源氏物語

源氏物語たより561

 ←源氏物語たより560 →源氏物語たより562
     優しき人々   源氏物語たより561

  [はじめに]
  先に「『手習』の巻には面白さを誘う要素が多い」と述べたのだが、今回はその要素の一つをさらに詳しく見てみようと思う。それは、この巻に登場する人々が、すべからく優しいということである。まさに優しい人々の群像を見る思いがする。

  [浮舟発見の経緯]
  浮舟が、宇治川に本当に投身自殺したのかどうかは分からない。ただ『浮舟』の巻の最後に
  『(夜が)開け立てば、川の方を見やりつゝ、羊の歩みよりも(死に)近き心地す』
とあるところから、彼女は宇治川に投身自殺を図ったのだなと、察するだけである。
  それがどうしたことか、朱雀院の別荘であった宇治院の大木の根元に臥しているところを、横川の僧都一行に助け出されたのである。
 
  僧都の妹である尼君(以下 妹尼)は、八十歳あまりの老母尼(以下 母尼)を伴って、初瀬に詣でた。その帰りのこと、宇治近くにたどり着いた時に、母尼が体調を崩してしまう。この病状では、住まいである比叡の山懐の小野まで帰ることは出来ない。母尼を心配した妹尼は、横川(比叡山の一峰)に籠ってひたすら修行三昧にあった兄の僧都を呼び出す。僧都も母の命を見ないままでは、ということで宇治まで急ぎやって来る。結局一行は、宇治院に宿を乞い、そこに泊まることになった。
  その夜のことである、その院の大木の根元に倒れ伏していた浮舟を、僧都にお供した僧が発見したのは。生きているとも思えない、まるで正体をなくした美しくも気品ある娘であった。 
  二日後、母尼の体調も回復したので、この娘も小野の山荘に連れて帰ることにした。まだまだ正気が戻らない状態で、妹尼の問いかけには一切答えようとしない。ただ一言「このまま川に流してください」と言っただけで、後は沈黙を守っている。現と幻の間を彷徨っているような浮舟を、小野の山荘の人々は、温かく介抱することになる。

  [妹尼の思い]
  浮舟を発見した時から、妹尼には特別の思いがあった。彼女は、実の娘を亡くしていたのであるが、初瀬に詣でた時に、その娘に会えるという夢を見ていた。浮舟を見た途端に、この娘こそ亡き娘の生き返りと思ったのだ。衰弱しきっている浮舟を、
  『尼君(妹尼)は、親の患ひ給ふよりも、この人(浮舟)を、生き果てゝ見まほしう愛(を)しみて、うちつけに添ひ居たり』
というほどに介抱するのである。「うちつけに」とは、露骨なまでにということで、浮舟のことが心配で、ぴたりと寄り添って離れないのである。「親の患ひ給ふよりも」と言うところが、紫式部らしいブラックなユーモアーである。
  小野に帰る時には、浮舟と同じ車に乗り、所々で車を止めては、やれ湯だやれ何だと世話を焼く。夜更けてようやく小野に帰り着いた。そこで、
  『僧都は親を扱ひ、娘(妹尼)の尼君は、この知らぬ人をはぐくみて、みな抱き下しつゝ休む』
のである。ここにも小さなブラックユーモア―がある。
  その後も、浮舟はものも言わないまま、四月、五月と過ぎてゆく。
  相も変らぬ浮舟の衰弱した状態を愛おしんで、妹尼は、横川の僧都に祈祷を依頼する。山籠り中の僧都は、めったなことでは京に下りないと決心していたのだが、妹尼の消息には
  『京に出で給はばこそあらめ。ここまではあへなむ』
と強要まがいなことが書いてある。「京に出るのはまずいのでしょうが、小野までだったら大丈夫でしょうよ」というのである。この娘を「何とか早く人並みの体にしてやりたい」の一念であったのだ。
  結局僧都は山を下り、必死に加持祈祷をする。その後も、妹尼は、油断なく浮舟の世話したおかげであろうか、少しずつ回復してくる。そんな浮舟を、妹尼は、自ら彼女の髪を梳ってやるのである。髪は乱れたところもなくつやつやと美しい。
  『目も綾に、いみじき天女の天降れるを見たらむやうに思ふも、危うき心地すれど』
妹尼には、あまりにも美しい髪であるがゆえに、竹取物語のかぐや姫を想起せざるを得なかった。この娘が、かぐや姫のようにいつ天に戻ってしまうか心配は尽きないのである。
  その後、妹尼は、自分の娘の代わりに浮舟を授けてくれた初瀬の観音さまにお礼参りをすることにした。当然浮舟も同道するよう誘うのだが、体調がすぐれないからと浮舟は断る。妹尼も強いて誘うのも可哀想と、何人かの尼と童だけを浮舟用に残して、初瀬に出立する。
  実は、この間に浮舟は出家してしまい、妹尼の必死の願いを反故にしてしまうのである。

  [山荘の尼たちの願い]
  浮舟の美しくなんとなく気高い雰囲気を感じてか、あるいは妹尼の必死な姿に打たれてか、宇治院の時から、老尼たちは誰も彼もが、「この娘を死なせてはならない」と必死に介抱する。小野に帰ってからもあらん限りの心遣いをして世話をするのである。
特に、妹尼が、初瀬にお礼参りに行っている時の少将の尼の心遣いは優しい。これについては既に述べたところであるが、あえてもう一度記しておこう。浮舟がいつも沈み込んでばかりいる様子を見かねた少将の尼は、
  『苦しきまでも眺めさせ給ふかな。御碁打たせ給へ』
と誘う。「眺め」は物思いに沈むことである。珍しくも碁を打つことを承知した浮舟の碁の強いこと。少将の尼は呆れてしまい、感嘆した彼女は、妹尼が早く帰らないかと願うのである。というのは、妹尼は、「棋聖大徳」を自認する横川の僧都よりも、碁が強いからである。その妹尼と浮舟が碁を打つことを想像したのである。しかし、少将の尼の誘いに乗って碁は打ったものの、浮舟の心は慰まず、「まずいことをしてしまったかな」と思い、「どうも気分が悪くて」と言って、もう打とうとはしない。

  [横川の僧都の天衣無縫]
  先のように、僧都は、妹尼の強制的な依頼に応じて、修行中の身でありながら山を下りる。「僧都」とは、僧正の下の位で決して平凡な僧ではない。この横川の僧都は、朝廷のお召にもなかなか応じない人物であるという。ところが、妹尼の熱意に動かされたこともあろうが、とにかくどこの馬の骨とも知れない小娘のために、わざわざ山を下りてきた。ありないことである。逆に付き従ってきた弟子の僧たちが心配になって来た。修行中の身でありながら、若い娘のために祈祷などして罰が当たるのではないか、と。
  すると僧都はこう言う。
  『我、無慚の法師にて、忌むことの中に、破る戒は多からめど、女の筋につけてまだ謗(そし)り取らず、過つことなし。齢六十にあまりて、今更に人のもどき負はむは、さるべきにこそはあらめ』
  「無慚」とは、「罪を犯しながら、自ら心に恥じないこと 広辞苑」という意味で、全体の意味は、
  「拙僧は戒を犯しても恥じない男でな、今までもいろいろ犯した戒は多いだろうが、ただ女のことで人からとやかく言われたためしはない。もし六十歳過ぎて、人からその非難を受けるなら、それはそれ、宿命というものじゃよ」
  何とも恬淡(てんたん)たる僧侶である。まるで良寛和尚のようではないか。いつか出雲崎の良寛記念館で、「天上大風」と言う文字を見たことがある。子供が凧の絵を書いてくれとねだった時に書いたものだと言われている。実に飄々とした文字で、上手に書こうなどという意識を全く感じさせない。この文字に関して、仏教学者の紀野一義は『大悲 風の如く 筑摩書房』の中でこう言っている。
  「こういうのは、どこがどう良いのか見当がつかぬ文字であるが、しかしいい字なのである。空の上で風が吹いているような文字である」
  横川の僧都は良寛さまのような人だったのかもしれない。いや良寛さんが横川の僧都の真似をしていたのかもしれない。
  そんな僧都であるから、この後、浮舟の出家の願いをいとも簡単に承諾してあげる。彼の恬淡たる心が、浮舟の真剣で本気な心を即座に酌み取ったのであろう。

  [母尼の呆け]
  この老母尼が、独特なパーソナリテーを持っていて、『手習』の巻にさらなる変化を与えている。歳は八十歳あまり。今で言えば百歳を超えているだろう。耄碌していて人の区別もできないほどである。故孫娘の婿であった中将が訪ねて来ても、誰か分からないというほどの惚けようである。
  ところが、和琴にかけては、なかなかの弾き手なのである、と本人が言っている。例によって僧都は、母尼に「念仏以外はするな」と釘を刺していているので、めったに弾くことはないが、ある時、婿の中将が訪ねてきて笛を吹きだした。すると、母尼は琴を持ってくるよう命じて、弾きだしてしまった。中将の笛に合わせようという意識など微塵もない。勝手に弾いて悦に入っている。尼たちは見苦しいと思うのだが、やるに任せるしかない。さらに奇妙な歌を歌い出した。
  『たけふ、ちちりちちり、たりたんな』
  この言葉がさっぱり分からない、後の世の源氏物語研究者を悩ませた歌詞である。当時はちゃんとした意味があったのかもしれないが、今では意味不明になっている。恐らく、母尼がでたらめ歌っていたのかもしれない。それを後世の源氏物語研究者たちが、しかつめらしい顔をして御託を並べているのだとしたら、傑作である。
  そんな老母尼を浮舟は恐ろしいものに思う。ある時、この母尼や老尼たちの部屋に泊まらざるを得なくなった時に、そのいびきの凄さに恐れおののく。「自分はこの母尼に食い殺されてしまうかもしれない」と、朝までまんじりともしなかった。
  ところが、朝になるとこの母尼たちは、
  『いびきの人は、いと疾く起きて、粥などむつかしきことどもを、もてはやして、「御前に、疾く聞し召せ」など』
と言って、浮舟に寄って来るのである。母尼たちは、とても食う気も起きないような粥などを、いかにもご馳走であるかのごとく言い言いして、「あなたも早く食べなさい」と浮舟に促すのである。耄碌していたと思われた母尼も、浮舟の哀れな姿をいつか愛おしものに感じていたのかもしれない。「いびきの人」とはひどい。

  [終わりに]
  この『手習』の巻には、恨みや嫉み、競いや謀、悪意や悪戯などがない。全編に善意と善行が溢れている。文章も平明で流れるようなリズム感がある。『野分』と並ぶ佳編であると思う。
  登場人物のこのような優しさの群像は、心身をすっかり病んでいた浮舟を、随分慰めたはずである。ところが、彼女はなかなか心を開こうとせず、妹尼の必死の思いや尼僧たちの親身な世話を素直に受け入れようとはしなかった。
  そして、彼女たちの期待に反して、若い身空で髪を切ってしまうのである。ただそれだけが今の彼女の救いであったので仕方がないことなのだが、彼女を真摯に支えようとした人々には、気の毒な結果というしかない。
  彼女にとっては、官能的な夜を過ごした匂宮も、真実真面目な薫も、今では別世界の人に過ぎなかった。小野の人々もその埒外ではなかったのだ。彼女が受けた心の傷はそれほどに大きかったということである。出家に際して、唯一彼女の脳裏に浮かび涙したのは母であった。
   『手習』の巻は実に中途半端な終わり方をしている。これも後世の源氏物語研究者の謎なのだが、私は、横川の僧都の得度によって、浮舟の人生は完璧に終わっていると考える。しかし、今後の浮舟は、優しい群像たちに囲まれて、静謐に安穏に、宇治川の流れよりもはるかに静かに響く山川の音を聞きながら暮らしていくことであろう。
  あるいは、時には妹尼と碁の真剣勝負などをしているかもしれない。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより560】へ
  • 【源氏物語たより562】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより560】へ
  • 【源氏物語たより562】へ