源氏物語

源氏物語たより552

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     光源氏の物語論   源氏物語たより552

  五月雨が例年より長く続いていて、鬱陶しい毎日のつれづれを紛らわそうというのであろうか、女性方はどこでも絵物語を読むことに明け暮れている。光源氏が、玉鬘の所に寄ってみると、ここでもご多分にもれず絵物語に余念がない。見たり、読んだり、あるいは書き写したりすることに夢中になっている。
  まして玉鬘は、長いこと京を離れていたので、このような絵物語が珍しく、絵物語の内容と自分が異郷で過ごしてきた境遇(物語に出て来るような危機的体験)とをひき比べたりして、読み、そして書き写すことに没頭していた。
  そんな様子を見た源氏は、冗談交じりにこんな苦言を呈する。
  『あな、むつかし、女こそものうるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらの中に、まことはいと少なからむを。かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移しはかられ給ひて、あつかはしき五月雨髪の乱るるも知らで、書き給ふよ』
  [語意]  むつかし=鬱陶しい        ここらの中=多くの物語の中
        まこと=事実、ありのまま     すずろごと=つまらないこと、他愛もないこと
  随分女性を侮ったような言いぶりであるが、一つには、源氏は愛しい玉鬘の関心を一気に引こうと思いもあったのだろう、笑いながら声をかけている。それに、当時は、物語と言えば「女・子供専用の慰みもの」という背景もあり「、玉鬘もやはり同じ」という思いもあったのだろう。
  それにしても、「事実でもない絵そらごとに心を奪われ、この暑苦しい五月雨の中、夢中になって物語を読んだり書き写したりしている女というものは、まるで物語の作者に欺かれるがために生まれて来たようなものだ」とは毒舌ともとれる言い草である。
  「まことはいと少なからむを」の「を」は、感動・詠嘆の意を表す助詞で、「多くの物語には、事実・真実など少ないというのになあ」という詠嘆である。物語はもともと「作り事」であるというのに、それを知りつつ夢中になるとは」と呆れているのである。
  ということは、源氏は「事実こそ尊い」と言いたいのだろうか。

  源氏は、それにしても少し言い方が強くなってしまったと、反省したのだろう、今度はトーンを和らげてこう言う。
  「もっともね、こういう古物語でもないと、他にはこの頃の長雨のつれづれを慰めてくれるものもないからな。
  これらの作り事の中には、「いかにもそんなこともあるかも・・」と思わせるような記述があったりして、他愛ないこととは知りながら、思わず心惹かれることがあるものだよ。
  大仰な表現に目を見張ったりすることもある。しかし後でよくよく考えてみると、「なんだつまらぬ」などと思ったりしてね。
  それにしても、読者の興味をいたく惹くそういう物語を見ていると、この世には随分話のうまい者がいるものだとつくづく思うよ。嘘をつきなれた者の口から出るものなのだろうな」

  源氏の勝手な感想や喋りを聞いていて、いささかカチンと来たのだろう、玉鬘はこう反撃する。
  『げに偽り馴れたる人や、さまざまにさも酌み侍らむ。ただ、(私には)いと「まことのこと」とこそ思う給へられけれ』
  この玉鬘の言葉は厳しい。ごく一般的なことを言っているようであって、実は、この「偽り馴れたる人」とは、源氏のことをそれとなく指しているのである。玉鬘の魅力に身も心も惹かれている源氏は、ことあるごとに彼女に、あることないこと、よこしまな言葉を掛けては彼女を困らせている。そんな源氏に日ごろから腹に据えかねるものがあったのかもしれない。
  まして、今は物語に夢中になっている最中で、そのさわりの部分を書写までしているというのに、余計なケチを付けるとは、という不満があったのだ。誰でも自分が夢中になっていることに対してちょっとでも水を差されたりすると、不快になるものだ。玉鬘の反撃もむべなるかなである。
  「源氏さまは、嘘だ、空ごとだ、とおっしゃいますけれども、私には本当のことって思われるのですからね。嘘をつき馴れていらっしゃるお方には、そんなふうにばかり汲み取れるのかも知れませんね」

  この鋭い反撃に、さすがに真剣になった源氏は、いよいよ彼の持論である物語論を冗長に展開し始める。
  「少々物語を悪く言いすぎてしまったようだね。物語は、神代の時代から、この世にあったこと(事実)を書き記しておいたもののようですね。物語に比べれば、歴史書などは、この世の事実のほんの一端(一部分)を記したものにすぎません。これらの物語にこそ、人の生きている真実が語られているのですよ」
  なんと、先ほどの話とは百八十度変わってしまって、物語鑽仰に急展開してしまった。
  確かに歴史書というと、事実が書かれていると思ってしまうものだが、それは全くの誤解である。「日本書紀」などを見れば、このことはすぐ理解できることである。どんな史書も、作者は、それを書かせた為政者の意向におもねるもので、「栄花物語」や「大鏡」などがそれをよく表している。歴史書には、当然事実もあるが、虚偽もあるし誇張もある、省略もあるし付け足しもあるのだ。
  それに、どんなに膨大な歴史書でも、世に起こった事実のすべてを記載するなど不可能なことである。だから、所詮歴史書は「片そば(一部分)」の記述に過ぎないのだ。
  その意味では、むしろ物語の方が人間の真実の姿を描いているといっていいかもしれない。

  いよいよここから彼の物語論が佳境に入っていく。
  「そもそも物語というものは、一人の人物の姿をありのままに何もかも描こうというものではない。その人の特に興味あることをクローズアップして、どうしても後世に残しておきたい、自分の心一つには秘めておくことができないと思って、書き遺すというのがそもそも物語の始まりなのである。
  そのために、良い面はますます良い材料ばかりを集めて書き、悪いこともまた然りで、そんなことはありそうもないというほどにまで誇張して描くこともある。
  これは外国(中国)の物語も同じで、所や時代によって変わってきたりする日過ぎない。物語の内容の深さ・浅さは別として、要は表現技法の問題なのである。だからと言って、物語の内容をみな作り物だ、嘘だと決めつけてしまうのも間違っている。つまり物語というものは、随分大げさに書いてあるようでも、それは方便にすぎない、ということである。
  いずれにしてもこの世にある事実を、さまざまな技法を駆使して描こうとするもの、それが物語である。そしてそれは畢竟、人の生き様の真実を語ろうというのが目的なのである。(この部分は、多分に筆者(私)の意訳になっています)」

  ここで源氏は、物語のありようについて自己の思いを熱く語っているのだが、もちろんそれは紫式部の物語に対する熱い思いの吐露である。「女・子供の専用」であった物語を、その域から別次元に導こうという強い意志が彼女にはあるのだ。
  ここには、従来尊重されてきた歴史書なに者ぞ、漢詩文なに者ぞ、という気概が横溢している。
  
  「光源氏」のような万能で理想的な人物はこの世にはいない。確かに作り事である。しかし「いて欲しい」と思うのもまた人情である。それに、源氏の能力・才能は、個々に分解すれば、この世にそういう個々の能力や才能を持った男がいないわけではない。その個々の部分を繋ぎ合わせたものが光源氏だと思えばいいのだ。だから、光源氏という人間はまったくの絵そらごととは言えないのである。大仰な人物を設定して、そこに人間の本性や真実を描こうとしているのである。
  源氏物語は、空想物語でも怪奇小説でもない。確かに、この物語にはいくつかの現代では信じられない相人や宿曜による「占い」がある。しかし、それがなくても、物語は見事に、また必然的に進んでいて、現実の世界に起こる実と何の変りもない。

  「更級日記」の作者が、明けても暮れても部屋に引き籠ってこの物語に読みふけったのも、そこに人間というものの本性や真実の姿が潜んでいるからである。
  ある時、藤原公任が
  『あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ』
と言って紫式部を探し回ったという話が「紫式部日記」に出ている。この話は、女・子供専売であった物語が、そこからはるかに超越していたことを表しているのだ。つまり、大納言である藤原公任のような最高の貴族さえ、源氏物語に心酔していたということである。当然他の多くの貴族も夢中で読んでいたのだろう。それでなければ、公任の機智は通じない。
  『蛍』の巻のこの物語論には、紫式部の物語の地位向上の思いが迸り出ている気がする。当時の社会に、物語よりもはるかに重んじられていた歴史書をも、くたしてしまう彼女の気概があったからこそ、不朽の名作ができ上がったのだ。 
  
  なお、この件については、今井源衛が、『源氏物語への招待』(小学館)の中で、広い視野からわかりやすく解説している。今井の文章はいつも平明で、源氏物語を読む者にとっては格好の参考書といえる。同じ源氏物語の碩学(せきがく)である秋山虔の文章は、内容的には優れているのかもしれないが、時に光源氏の論理のように難解になる部分もある。 


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