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源氏物語

源氏物語たより563

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     美しくもはかなき宇治川  源氏物語たより563


  『朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木』
  これは、百人一首中の名歌の一つで、作者は藤原公任の子・大納言藤原定頼(993~1045)である。

  私は、百人一首の解説書を何冊も持っている。そのうちでしばしば使うのが京都書房の『評解 小倉百人一首』である。初版は1969年なので、五十年近くも前のものであるが、今でも出版されていて、先ごろ注文してみたらすぐに届いた。これほど長く使われている解説書も珍しいのではなかろうか。この解説書が使い勝手が良いのは、何より一ページに一首がコンパクトにまとめられているところであろう。しかも、そのうちの『表現と鑑賞』という項が、簡にして要を得ていて、それぞれの作品の持つ価値や問題点が簡明に理解できる。また、作者の紹介も端的でいいし、『語句・文法』の項は、受験生用であるためだろうか、手際よく説明されていて役に立つ。
  この書が、冒頭の歌についてこう解説している。少し長いがそのまま引かせてもらうことにする。
  「両岸に近づく山のあいまを縫うように流れる宇治川の、その川霧が、夜明けのほのかな明るみに揺らぐのは、いかにも幻想的である。そのなかに見えがくれする素朴な網代木は、都びとの感動を呼んだものであろう。あけぼのから網代木を見出すまでの分秒の推移のゆるやかさに、かすかな朝の息づかいをさえ感じさせる。平安朝の数少ないすぐれた叙景歌の一つである」
  この解説をもって全てが尽きていると思うので、歌に関する説明は止めるが、「網代木」だけは説明しておこう。やはりこの書を借りることにする。「「網代木」は網代の杭。「網代」は浅瀬で氷魚(ひお)などをとるため竹・木を編み重ねて網の代わりに張る漁具の一つ」ということで、宇治には欠かせない事象の一つである。

  私の最近の旅と言うと京都に限られていて、何かと言えば京都に行く。特に大堰川を中心とした嵯峨野と、この宇治川が好きで必ず寄る。やはり源氏物語に縛られているのかもしれない。何年か前に行った時に、宇治川の写真を撮った。その中の一枚が我ながら見事なもので、定頼のこの歌を髣髴とさせる出来栄えであった。
  此岸から彼岸まで、川面(かわも)一面に煌めく漣、そのはるか遠くに漁師であろうか投網をしている景である。朝ではなかったので川霧はなかったものの、宇治川の美しさの一つである、川幅いっぱいに一定の深さをもって豊かに流れる水とその水面に煌めく漣がしっかり捉えられていた。そこで漁師が投網を打つ様は絵のようであった。

  ここで、百人一首のもう一つの解説書を上げておこう。それは『田辺聖子の百人一首』(角川書店)で、これはまことに面白い。逸話が豊富に取り入れられていること、百人一首の歌の巧拙や好き嫌いが明確に言い切られているところ、などが独特である。また、田辺聖子の解説に対して、中年の熊吉や若い与太郎と言う男が不意に出てきて、反論したり勝手な感想を述べたりする。これがなかなか滑稽なのである
  冒頭の「朝ぼらけ」の歌について、田辺聖子は
  「美しい叙景歌である。定頼のこの歌、私は好きである」
とした上で、源氏物語との関係をこう述べている。
  「(宇治十帖は)宇治の川霧に仄かに浮かぶ薄倖な恋、満たされぬ物思い、手にとれない幸せ、憂愁の物語である。定頼はその物語を踏まえつつ、川霧の絶え間に浮かぶ網代木をうたう。気取りもくせもなく、自然をうたいあげて、その物語背景の物憂い無常観と恋を示唆し、人の心を誘う。百人一首中、屈指の佳作の一つだと、私は思う」
  冒頭の歌が、物憂い無常観や恋を示唆しているかどうかは分からないけれども、何か源氏物語との関係は否定できない気はする。源氏物語の宇治と霧は切り離せないものであるからである。紫式部が宇治を描く時、いつも霧が現れ、霧の中で物語が進展していく感さえある。またそういう中に網代もしばしば登場する。
  ただ、定頼の歌は、純粋な叙景歌として鑑賞しても十分味わえるもので、近代短歌に通じているとも言える。百人一首の中に純粋叙景歌は極めて少ない。

  それでは、源氏物語に登場する宇治の風景のいくつかを上げてみよう。
  まず初めは、光源氏の弟・八の宮が、京の住処が焼けてしまい住むところもなく宇治に隠棲せざるを得ない場面である。
  『網代のけはひ近く、耳かしがましき河のわたりにて、静かなる思ひ(仏道修行)にかなはぬ方もあれど、いかがはせむ』
  源氏との争いに負け、しかも住まいまで焼けてしまっては京にいるわけにもいかない。彼は、この世の無常を感じたのだろう、宇治で仏道修行に励もうとする。しかし、宇治川の流れの音や氷魚(ひお)を取る漁師たちの声もかしがましい。これでは仏道に専念するにはいささか問題ではあるが、今更いかんともしがたく、二人の姫君共々宇治に逼塞するようになる。
  しかし、いざ宇治に住んで、四季のお念仏などをするのには、やはり
  『この河づらは、網代の波も、この頃はいとど耳かしまがしく、静かならぬ』
ので、親しくしている阿闍梨の住む山寺に移ることもあった。当然二人の姫君は、「河づら」の山荘に残してである。
  このような状況の時である、宇治十帖の主人公の薫と姫君(特に大君)との恋が始まるのは。八の宮の留守に薫は馬で宇治に行く。その山路の様が次のように綴られる。
  『(山路に)入りもてゆくまゝに、霧りふたがりて、道も見えぬしげきの中を分け給ふに、いと荒まほしき風のきほひに、ほろほろと落ち乱るゝ木の葉の露の、散りかゝるもいと冷やかに、人やりならずいたく濡れ給ひぬ』
  そして、薫は大君と歌の贈答をし、さて京に帰ろうという時に、西面の簀子に座って宇治川を眺めていると、供人たちが氷魚(ひお)を獲る網代のさまを語っている。
  『「網代は、人騒がしげなり。されど氷魚も寄らぬにやあらむ。すさまじげなる(面白くない)景色なり」と御供の人々見知りて言ふ。あやしき舟どもに、柴刈り積み、おのおの何となき世の営みどもに、行き交ふさまどもの、はかなき水の上に浮かびたる(を)、「誰も思へば同じことなる世の常なさなり」・・』
  薫は、氷魚のはかなさや柴積む舟の頼りなさから、人生の常なさに感じ入っているのである。これが宇治川の象徴的な印象なのである。
  その後、十月になって薫は宇治行きを計画した時にも、この供人は大はしゃぎで薫にこう勧める。
  『網代をこそ、この頃はご覧ぜめ』
  「網代で氷魚を取る所をぜひご覧なさい」と言うのである。相当網代に興味を持っている供人のようである。しかし、一方の薫は、氷魚には関心がなく、こう言って断る。
  「どうして、蜻蛉(かげろう)とはかなさを争うような氷魚獲りなど見物しようか」
  やはりここでも出家願望のある薫は、氷魚を無常の世を見るのである。彼にとって、この段階は宇治は「憂し」に繋がるもので、喜撰法師の
  『我が庵は都の辰巳  しかぞ住む  世をうぢ山と人は言ふなり』
が頭にあるのかもしれない。
以上『橋姫』

  二月になって、匂宮(源氏の孫、明石姫君の子)は初瀬詣でをすることになった。この頃、宮は、薫から宇治の姫君の話を聞き、興を催し、初瀬詣での中宿りには、ぜひ宇治に泊まろうと思っていた。彼にとって、初瀬詣でよりも宇治の姫君詣でが本命であったのだ。宇治には、夕霧(源氏の嫡男)の別荘(後の平等院がモデル)があったので、初瀬からの帰り、ここに泊まって管弦の遊びに興じる。それは隙あらば姫君たちに会おうとの魂胆でもあった。八の宮の山荘は、夕霧の別荘の対岸にあって(宇治上神社のあたりか)、指呼の間である。匂宮の吹く笛の音が、八の宮の山荘まで聞こえてくる。
  翌朝、宮の目に
  『はるばると霞みわたれる空に、散る桜あれば、今は開けそむるなど、いろいろ見わたさるゝに、川ぞひ柳の起き伏し靡く水影など、おろかならずをかしきを、見ならひ給はぬ人(宮)は、いと珍しく見捨て難しと思さる』
  彼は姫君たちの姿を是非にも見たかったのだが、皇子の身ではそれも叶わず、不満げに京に帰る。しかし、それゆえになお宇治の姫君への慕わしさは募るのである。
  以上『椎本』

  その後、宮は強引な形で、中君と結婚することになる。しかし皇子の身としては、宇治通いは容易なことではない。三ケ日夜の通いもままならなかったが、無理を押して三日目の夜、中君に逢う。その翌朝のことである、二人は、妻戸を押し開けて、明けゆく空を感慨深げに眺めるのである。
  『霧りわたれるさま、所からのあはれ(も)多く添ひて、例の柴積む舟のかすかに行きかふ跡の白波、目馴れずもある住まひの様かな。・・水の音なひ、なつかしからず(親しみが持てない)、宇治橋のいともの古りて見えわたさるゝなど、霧晴れゆけば、いとど荒まほしき岸のわたりを、
  「どうしてあなたはこんなところ長年住んでいるのですか」
など(中君に聞くのである)・・』
  京育ちの宮の目には、宇治川の景色など、とても我慢できないものに映るのだ。そのため何を見てもしっくりせず、古めかしく、また荒まほしく見えてしまう。宮の質問に、中君はただ恥ずかしくうつむくしかない。
  以上『総角』

  薫の恋い焦がれていた大君は、不遇のうちに若くして亡くなってしまう。そうなると、薫の宇治通いも自ずから途絶えがちになってしまうのだが、久しぶりに宇治を訪ねてみようと思い立ち、出かけてみた。しかしそこは
  『いとどしう風のみ吹きはらひて、心すごう荒ましげなる水の音のみ宿守にて、人影も見えず』
という景色だったのである。「心すごし」とは、ぞっとするということで、大君がいたころはそんなことはなかったのだが、今は目に入る気色は、ひどく吹き荒れる風や水の音は、背筋をぞっとさせるほど荒々しく、人影さえ見えはしない。
  以上『宿木』

  さてこう見て来ると、源氏物語の宇治の描写には、純粋な「叙景」はないということに気付く。全ての自然が登場人物の心情を写すものばかりなのである。物語の性格上それは仕方のないことかもしれないが、一面残念にも思う。あのすばらしい風景を、紫式部の優れた筆力で描いてほしかったという思いはぬぐえない。
  ひょっとすると、彼女は宇治の風景を実際には見ていないのではなかろうか。もし見ているとすれば、必ずあの類ない風光を、物語から離れてでも描いたはずだ。しかも見事な名文で。見ていないがゆえに「宇治」の代名詞と言える「霧」や「網代」や「柴積む舟」や「水の音」に終始してしまったのだ。
  しかし考えてみれば、宇治十帖は、全編霧がかかっているような物語である。網代も薫に言わせれば「はかない」ものの象徴であり、柴積む舟もまたまことに頼りない。大君などはまことにはかない女性であった。特に浮舟は霧の中で頼りなくもがき、霧の中にはかなく姿を消し、霧のように出家していった。彼女ほど宇治に相応しい人物はいない。

  冒頭の定頼の歌は、霧の中に仄かに姿を現したのが網代である。ものの存在を曖昧にする霧の隙間から姿を現したものが、はかなさを象徴する網代であったということは、やっぱり田辺聖子が言うように、定頼は「源氏物語を踏まえつゝ」「朝ぼらけ宇治の川霧・・」と詠ったと取った方がいいのかもしれない。

  ところで、私の最近の宇治散策コースは決まっていて、京阪宇治駅から、宇治川の北の道を行き、源氏物語ミュージアムに寄り、宇治上神社から宇治川を渡る、川の中州に座って、豊かな水量と煌めく漣を眺めながら、しばし悠久な時を肌で感じとる。
  そして、平等院に寄り、鳳凰堂や宝物館の壁に飛翔する天女たちの楽の音に、千年の歴史を偲ぶ、というものである。

  ただ今まではいつも昼間であった。つまり霧のない時間であったということである。今度はぜひ宇治に泊まってみたいと思っている。朝から夜までその場で過ごさないと、名所・旧跡の価値はつかめないものだということを、広島の厳島でしみじみ味わった(厳島神社の参道の無数の灯篭に掲げられる灯火は、夜でないと見られない)。
  三方を山で囲われた宇治の朝霧はさぞ見応えがあるのだろう。今度は川辺の宿に泊まってみよう。


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