前から彼女の日ごろの行いが人々に感動を与えていたのだ。弘徽殿女御も、桐壷更衣の時のような抵抗を見せることがなかった。宮は、自分よりはるかに遅れて入内したのだし、その者が中宮の位をさらってしまったのだから、屈辱感も深く憤りも甚だしかったはずである。しかしそのことがあまり描かれていないということは、宮の人となりが、弘徽殿女御の思いなどをはるかに超越した資質を備えていたからでもあろう。
  源氏が、宮に惹き込まれていったのは、子供心にそんな理想的な女性の姿を鋭く感じ取っていたからではなかろうか。単に自分の母親(桐壷更衣)に似ていたからとか、母恋しさからとか言うのでは、彼の異常なほどの宮への執心が理解できない。 
  源氏は、単に恋しい人をなくしたのではなく、誠に偉大な存在を失ったということである。だから、二条院の庭に桜が咲いているのを見て、
  「桜よ、今年だけでも、この墨染めの衣と同じ色に咲いてもらいたい」
と哀しみの大きさを特別の表現でひとりごつのである。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより548】へ
  • 【源氏物語たより550】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより548】へ
  • 【源氏物語たより550】へ