源氏物語

源氏物語たより550

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    夜居の僧はどこまで真実を  源氏物語たより550

故藤壺宮(以下 宮)の四十九日が過ぎたころ、宮が常に召していた夜居の僧が、冷泉帝の出生の秘密を、こともあろうに当の冷泉帝に奏し始めてしまった。

   夜居の僧とは、健康・長寿や生活の安寧・祥福などのために、夜分貴人などに詰めて加持・祈祷をする僧のことである。
  この僧は、宮の母后(桐壷帝の前の帝の后)の時から、代々召されて夜居の僧を勤めているというから、内裏に絶大の信頼があったのだろう。彼の僧位は僧都だという。僧都の上には僧正がいるから、最高の位と言うわけではないが、それでも比叡山では高位の僧にあたる(僧都の下が律師)。
  宇治十帖に登場する「横川の僧都」は、『往生要集』を著わした恵心僧都源信がモデルであると言われている。源信は、権少僧都の位を授けられたが、
  「お前を僧侶にしたのは、高い位につかせるためではありません」
と言う母の諌めがあったので、その翌年にはすぐ位を返上してしまったという話がある。
  この夜居の僧は、「年、七十ばかり」というから相当の高齢である。古墳時代の平均年齢が30歳、室町時代が35、8歳というから(新潟県十日町博物館資料より)、平安時代は三十三、四歳と言うところであったろうか。したがってこの夜居の僧は現代で言えば九十歳は優に超えていることになる。
  
   さて、このように位も高く高齢であることからすれば、経験豊かで思慮・分別も十分なはずであるが、源氏と宮との間の絶対の秘密であった不義・密通をなぜ冷泉帝に直接奏してしまったのだろうか。信じられないことである。彼の真意は何だったのだろうか、また帝に奏しなければならない必要性があったのだろうか。さらに、彼は二人の秘密をどのようにして知り得たのか、またそれはどの程度の真実性があったのだろうか、などなどまことに疑問の多いことばかりであるが、それらについて検証してみたいと思う。
   そのことがあったのは、宮の四十九日も過ぎた、静かなあか月の夜であった。里に帰ってしまった者などがいて、帝と夜居の僧の近くには、誰も控えていなかった。彼は、突然帝にこう奏し始める。
  『いと奏しがたく、かへりては罪にもや、まかり当たらむと思ひ給へはばかる事多かれど、しろしめさぬに、罪重くて、天の眼おそろしう思ひ給へらるることを、心にむせび侍りつつ、命終わり侍りなば、何の益かは侍らん。仏も「心汚し」とや思し召さん』
  「大変申し上げにくいことでございまして、申し上げますと罪を受けることになるかもしれませんが、帝がこのことをご存じないというのも、また罪の重いことでございます。私にとっては天の目も恐ろしゅうございますし、申し上げず、うじうじしながら命を終わってしまいましたら、何の意味もなくなってしまいます。それにこのまま何もせずにいますと、仏も「心汚い奴よ」と思われるのではないかと・・」
  奥歯に物が挟まったような、もったいぶったような言い方で、帝をいらいらさせる。帝が先を促すと、思いもしないことを言うのであった。
  それは過去未来に渡る一大事で、故桐壷院や故藤壺宮様、あるいは現在世を総べていられる光源氏様に関わることである、と言う。そしてついに宮が孕まれた事情にまで話は至る。
  藤壺宮様は、御子を孕まれた時に大層な御心配とお嘆きで、私に加持・祈祷をおおせつけなさいました。この間、光源氏様も罪なき罪を得て、京を去らねばならないという事件まで起きてしまい、藤壺宮様の御心配・お嘆きは、恐れ慄きとなって、私に更に一層の加持・祈祷を申し付けられたのでございます、この加持・祈祷はあなた様が位にお就きになるまで続きました、と言うではないか。
  その宮の加持・祈祷の願いの内容を僧は
  『くわしう奏する』
のである。
 
  ここで不思議に思うのは、加持・祈祷の願いの内容とはいかなるものであるのかということである。願いの内容をある程度具体的に夜居の僧に告げて祈祷してもらうのではあろうが、宮の場合は、あまりに事が大きすぎる。たとえ相手が信頼できる僧であったとしても、曖昧にせざるを得ない部分が多い。すべてを伝えることなどどうして出来よう。
  教会などでも神父を前にして「懺悔」を行うようであるが、自分の罪のすべてをあからさまに語ってしまうことなどはあるまい。誰でも隠す部分があるはずだ。
  現にこの僧も、宮から加持・祈祷を頼まれた時の内容については
   『詳しくは法師の心に、え悟り侍らず』
と言っている。まさか宮は
  「孕んだこの子の父は、実は光源氏さまでして」
などと言うはずはない。にもかかわらずこの僧は、故桐壷院と故宮と源氏に関わることだと言い切っている。だからこそ、僧の話を聞いた冷泉帝の驚きは一通りではなかったのだ。
   『あさましう、めづらかにて、恐ろしうも悲しうも、さまざまに御心乱れたり』
というほどの狼狽えぶりで、秘事・密通をすべて知ってしまったように表現されている。しかしそんなことはあり得まい。
  恐らく、この僧は、妊娠された時の宮の恐れ慄きがあまりに激しかったので、これは「一大事」と想像し、願文などとも照らし合わせて、宮と源氏の秘事・密通にたどり着いたものであろう。

  それではなぜそれまでして、帝に秘事を伝える必要があったのだろうか。その理由を彼はこう言っている。
   『天変しきりにさとし、世の中静かならぬは、このけなり』
   今、天変地異が盛んに起こっているのは天啓であって、世の中が静かでないのもみなこの事に起因している、それも帝が今まで幼く、なんの弁えもなかったからよかったのだが、こうして立派に成人された現在では、何もかもよく弁えが付くようになっていられる、そこで今こそ天が、帝に対して咎を示しているのだ、それなのに帝が何の罪かも知らずにいるということは、誠に恐ろしいことである、したがって私はこうして奏上するのである、というのである。
  なんともおどろおどろしいことで、現代人には全く理解不可能なことである。それにしても七十歳にもなった高僧が、天変地異と秘事とを結びつけるなど、甚だ浅慮なことで無責任なことではないか。

  ここで一番問題なのは、天変地異や世の中の騒擾が、宮と源氏の不義からきたものであるとしても、それを知ることが、帝にとってどういう意味を持つのかということである。ところが、それについては、この僧は一切語ろうとしない。これでは帝はどうにも手の打ちようがないではないか。無責任の極みと言うしかない。
  大事なことは、冷泉帝が正当な天皇でないということである。源氏は確かに天皇の子供である。しかし疾うに臣下の地位に落ちている。帝はその子供であるのだから、天皇の系譜からは随分隔たってしまった。これは、万世一系を貫いてきた日本の天皇制の最大の恥辱に当たる。それこそ天の咎が下っても仕方がなかろう。
  だから、この夜居の僧の最善の務めは、事が発覚する前に、
  「一刻も早く春宮に譲位しなさい」
と勧めることであったはずである。

  冷泉帝は、「譲位」を考えた。ところが、やはり彼は十四歳という若い帝に過ぎなかった。譲位を「源氏に」と考えたのである。彼がそう考えたのは、万世一系などと言うおおそれたことではなく、実の父を臣下としていたことに対する申し訳なさと恐ろしさからである。儒教の「孝」の精神と言えよう。ところが、この申し出は源氏に一蹴されてしまう。当然で、そんなことをしたら世間の目が動き出す。都知事どころではない。

  要するに、この夜居の僧の忠告は何の意味もなかったということである。僧侶の浅はかさや俗物性については何度も書いてきたが、この夜居の僧も、またその典型的な一人と言える。長く内裏で尊崇されてきた僧とは、信じ難い。
  「源氏物語を読む会」で、ある方が
   「冷泉帝を鍛えるためではなかったかしら」
と言われたが、どうもその様子もない。ただ、源氏に訴えかける帝が可哀想である。
  『天の下もかくのどかならぬに、よろづ慌ただしくなん。故宮の思さむところによりてこそ、世間のことも思ひ憚りつれ。今は心安きさまにても、過ごさまほしくなん』

   この夜居の僧の事件は、その後の物語の展開に全く影響を与えていない。ここだけで終わってしまっている。
  どうやら紫式部が物語に波乱を付けようとした策略に、我々読者が乗せられてしまっただけのような気してならない。



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