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源氏物語

源氏物語たより557

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     それぞれの病   源氏物語たより557

  「後期高齢者」とはよく名づけたものである。当初こそ、何か人権を無視したような、「お前はもう終わり」というような命名に、何かもっと情の籠った優しいネーミングはないものかと思ったものだが、その歳になってみると、やはり的を射た命名だと感心しないでもない。
  ここのところ、とかく病勝ちで、しかも長引いてなかなか治らない。腰の痛みは既に十年越しになるが、それに、ここにきて喉をやられ、喉の痛みと声嗄れがひどい。さらに数日前、激しい眩暈(めまい)に襲われて救急車で病院に運ばれるという不面目も味わった。三日間、日ごろ食べたこともないような病院食を味わった。МRIで脳を調べたが別に異常はないと言う。原因不明のまま今もなお地球が回っているような感覚が残っている。腰、喉、眩暈の三重苦で、ヘレンケラーの心境である。

  源氏物語にも病が出て来る。
  まず、『帚木』の巻では、光源氏の母・桐壺更衣の病と死が描かれる。明らかに、他の女御、更衣からの圧迫やいじめ・嫌がらせによる精神的打撃である。とともに帝の度を過ぎた寵愛も、彼女の命を縮める拍車となった。彼女は二十歳そこそこのはずであるし、三歳の源氏を残して世を去らなければならなかった無念は、計り知れないものがある。死の間際の
  『限りとて別るゝ道の哀しきに いかまほしきは命なりけり』
の絶唱は、他人事ならず涙を催す。人は、誰でもいくつになっても、もっと生きたいものなのである。「命」ほど愛おしいものはない。

  夕顔の死は劇的である。源氏と睦まじく契っていたその夜、突然死んでしまった。「突然死」とは、発症から24時間以内に死亡に至るもので、急性心筋梗塞、狭心症、心不全などを言う。いずれにしても循環器系のトラブルである。
  彼女付きの女房の右近が言うには、夕顔は、
  『ものおぢをなん、わりなくせさせ給ふ御本性』
であった。源氏は一か月もの間、夕顔の家を訪ねていたのだが、自分の素性を明かすことがなかった。彼女の家の者共々、得体のしれない源氏に胡散臭いものを感じていた。ただ、手触りでもわかる高貴なお方という印象に任せて、六条の廃院に導かれるままについて来た。
  この廃院がまた広大な邸で、木は茂るに任され、池には水草が繁茂したままの、け恐ろしい雰囲気のところであった。そんなところで、源氏は冗談を言う。
  『けうとくもなりにける所かな。さりとも鬼なども我をば見許してん』
  夕顔に異変が表われたのは、宵過ぎる程であった。今で言えば10時か11時ころであろう。症状はこうである。
  『いみじくわなゝき惑ひて、・・汗もしとどになりて、われかの気色』
  「われか」とは正体を亡くした状態のことである。その後に源氏が彼女の体を探ってみたが、息もせず、引き動かしてもなよなよとしているばかりである。この症状を医者に言ったらどんな病名を言うだろうか、突然死には間違いないのだが。私の従兄弟が循環器専門の医師なので、今度聞いてみようと思っている。
  夕顔は、二十歳そこそこである。簡単に死ぬ歳ではない。ただ先の右近の話では、「もの怖ぢをわりなくせさせ給うふ御本性」ということだから、この辺に死因を見つけ出すことができるかもしれない。つまり、まだよくも知れない源氏に深く愛されていることに間違いはないのだが、今後のことを考えれば心配でたまらない。いつ捨てられることか、いつ相手は消えてしまうことか。そんな不安な気持ちを抱いて、け恐ろしい廃院にやって来た。源氏は「鬼云々」と脅す。
  直前には、激しい性の営みがあったはずである。不安と歓喜とが入り混じって、もの怖ぢをわりなくする夕顔の心臓は、はちきれてしまった。

  『若紫』の巻には、源氏自身の「わらは病み」が出てくる。この病気は現代では何の病気か特定はできていないようだが、間欠的に熱が出るという。そこで、蚊が媒介する「マラリア」ではないかとも言われている。ただ、「この時期にはまだ蚊が出ていないのでは」などと言う意見もあって、定かになっていないようである。「里の桜は散ってしまったのに、北山(鞍馬山辺りか)にはまだ桜が残っていた」とあるから、今で言えば、四月の終わりころであろう。さてこの時期に蚊がいるかどうか。我が家には冬でもいるのだが。
  源氏は、北山の霊験あらたかな僧(いと尊き大徳)に加持をしてもらっている。
  『さるべきもの作りて、すかせたてまつり、加持などまゐる』
とある。「すかせ」というのは、「すく(食く)」に使役(尊敬か)の「せ」がついたもので、飲ませるということ。「さるべきもの」とは、岩波書店の「日本古典文学大系」には、「加持の時の本尊の種子を書いた紙片、すなわち護符である」とあるが、紙に加持の時の本尊、例えば不動明王などの名を書き、それを患者に飲ませることらしい。そんなものを飲まされて病気が治るとは思われないのだが、とにかくこの大徳、去年の夏、わらは病みが流行した時に、
   『人々、まじなひ患ひしを、やがて(すぐさま)とどむるたぐひ、あまた侍りき』
というのだから、大した法力の持ち主である。
  いずれにしても、源氏のわらは病みは軽かったのであろう、その夕方には外に出て、足下に見える僧坊まで行き、小柴垣から垣間見をして、生涯の伴侶になる紫上を見つけ出している。
  源氏は、極めて身体頑強であったのだろう、これ以外は、先の夕顔の死のショックによる衰弱ぐらいで、あまり病気らしい病気はしていない。もっとも源氏が腰痛だ声嗄れだというのでは、様にならないが。
  ところで、このわらは病み、朧月夜も罹っているので、当時、はやりの病気だったのだろう。この時には、わらは病みで里下がりをしていた朧月夜を源氏が訪ねて、不倫の限りを尽くしている。帝の妃と通じたのだから、相当のスキャンダルである。源氏にとっては、病は絶好のチャンスになってしまうのだから、尋常な人間ではない。

  『葵』の巻には、葵上の病が大層克明に描かれている。例の六条御息所による物の怪が原因であるが、現代人はそんなことは誰も信じない。あれは間違いなく出産によるものである。
  平安時代には出産によって死ぬ女性がきわめて多かった。清少納言が仕えた中宮・定子も三番目の子の出産の時に亡くなっている。御年二十五歳で、あまりに若い。源氏物語では、『宇治十帖』の八の宮の北の方が、二番目の女の子(中君)を出産した時に亡くなっている。出産は、平安時代ばかりか、ごく最近まで女性が命を懸けた危険なものであった。一方夕顔の北の方・雲居雁などは、大勢の子供を産んで元気そのもの、しかもその子たちが、後にみな偉くなっている。
  葵上の可哀想なのは、たまたま時が秋の司召の時であったということである。源氏も彼女の父の左大臣も兄弟も、そのことでみな内裏に出払っていた。
  『殿のうち、人少なに、しめやかなる程に、にはかに例の御胸をせきあげて、いといたう惑ひ給ふ。内裏に御消息聞こえ給ふ程もなく、たえ入り給ひぬ』
  夕霧が生まれて間もなくのことである。

  藤壺宮は寿命であろう。三十七歳であった。彼女自身がこう言っている。
  『今年は、かならず、のがるまじき年、と思ひ給へつれど、おどろどおどろしき心地にも侍らざりつれば、命の限り知り顔にはべらんも・・』
  三十七歳は、当時にすれば必ず逃れることのできない歳であったようである。新潟県の十日町に、国宝の土器(教科書などによく出て来る火焔土器)など多数を収蔵している博物館がある。そこに各時代々々の平均寿命が掲げられていた。参考になるのでここに引用させてもらう。
    縄文時代 31、1  弥生時代 30,0  古墳時代 30,6
    室町時代 35,8  江戸時代 43,9  明治時代 58,4
   (残念なことには、この表には出典が書かれていなかった気がするし、どのようにして年齢を推定したのかもなかった。おそらく出土した人骨から推定するのだろうが、地域差もあるし身分さもある。また性差もあるから簡単な作業ではない。縄文時代の平均年齢を14,6歳と言う人もいる一方、奈良時代は31,0歳であると、上記の表に近い値を出す人もいる。また江戸時代は中期と後期では全く異なると言う人もいる。要するにまことに曖昧なものであるが、歴史や物語を読むうえで、一つの手掛かりになるのでは、という意味で、あくまでも参考として上げてみた)

 肝心な平安時代の平均寿命が抜けているのだが、室町時代よりも短いと見ていいのかもしれない。とすれば、藤壺宮は平均を越えているということになる。もっとも、平安時代の寿命は、個々人で非常に差があったようで、清少納言の父・清原元輔などは83歳まで生きていたし、しかも肥後守として現役のまま任地で亡くなっている。
  (藤原道長 62歳  中宮彰子 87歳  藤原公任 76歳  藤原俊成 91歳)

  その意味では、42歳で亡くなった紫上などは、長生きの部に入るのかもしれない。但し、彼女も37歳の時に大層な患いをして、一時は死んだと情報が流れ、みなお悔やみに行っている。この時は、源氏の必死の祈りで命を取り留めている。あの仮の死は一体何だったのだろうか。源氏の奔放のために、彼女ほど神経をずたずたに引き裂かれ、擦り減らした女性も少ない。生きながらにしてまともに生きていたとは言えない女性、それが紫上ではなかったろうか。

  朱雀帝は、眼病である。これはもともとの持病というものであろうが、源氏を須磨に流してから悪化していることを思えば、単に持病とも言えない。多分に精神的なものが絡んでいるのだろう。彼は、源氏の稀有な能力、才芸、容姿に終始気おされていた。春宮の位まで奪われるのではないかと思っていたかも知らない。そんな能力の持ち主を自らの意思ではないにしても、結果としては配流の形にしたのだ。菅原道真の例を上げるまでもないが、安閑とする時とてなかったのではなかろうか。母・弘徽殿大后の反対を押し切って、源氏を許して京に召喚してからというもの、
  『時々起り悩ませ給ひし御目も、さはやぎ給ひぬ』
というのだから、現金なものである。もっとも「病は気から」ということわざもある。

  柏木の死も精神的なダメージである。源氏の北の方・女三宮と密通したのでは、もともと許されない罰なのだが、しかもそのことが源氏に知られてしまうというお粗末さなのである。源氏にひと睨みされただけで、縮み上がってしまい、後は死への坂道を、だるまのように転げ落ちて行った。
 
  源氏物語においては病気の症例は少ない。先のもの以外には、風邪、脚気、風病(これは風邪とも言われ下痢とも言われていてよく分からない)くらいである。平安時代にも癌やら糖尿病やら結核やらの病気があったはずだが、医療の進んでいなかった当時としては、物の怪のせいにしてしまうことが多かった。
  最近のニュースにアフリカで160~180万年前の人骨から癌の痕跡が見つかったとあった。
  道長の兄・道隆は非常に磊落な人物で酒が好きであったらしい。四十歳そこそこで亡くなってしまったのだが、恐らく糖尿病であろう。
  また、当時最も恐れられていた病気に、痘瘡(天然痘)と麻疹(はしか)がある。奈良時代、藤原四兄弟を倒した痘瘡は有名であるが、平安の長徳時代の麻疹も猛威を極めた。この時の麻疹によって、中納言以上十四人のうち、八人が死んだというから恐ろしい。道長が我が世の春を謳歌することができたのも、多分にこの病気故である。
  道長が、光源氏のモデルの一人であることは確かだが、こんなところにも源氏と似た面を見ることができる。病気を自分の味方にしてしまうのである。その道長も、後半生は病気に悩まされ、出家したり金峰山詣でをしたりしている。
  「生、老、病、死」はいずれも苦である。中でも病は死につながるもので、格別の「あはれ」を誘う。柏木の病ほどあはれを誘うものはない。この巻には「あはれ」という言葉が、36回も出て来る。他の巻よりも頻度が高い。「なくもがな」の病であるが、人力を越えたものでいかんともし難い。


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