源氏物語

源氏物語たより562

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     ダミーに翻弄される紫上   源氏物語562

  『朝顔』の巻は誠に難解な巻である。文章の晦渋さは勿論であるが、二人の人物の心底(心のうち)が汲み取れないことが、文章を一層難解にしている。二人の人物とは、光源氏と朝顔のことである。源氏は本当に朝顔を愛しているのだろうか、また朝顔はどうしてあれほど源氏を避けなければならないのだろうか、それが不可解なままなのである。

  「朝顔」という女性は、源氏物語の初めの方に既に登場している。したがって、二人の関係は随分若い頃からのものなのである。
  この女性が最初に登場するのは、『帚木』の巻で、源氏が、頭中将たちと例の「雨夜の品定め」をした翌日、方違えをすると言って、紀伊守の邸に宿った夜のことである。空蝉付きの女房たちが、源氏と朝顔の噂話をしているのを耳にした「姫君」が、それである。
  『式部卿の宮の姫君に、朝顔たてまつり給ひし歌などを、少し頬ゆがめて(女房たちが)語るも聞ゆ』
というもので、女房たちが、源氏が朝顔に贈った歌を、内容を間違えて(頬ゆがめて)噂しあっているのを、障子の向こう側から源氏が聞いている場面である。このように、二人の関係はこのころから世間の噂にもなっていたのだ。この時、源氏は十七歳、朝顔も同じくらいの年であろうと想像される。
  その後、『賢木』の巻にも、突如この女性が登場する。藤壺宮への恋が思うように進展しないことを嘆いた源氏は、雲林院に籠ってしまう。この時、朝顔は斎院として神に仕える身であった。斎院(斎院のいる居所)が、雲林院からほど近いところにあると言うので、源氏は朝顔に手紙を贈る。斎院に恋文を贈るなどは禁忌の所業だというのに、源氏はそんなことには拘らない。そればかりか、いかにも昔彼女と実事があったかのような馴れ馴れしい内容の手紙であった。この時、源氏、二十四歳。

  このように朝顔は二度にわたって登場しているのだ。しかしただそれだけのことで、どんな人物であるのか、その詳細は分からない。
  このようにこれまで影の薄い女性でしかなかった女性が、『朝顔』の巻に至って突如大きな存在としてその姿を現すのである。それは、源氏、三十二歳の時のことである。『帚木』の巻の頃から十五年経過していることになるのだが、この間、二人がどんな関係を続けてきたのかも皆目分からないままなのである。
  ところが、この巻に至って、源氏が、朝顔に対して相当ご執心であることが分かってくるのである。これには
  「あれ、そんなに愛していた女性だったの?」
と思わざるを得ないほどの奇異な登場の仕方である。今まで朝顔のどこがどういいのか、なぜそれほど源氏が執心すのか、それが延べられることは一切なかった。せいぜい彼女の手紙の文字がうまいことくらいしか、我々は知らない。
  後に紫上に、朝顔の人となりをこう語っているところがある。
  「朝顔のお人柄は、藤壺宮とはまた違っています。つれづれな時に、なんということもないことをお互いにお話するのに、こちらが緊張感を持ってお相手できるのは、この人以外にはいません」
  しかし、この評は極めて抽象的で、藤壺宮とどう違うのか、また話し相手としてどのようにいいのか、が全く伝わってこない。こんなに茫洋たる女性に、なぜ天下の源氏様がご執心なさるのだろうか。藤壺宮にしても夕顔にしても紫上にしても、また六条御息所や明石君にしても、その人となりは鮮明であった。源氏がこれらの女性に執心するに十分な理由があった。
  そんな朝顔であるが、源氏が盛んにアタックしているのを見て、二人の仲は
  『にげなからぬ御あはひならむ』
などと世間の噂になっていたというのだ。「あんなに理想的な二人なのだから、いずれは結婚するだろう」というほどに有名な仲だったというのである。
 
  それにもかかわらず、朝顔は決して源氏に靡こうとしない。しかし、その理由がまた分からないのだ。父・式部卿宮を亡くした朝顔にとっては、源氏を婿とすることは、生活の安定を得るためにも最も望ましいことであるはずだ。式部卿宮が亡くなって間もないというのに、その邸は荒れがちであるというのだから、このままでは、末摘花の二の舞になってしまう。
  それでは、彼女は源氏を嫌っていたのかと言えば、そうでもなさそうなのである。ただ源氏から「嫌な女」と思われるのを快しとせず、形式的な返事はするのである。完全拒否でもなく、そうかといって受け入れるでもない、まさに「活けみ殺しみ」で、源氏としてはたまらない。
  彼女が、源氏との結婚を拒んでいる理由はないでもない。その一つが
  『世づかぬ御有様は、年月にそへても、もの深く、引き入り給(ひ)』
という性格である。「世づかぬ」とは、男女のことに関して消極的であるということで、男から言い寄られたりすると、つい引っ込み思案になってしまうというのである。しかしこれが源氏を避ける理由になるとは思えない。
  もう一つとしては、彼女が斎院であったことがあげられる。神に仕える身は男を避けなければならないのだ。事実、彼女は、源氏から求愛の手紙を受け取った時、
  「昔、賀茂の神に誓ったのに、それを破れば神の咎を受けることになるでしょう」
という歌を詠って返している。しかしそれは昔のこと、斎院の任が解けた現在は自由の身で、結婚するのに何の支障もない。

  今、最も彼女の心のわだかまりとなっているのが、「年齢」である。源氏と同じくらいの歳とすれば、三十二歳。確かに三十二歳では、結婚するに相応しい歳(十四、五歳から二十歳まで)は疾うに過ぎている。当時とすれば大年増である。
  いくら言い寄っても靡こうとしない朝顔に業を煮やしたのであろうか、彼女の邸から帰ってからこんな歌を詠んで贈る。
   『見し折の露忘られぬ朝顔の花の盛りは過ぎやしぬらん』
   随分失礼な歌である。「あのころの花のような盛りの美しさは、今では過ぎてしまったのでしょうか」というのだから。しかも、その歌に、匂いもなく枯れてしまった朝顔を添えたのである。
  この歌をもらった朝顔は、
  「いかにも今の私に相応しい歌で、涙が出てきてしまいますわ」
と嘆くのである。あるいはこのあたりが彼女の源氏拒否の本音であったかもしれない。  
  しかし、いずれにしても、これらはその理由としては薄弱と言わざるを得ない。

  さて、源氏の方はどうだろうか。二度三度の求愛にもかかわらず、つれない扱いばかりする朝顔を、源氏はこう思うのである。
  『あながちに思し入らるゝにしもあらねど、つれなき(朝顔の)御気色のうれたきに、負けて止みなむも口惜しく』
  これは一体どういうことであろうか。「あながちに思し入らるゝにしもあらねど」とは、「強いて愛を求める相手でもないけれども」という意味で、極端に言えば、「それほど深く愛しているわけでもないが・・」ということになる。それでは、彼が今まで盛んにアタックしていたのは、一体なんだったのだろうか。単に「負けたままで終わってしまうことが悔しいから」という自尊心に突き動かしていただけだったというのであろうか。

  私には、この『朝顔』の巻は、紫式部によって極めて意図的に作られた巻であると思えてならない。その意図とは、紫上を「これでもか」というほどに「哀れな女」としてのイメージをクローズアップさせたいという目的のためである。
  紫上は、源氏と朝顔の心底を知る由もないから、二人は真剣に愛しているものだと思うしかない。朝顔のことを考えている源氏は、うつけてしまって心も空のような様子をするし、出かけると言っては艶なる衣装を着て行く、内裏勤めだと言っては夜がれも多くなる、また家にいてすることと言えば、朝顔に手紙を書くことがもっぱらなのである。これでは
  「もし二人が結婚でもしたらどうしよう」
と、紫上をこの上ない不安に陥れるのも仕方がないことである。。
  このように見て来ると、人物像も曖昧であり、源氏が本心から愛しているわけでもない朝顔という女性は、紫上をより哀しい存在にするためのダミーであったと考えるしかないのである。
  それにしても、『帚木』の巻に、既にダミーを登場させておくとは、なんという深慮遠謀であろうか。


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