スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより554 →源氏物語たより556
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより554】へ
  • 【源氏物語たより556】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより555

 ←源氏物語たより554 →源氏物語たより556
     惑乱する冷泉帝   源氏物語たより555

  夜居の僧も、言わずもがなのことを言ってしまったものだ。実の父親が光源氏だと知った冷泉帝の驚きと困惑は計り知れないものがあった。
  そもそも夜居の僧が打ち明けなければならなかった根拠というものも、まことに現実離れしていて、理由としては脆弱で、冷泉帝がどうしても知らなければならないこととはとうてい考えられない。
  紫式部や清少納言は、どうも僧というものをあまり信頼していなかったようで、彼らの俗物芬芬たる姿や思慮の浅さを、枕草子や源氏物語は嘲笑気味に描いている。枕草子の第124段は、「はづかしきもの」の例を集めた文章である。その中に次のような事例が上げられている。
  『夜居の僧は、いとはづかしきものなり。若き人々(女房たち)集まりゐて、人の上を言ひ笑ひ、そしり憎みもするを、(僧は)つくづくと聞き集むらん、心のうちはづかし』
  「はづかし」という言葉は、現代語の「恥ずかしい」の意味とは若干ずれがあって、「気が引ける」とか「気が置かれる、気詰まりである」とか「こちらが恥ずかしくなるほど相手が立派だ」いう意味で使われている。この場面の「はづかし」は、解説書によってさまざまで、「頭が上がらない(角川文庫)」とか「気おくれがする(小学館、岩波書店)」などと訳しているが、今一つしっくりこない。私は、この場合は、「気詰まりである」が妥当ではなかろうかと思っている。
  夜居の僧の存在が気詰まりであるということは、できればそこに居て欲しくないということである。
  夜居の僧が、主(中宮定子か)のために夜を徹して加持・祈祷をしているのだが、若い女房連中は加持・祈祷などには関心もないのだろう、自分たちの話に夢中になっていて「人の悪口を言ったり、人を非難したり、恨み言を言ったり、あるいは嘲笑したり」の勝手気ままな振る舞いをしている。その様子を夜居の僧は
  「つくづくと聞き集むら」
というのだから困ったものである。「つくづく」とは、じっと耳を澄まして、ということで、女房たちがしゃべっていることの一部始終を、じっと耳を澄ませて聞き取ってしまうというのだ。こういう僧はどうせ別の所に行って、
  「中宮様お付きの女房たちは、誰それの悪口を言っていた、何某を非難し、また恨み言を言っていた」
などと吹聴するに決まっている。傍らで女房たちの勝手な話を聞いていた者にとってはたまらない。「ああ、嫌な僧。この僧、いなければいいのに・・」というのが本音だったろう。
  その他にも僧侶を悪しざまに描いている例が多い。

  藤壺宮の加持・祈祷をした夜居の僧は、これらの僧よりもはるかにたちが悪い。宮が「この僧なら秘密を打ち明けても大丈夫」と思って、源氏との秘事(密通)を伝えたのだろうに、それをこともあろうに、その密通によって生まれた当の子(冷泉帝)に漏らしてしまうとは、信じられないし許されないことである。しかも、漏らさずにいられなかった根拠というのが、誠に浅はかなことなのである。またこの夜居の僧個人の心配ごともその中に入っているのだから、中宮に召される僧とは思えない。彼が言う根拠は、
  「今、盛んに天変地異が起こっているのは、帝が事の真相を知らないがためである」という、何とも現実離れしたお粗末な理由なのである。しかも
  「この秘事を知っているのは、自分と王命婦(源氏を宮の所に手引きした女房)だけなので、私が、帝にことの真相を知らせないまま、命が終わってしまったとしたならば、私の後の世において受けるであろう罪があまりにも重く、恐ろしいのです」
というもので、自分の来世を心配するという身勝手さから出ているのである。
  結局この僧は何を帝に言いたいのかが全くわからない。曖昧模糊として雲をつかむような話なのである。彼が、帝に言わなければならなかったことは、次のようなことではなかったのだろうか。
 ○ 実父である光源氏を臣下として仕えさせているのは問題である
 ○ 「四恩(父母、衆生、国王、三宝)」を忘するべからず
 ○ 天皇の子供でもない者が、帝位についているのは大変な問題である
  しかし、彼は何一つこれらについて触れず、ただ、「天変地異は天啓であって、帝が事の真相を知らぬが故である」と言うだけで、まるで子供だましのようである。  
 
  夜居の僧の打ち明け話に驚いた冷泉帝は、茫然自失で、夜の御座からさえ出られなくなってしまった。彼の頭の中に、今まで実の父と思っていた故桐壷院や、故母の藤壺宮、あるいは源氏のことが、渦巻きのように去来する。何しろまだ十四歳の若き天子である。あれこれ考えを巡らしはするが、良い解決方法など見出せるはずはない。

  帝が悩んでいると聞いた源氏は、驚いて参内する。確かにいつもと違う帝の様子である。悩み切った帝は、ついに譲位の意思のあることを伝えてしまう。源氏は
  「夜の中が乱れるのは、必ずしも政治や帝のいかんではない・・」
などと、諌め諭す。まさか帝が、事の真相をここまではっきり知ってしまったとは思いも寄らないので、一般論で諭すしかない。

  帝が、一番悩んだのは、天皇の子でもない者が、帝位に就いた例があるかということ、また親の不義のよって生まれた子が、帝位に就いた例などあるかということである。源氏に直接聞くわけにもいかず、彼は、俄然歴史書を紐解き、必死で御学問を始めた。その結果、分かったことは、「みだりがわしきこと(皇統の乱れや不義を言うか)」は、
  唐(中国)には、はっきりした例や内密にされている事実がいっぱいあるということ
  日本の国には、まったくないこと
であった。中国の例とは、秦の始皇帝のことなどを指すのであろう。始皇帝は、実は、楚王の子ではなく、丞相・呂不韋(りょふい)の子であったと言われている。
  日本には例がないのは当然で、
  『かやうにしのびたらむ事をば、いかでか伝え知るやうあらんとする』
からである。こんな秘事は、たとえあったとしても、わざわざ歴史書に残すはずはないというのである。
  恐らく現実にはいくつかの例はあったであろう。源氏物語の中でも、女御・更衣と宮仕えする男の恋の話が載っているし、「伊勢物語」には、在原業平と二条后(藤原高子 清和天皇の后)の恋も出ている。ただし、業平の恋は、二条后が清和天皇に入内する前の話なので、セーフということになる。
  ずっと後に、崇徳天皇の例がある。この天皇は、鳥羽天皇の子となっているが、実際には白河天皇(鳥羽天皇の祖父)の子であったと言う。したがって、鳥羽天皇は、この崇徳天皇を嫌い、無理に近衛天皇に譲位させてしまった。このことが後の保元の乱の一つの原因であったとも言われている。
  125代もの天皇がいるのだ。こともなしに皇統が続き現代に至っているとは思えない。むしろ「こともなし」と考える方が不自然であろう。もし当時「週刊文春」があったら、話は別になっていたかもしれない。

  次に、冷泉帝は、源氏に譲位することを思い付き、そういう例がないか、さらに史書を漁りまくるのである。すると、
  『一世の源氏、また納言・大臣になりて後に、さらに親王にもなり、(帝の)位にも就き給へるも、あまたの例ありけり』
ということが分かった。光源氏は、桐壷帝が、彼の身を慮って臣籍(源氏)に落としたのである。これをいわゆる「一世の源氏」と言う。臣籍から親王に戻り、天皇になった例は多いと言う。このことについて、岩波書店の「源氏物語」はこう注釈している。
  「臣下になって後、改めて親王宣下の例には、是忠親王、是貞親王、兼明親王、盛明親王などがある。親王よりただちに即位の例には、光仁、桓武、光孝、宇多などの天皇がある」
  確かに「あまたの例あり」である。中でも光孝天皇の即位は、奇跡的な経過を踏んで実現したものである。さらに光孝天皇から、その子の宇多天皇に移る時は、まるでドラマを見るような慌ただしさであった。この歴史上の事実は大層面白い。
  このことを知った帝は、ついに源氏にその考えをほのめかしてしまう。聞いた源氏が目を丸くする。
  「さらにあるまじき由」
を彼は懇々と帝に説いて聞かせるのである。
  これは源氏の言うことが正しい。叔父や祖父の兄弟に譲位した例はあまたあるが、子が親に譲位した例は、日本の歴史上皆無である。

  源氏物語は虚構の物語である。しかし嘘八百の空想物語ではない。紫式部は、源氏物語を、歴史の事実から不即不離の関係を保って展開させるべく細心の注意を払っている。読者に「所詮、女・子供の慰めものでしょ」と言われないようにするためだ。物語に、紀貫之や伊勢や実在した絵師、あるいは菅原道真や宇多天皇などが、それとなく顔を出すのはそのためである。そのことで物語に現実性を持たせ、
  「この物語は、間違いないこの世に起こった話なのです」
ということを暗示しているのである。
  この場面では、紫式部は、宇多天皇を登場させたくてたまらなかったのではなかろうか。宇多天皇は、源氏姓を賜っていて「源定省」と言った。父・光孝天皇が、歴史の歯車の狂いから急きょ即位し、四年の後に亡くなるについて、その直前に、源定省を親王にし、直ちに東宮に立てている。この間のことを「大鏡」はこう記している。
  『元慶八年四月十三日、源氏になり給ふ、御年十八。仁和三年丁未八月二十六日に、春宮にたゝせ給ひて、やがて同日に位につかせ給ふ、御年二十一』
  「やがて」とは「そのまま」という意味で、春宮に立ったその日にそのまま天皇の位に就いたという慌ただしさだったのである。(事実は少々違うようではあるが)
  宇多天皇の次が醍醐天皇で、この醍醐天皇は、桐壷帝のモデルと言われている人物で、まさに源氏物語の舞台の人であった。つまり、源氏物語の舞台の直近に「一世の源氏云々」の例はあったのである。だから、紫式部の頭の中には、この宇多天皇がぶんぶん飛びまわっていたかもしれない。しかしそれを生々しく物語に登場させるのは、おそれ多い。

  冷泉帝の困惑は、思わぬ歴史の御学問になってしまった。そこから学んだ彼の結論は、源氏に譲位するということであったが、それはあまりに思慮のないことであった。もしこんなことが実現したら、世間は天地をひっくり返した大騒ぎになる。そのセンセーショナルなさまは、光孝天皇や宇多天皇の比ではない。源氏が即位などすれば、結局は、源氏と藤壺宮の密通露顕に至ってしまうというのに。十四歳の天皇には、問題が大きすぎた。ここまで帝を惑乱させた夜居の僧の罪は重い。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより554】へ
  • 【源氏物語たより556】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより554】へ
  • 【源氏物語たより556】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。