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源氏物語

源氏物語たより558

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     再三の碁の話   源氏物語たより558

  『手習』の巻に入り、ヒロイン・浮舟と少将の尼が碁を打つ場面にくると、いつも頬が緩んできて、今まで宇治十帖物語を覆っていた陰鬱な雰囲気が消えてしまう。この巻はいろいろな意味で面白い。

  ブリタニカ国際百科事典によると、碁の起源はきわめて古く、中国周代(前1050~前256)にはかなり発達していた、日本には、仏教伝来とともに伝わった、その後、遣唐使などによって直接技術が導入され、奈良時代に盛んに行われていた、そのことは正倉院に三面の碁盤が保存されていることからも知ることができる、平安時代には、宮廷の女性にまで普及し、平安末期から鎌倉・室町時代になると、武家、僧侶に浸透した、ということである。
  
  確かに、源氏物語には、女性が碁を打つ場面が多い。『空蝉』の巻では、空蝉と軒端萩が打っているし、『竹河』の巻では、玉鬘と黒鬚との間の子・大君と中君姉妹が打っている。いかに碁が盛んに行われていたかの証拠である。当時、碁は、琴、歌、書などと並んで、貴族子女の教養の一つだったのかもしれない。
  源氏物語以外の作品にも碁の話はよく登場する。たとえば、『枕草子』には
  『あそびわざは、小弓、碁。さまあしけれど鞠も、をかし』(215段)
などとある。また、146段には、身分の高い者と身分の低い者が碁を打っているところが、具体的におかしく描かれている。高貴な方が、襟の紐も解いてリラックスしているのに対して、身分の低い者は、緊張して碁盤から離れて座り、袖の下をもう片方の手で押さえながら打っている。会社の部長と部下が碁を打っている姿を髣髴とさせる。

  『宇津保物語』の「初秋」の段では、主人公の仲忠と帝が、賭け碁をしている。仲忠は祖父伝来の琴の名手であるが、公には琴を弾くことをしない。そこで帝は何とか仲忠の琴を聴くべく、謀をして碁の勝負を挑む。仲忠は、帝にそんな魂胆があろうとは思いもかけず、適当に打っていたが、帝は真剣。三番勝負をしたところ、二対一で帝が勝ってしまった。その後のことについては、この文章の主旨から外れるので省くが、概して面白味に欠ける『宇津保物語』の中で、この「初秋」の段は面白い。

  さて、『手習』の巻に戻ろう。薫と匂宮という当代きっての二人の貴公子に愛された浮舟は、夫・薫を裏切ったという倫理感に悩むとともに、将来への不安から、宇治川に投身自殺を図る。
  ところが、入水したはずの浮舟が、宇治の寺院に倒れていたところを、初瀬詣からの帰途にあった横川の僧都の妹尼一行に助け出される。そして妹尼の住処である比叡の山懐・小野の里に連れて行かれる。
  この妹尼には娘がいたが、若くして亡ってしまった。あてに美しい浮舟が、我が子の再来のように思われ、妹尼は手厚く世話をするようになる。我が子の形見とも言える大切な人を授けてくれたのも長谷観音のおしるしと、「返り申し立ち(お礼参り)」のために、妹尼は再び初瀬に詣でる。
  山荘の人はこぞって妹尼に従って初瀬に行ってしまったので、浮舟と、少将の尼や童など、わずかな人だけが残った。
  頼みの妹尼がいなくなったつれづれを持て余し、浮舟は来し方行く末などを思っては眺め侘びていた。その様子を哀れに思ったのだろう、少将の尼が、こう声をかける。
  『苦しきまでも眺めさせ給ふかな。御碁打たせ給へ』
  浮舟が、なんとなく打ってもよいかと思っている様子なのを見てとった少将の尼は、碁盤を持ってくる。「浮舟はそれほど強くないだろう」と侮った少将の尼は、相手に「先」を取らせた。つまり浮舟に先手(黒石)を与えたのである。ところが打ってみると、その強いこと、あっという間に負けてしまった。今度は自分が黒石を握ったが、結果は同じことで、呆れてこう言う。
  『尼上(妹尼)、疾く帰らせ給へ。この碁、見せたてまつらん。
  かの(妹尼の)御碁、いと強かりし。僧都の君、早うよりいみじう(碁を)好ませ給ひて、けしうはあらず(下手ではない)と思ひたりしを、いと棋聖大徳になりて・・(妹尼には)負けじかしと聞こえ給ひしに、ついに僧都なむ二つ負け給ひし。(あなたは)棋聖が碁には勝らせ給ふべきなめり。
  あな、いみじ』
   浮舟の碁があまりに強いので、碁の達人である妹尼に早く見せたい、と言うのである。
  何しろ、兄の横川の僧都は、自他(?)が認める「棋聖大徳(だいとく)」なのだが、その兄に、妹尼は、三番勝負で、二番勝ってしまったのだから、本因坊と言ってもいい実力の持ち主なのである。今までふさぎ込んでばかりいた浮舟の別の姿を見せてあげれば、さぞ妹尼が喜ぶだろうと、少将の尼は思ったのである。
  それにしても、自らを「棋聖大徳(碁の名人僧侶)」であると自満するというのだから、可笑しい。それに「あなたは、その大徳に勝つだろう」と言うのもふざけている。「妹尼といい勝負」と言わないところが味噌である。また「あな、いみじ」に、呆れ顔の少将の尼の姿が想起されて楽しい。
 
  この横川の僧都は、恵心僧都源信がモデルであると言われている。朝廷から頂いた「僧都」の位をすぐ返還してしまったという物にこだわらない春風駘蕩の人であったようである。僧であっても碁が大好きと言うところに、その一端がよく表れている。先のブリタニカの話のように、平安時代でも、僧もかなり碁を打っていたのかもしれないが、それにしても、兄僧都と妹尼とが、碁の真剣勝負をしているところが、ほのかに明るくゆかしくまた滑稽である。

  「手習の巻がいろいろの意味で面白い」と言ったのは、妹尼や少将の君などが、優しく思いやりのある人物であること、横川の僧都のようなものにこだわらない駘蕩たる人物が登場すること、などを指しているが、その他に、この二人の母が、独特なキャラクターを持っているところなども面白い。この母尼は、80歳過ぎのよぼよぼの老尼であるが、よぼよぼながら存在感があり、この巻に厚みを与えている。
  彼女は和琴(六弦)の上手なのだが、僧都から、
  「みっともないからやめなさい。仏道だけに専念なさい」
と釘を刺されている。それが不満で、時に愚痴を言う。尼たちも
  「極楽浄土では天人が楽器を奏し、舞を舞うというのにね」
と同情する。彼女たちは、内心では
  「僧都だって、仏道に無関係の碁に夢中になっているというのに・・」
などとも、思っていたのかもしれない。

  温かく優しい人たち、特に妹尼の、自分の娘へ寄せると同じほどの必死の愛情にもかかわらず、浮舟の出家の意志は固く、その心を変えることはできなかった。そしてこともあろうに、浮舟は、兄僧都から戒を受け、髪を切っていくのである。
  この『手習』は、『橋姫』『浮舟』と並んで読みごたえのある巻である。

  ところで、現在、碁の人口が減っているのだという。井山翔太という人が、今、本因坊や棋聖、名人、十段、天元など七冠を独占しているのも、私にとっては興味津々なのだが、それらだけでは、碁の愛好者は増えないようである。
  私も昔は随分碁を打った。但しまるで「笊碁」で、左手に碁石を山盛りにして、餅搗きでもしているように「はいよ、はいよ」と掛け声を掛けながら、十五分で1局打ってしまう実力の持ち主である。しかし、碁の奥深さや意義はよく知っている。小・中学校で必須教科にしてもいいと思っているくらいだ。少なくともポケモンgoをしているよりははるかにいい。
  源氏物語などの古典に、これほど碁が登場するのを知ったら、碁の熱も高まってくるかもしれない。

  関連文書 「源氏物語たより55,114」


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