源氏物語

源氏物語たより568

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     桐壷帝の逡巡   源氏物語たより568

  桐壷更衣は、光源氏が三歳になった夏のこと、ふとした病を患ったために、里に退出しなければ、と帝に申し出る。しかし、帝は、いつも病がちな更衣を見馴れているので、その延長だろうと軽く考え、退出を許そうとしない。
  そうこうしているうちに、彼女の病は日に日に重くなってしまった。こうなると更衣の母親がじっとしていられない。何とかして早く退出させてもらうべく帝に直訴する。このまま娘が内裏で死にでもすれば、
  『あるまじき恥も』
受けるかもしれないからである。「あるまじき恥」とは、内裏には厳然とした掟があるからだ。つまり、帝以外の者が内裏で死ぬことは許されないことになっていたのだ。もしそんなことになれば、按察使大納言(桐壷更衣の父)家末代までの恥になる。帝は、母親の必死の願いにすかされてか、ついに
  『まかでさせたてまつり給ふ』
のである。帝のお許しが出たので、更衣は
  『御子(源氏)をば(内裏に)とどめたてまつりて、忍びてぞ出で給ふ』
と、ようやく内裏から退出することができた。

  ところが、不思議なことには、この後も帝と更衣の別れの嘆きが延々と続くのである。帝の目には更衣の姿は、
  「つやつやとして可愛らしかった人だったのに、今はすっかり面痩せてしまって」
見える。その更衣は、帝の自分に対する情愛の深さに感謝の気持ちを表そうとしているようなのだが、言葉に出して言うこともできない。何しろ今にも消え入りそうなほど衰弱しきっているのだから。
  その様子を見るにつけ、帝は、来し方行く末のことを心に浮かべながら、泣く泣く契り、訴えるのである。しかし、更衣は返事をすることさえできない。目つきもだるそうだし、ぐったりとしてしまって、我かの気色(正気もない様子)になっている。
  というように、二人の様子が細々(こまごま)と綿綿と綴られていく。

  しかし、何時までもというわけにはいかない。帝は特別な配慮のもとに手車で退出すること(后、大臣など特別な人にだけに許される待遇)を許す。
  さて、それでは手車で退出したのかと思うと、さにあらず、帝はまた更衣の部屋に戻ってきてしまって
  『さらに(退出することを)え許させ給はず』
なのである。この「え~ず」は、「何々することができない」ということで、退出することを許すことができないという意味である。
  そして、ここでまたまた「自分を捨てて行ってしまうこと」に対する愚痴の限りを言い続けるのだ。
  そういう帝に対して、更衣はあの源氏物語中の名歌を息も絶え絶えの状態で詠う。
  『限りとて別るゝ道の悲しきに いかまほしきは命なりけり』
  (死んでしまうのは、人に定められたこと(宿命)でしょうから、悲しくはありますが、仕方がありません。でも、やっぱり私が行きたいのは、生(命)への道でございます)
  「我かの気色」の人がこれほどの歌を詠めるとは信じられないことだが、最後の力を振り絞ったのであろう。
  しかし、さすがにこれ以上更衣を止まらせることは、周囲が許さない。使者の忠告によって、ようやく更衣を退出させることになるのである。

  このくだくだしいとも思える繰り返しの文章は、帝の心境を色濃く反映させているのだ。つまり、現実には一刻も早く更衣を退出させなければならない状況にあるのだが、帝の心情は、それを「え許させ給はず」なのである。理性と感情の葛藤を、「退出を許したのに、許さない」という行為で強調するのである。
  手車で退出させることを許しておきながら、また更衣の部屋に戻ってきてしまうのも同じ心情の表われである。こういう文章作法を仮に「逡巡作法」と名付けておこう。この逡巡で、帝の更衣に対する愛情がいかに深いものであるかが表現されるのである。
  こういう作法によって、読者の涙を誘おうという狙いも作者にはあったのかもしれない。

  このような逡巡作法が、典型的に出ているのが、『須磨』の巻である。
  源氏は、政敵・右大臣に睨まれ、須磨へ退去せざるを得なくなった。『須磨』の巻の冒頭に、須磨の風光が描かれているので、早速須磨に行ってしまったのかと思わせるのだが、そうではなかった。
  その後も、何度も「須磨に出立した」と言うように見せかけながら、やれ左大臣邸に出かけて一夜を明かすとか、藤壺宮の所に別れの挨拶に出かけるとか、さらには父・桐壷院の墓参りまでしたりするのである。最後には、
  『夜深く出で給ふ』
としながら、紫上との別れの嘆きを延々と繰り返すのである。
  
  この『須磨』の巻には、もう一か所、逡巡作法がある。頭中将が、わざわざ源氏を見舞いに須磨までやって来る。いよいよ別れるに当たって、
  『おのがじ々、はつかなる別れ、惜しむべかんめり』
ということで、
  『心あわただしければ、かへりみのみしつゝ、出で給ふ』
と京に去って行く。
  と、思いきや、その後も、彼らの間に歌のやり取りが続くのである。

  前者の、源氏が京を離れがたく思う気持ちは、誰にもよく理解できることである。都に生まれ、都以外知らない皇子が、そこを離れなければならないのであるから、その悲嘆はいかばかりのものであろうか。理性では早く京を離れなければならないことは良く分かっているのだが、しかしそれは容易なことではない。ここに、理性と感情の葛藤による逡巡が生まれるのも仕方のないことである。
  後者も同じことである。咎人・源氏を見舞ったことが右大臣側に知られれば、どれほどの罪を得ることになるか。まして三日も四日も須磨に滞留することなど許さるべきことではない。京に戻らなければという思いと、いつまでも源氏の所にいたいと思う気持ちが拮抗するのは、これもまたやむを得ないことである。
  そういう気持ちが、「京を出た」「須磨を出た」と描きながら、その後も女々しくその場を離れられないでいる現象を引き起こすのだ。

  この逡巡作法は、歌などにも使われることがある。女の元を訪れた男は、翌朝、明るくなる前に帰らなければならない。しかし、昨夜来の女への情がi色濃く残っているから、簡単には別れることができない。「帰らなければ」という思いと「女の所にもっといたい」という思いが交錯する。そこで、男はどうするか。身体と魂を分離させてしまうのである。魂は女の所にとどまり、身体だけは蝉の殻のようにふらふらと我が家に向かう。いわゆる「後朝の情」である。  
  次の古今集の歌は、女が友達の所を訪ねた後、話し尽きずに別れてきてしまったことに未練を感じて詠った歌である。
  『あかざりし 袖の中にや入りにけん 我が魂のなき心地する』    
  「まだ話し足らずに別れてきてしまったので、私の魂はあなたの袖の中に残してきてしまったような気がしています。今もまだ茫然としておりますわ」という心である。
  『若菜』の巻にこんな場面がある。源氏が北山で見かけた紫上のことが頭からはなれず、山から下りて、彼女に小さく引く結んだ手紙を贈る。そこにはこんな歌が詠われていた。
  『面影は身をも離れず山桜 心のかぎり止めて来しかど』
  「あなた(山桜)の面影が忘れられません。私は身も心もみなあなたの上に留めてきたのですけど」という意味で、あなたのそばを離れたくないという心情を、自分の魂をそちらにおいてくることで満たそうというのである。
  また『須磨』の巻では、源氏は、紫上との別れにあたって、鏡の中に自分の影を残しておこうと言っている。そのことによって別れの悲しみや逡巡を断ち切ろうと思ったのだろう。そういう源氏の配慮に対して、紫上はこう歌を返している。
  『別れても影だに止まるものならば 鏡を見ても慰めてまし』
  
  もう一度、『桐壷』の巻に戻ってみよう。帝は更衣との別れに際して、信じられないことを思っているのである。
  更衣が息も絶え絶えに何か帝に訴えたい様子をしているのを見た帝は、
  『かくながら、ともかくもならむを、ご覧じ果てむ』
と内心思っているのだ。
  「このままたとえ死んでしまってもいい。更衣の最期を見果てよう」
というのだから、誠に大胆で恐ろしい。桐壷帝はこれまでも掟破りをしてきたが、これに勝る掟破りはない。もし更衣が内裏で死ぬようなことになれば、歴史に残る事態になってしまう。
  それほどに帝の更衣を思う愛情は、深く真剣で尋常なものではなかったのだから、「退出させる」ことなど容易にできることではなかったのである。
  ここまで愛された女も幸せと言うものであろうが。


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