源氏物語

源氏物語たより571

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       闇のうつつか真の夢か   源氏物語たより571

  最愛の桐壷更衣を亡くした帝は、茫然自失で何をする気力もなくなった。その事情がこう記される。
  『ほど経るまゝにせん方なう悲しうおぼさるままに、御方々の御宿直なども絶えてし給はず。ただ涙にひぢて明かし暮らさせ給(ふ)』
  そんな帝の様子を周りで見る人々も、涙、涙の秋になってしまった。「御方々の御宿直(とのゐ)」とは、女御・更衣たちの夜間のお相手ということで、それさえ一切しなくなってしまったという。御宿直は帝の大事な務めの一つである。それをしないというのは、帝としてあるまじきことなのだが、今の帝にとっては、女性に近づくことなど思いもよらないのだろう。
 
  巧みに弾いた琴の音、ちょっとしたことを言う時の魅力的な言葉つき、あるいは他の方々とは全く異なる気配やかたちが、帝の面影にふっと浮かんでくる。しかし、それは幻影でしかない。だから帝としては、
  『闇のうつつには、なほ劣りけり』
としか考えられないのである。
  この「闇のうつつ」とは、古今集から引いたもので、元の歌は
  『うばたまの闇のうつつは さだかなる夢にいくらもまさらざりけり』
である。「うばたまの」は「闇、夜」などにかかる枕詞で、
  「昨夜の真っ暗闇の中での逢瀬は、はっきりとした夢の中での逢瀬に比べて、さして勝ってはいないではないか」
という心を詠ったものである。
  この歌に対する評価や考えは、それぞれ人によって異なるであろうが、恐らくこの男(女かな?)は、昨夜の逢引には満足できないものがあったのだろう。あるいはあまりに短い逢瀬だったのかもしれない。そこで「夢でちゃんと逢った方がまだましだった」などと奇妙なことを言うのだ。

  とにかく、当時の寝殿造りは暗い。だから、逢瀬では、視覚は奪われていて、聴覚と触覚と嗅覚を働かせるしかない。
  そのことは後の『末摘花』の巻も証明している。光源氏は、末摘花と何度か逢瀬を重ねていたにもかかわらず、その顔はもとより、体つきさえ分からずに過ごしていた。ある雪の日の朝、分かったのだ、彼女が想定外の容姿であることが。源氏は、末摘花を無理に明るいところに導き出し、雪の明かりで初めて彼女の顔と姿を見ることができたのである。
  『夕顔』の巻にも証拠がある。夕顔は、源氏がいつも顔を隠しているので、「ものの変化」のように思えて仕方がなかった。でも、
  『人の御気配、はた手探りにも、しるきわざなりければ』
ということで、手探りで源氏の人となりが高貴な方であると思い当てているのである。この場合は、源氏が顔を隠していることと部屋の暗さとがあいまって、特別な「闇のうつつ」になってしまったのだが。
  『落窪物語』には、三日夜の所顕し(披露宴)で初めて男の顔を見たという話が出て来る。

  さて、帝は上記の歌に対して納得できないのである。更衣の、人に優れていた面影は、盛んに帝の脳裏に浮かぶのだが、それは幻影にすぎない。そんな幻影よりもやはり「闇のうつつ」の方が、はるかに勝っていると思うのである。たとえ真っ暗闇の中でもいい、視覚を奪われていてもいい、ともかく血の通った温かいうつつの更衣に逢いたい、と思い焦がれるのである。そう思うのが当然ではなかろうか。どんな真っ暗闇でも生身の女性を抱いていた方がよいに決まっている。古今集の作者の真意が理解できない。

  野分だちて、にわかに肌寒い夕暮れ時になると、帝は何時にもまして更衣のことが偲ばれてならなくなる。そこで、靫負の命婦を更衣の里に使者として送ることにした。自分と同じ思いに悲しみ屈しているであろう更衣の母親を慰めるためである。また自分の悲嘆・悔恨の情を伝えることも命婦に託そうとしてである。

  しかし、それらが帝の真の目的であったといえるであろうか。私は、帝にはもっと別なものがあった気がしてならない。「定かなる夢」でないもの、更衣を現実に偲ぶことができるもの、それを手に入れたかったのではなかろうか。
  更衣の里から命婦が帰る時に、母親は、
  『かの形見にとて、かかるようもやと残し給ヘりける御装束一くだり(に)、御髪上げの調度めくもの(を)添え』
て、帝にと託すのである。更衣がかつて着ていた着物と使っていた髪上げの道具である。帝は、まさにこれをこそ欲するがゆえに命婦を派遣したのではなかろうか。なぜなら、それらには更衣の「うつつの」香が残っているかもしれないからである。

  でも、それらの装束や髪上げの道具も、帝の心を癒すことはできなかった。そこでこうつぶやく。
  『亡き人のすみか尋ね出でたりけむしるしの簪ならましかば』
  これは何を言っているのであろうか。実は長恨歌を引いたのである。玄宗皇帝は寵姫・楊貴妃を失って茫然自失となり、政治も何もしなくなってしまった。とにかく彼にとって、生の楊貴妃に逢うことほど大事なことはなかったのである。そこで、たまたま、精神を集中することによって霊魂を呼び起こすことができるという道士がいることを知り、彼を召して楊貴妃の霊魂のありかを探させる。
  道士は、天に昇り地を這い海に入って、ついに海上の仙人が住む山で、楊貴妃に逢う。彼女と逢ったしるしとして、螺鈿の箱と黄金づくりの簪を持って帰る。

  道士は、楊貴妃の魂のありかから螺鈿の小箱と黄金の簪を直接もらって帰って来たのだが、靫負の命婦が持って来たものは、そうではなかった。
  帝がつぶやいた最後の「簪ならましかば」の「まし」は、「ましかば・・まし」などと使われ、「反実仮想」の助動詞である。事実に反したことを仮設して想像する意を表す。従って、帝は、玄宗皇帝が命じた道士のように、更衣の霊魂が住んでいるところから直接持って来た簪だったらよかったのになあ、と思うのだ。まさに仮想であり、実現不能の想像である。あり得ないことを仮想するしかないほど惑乱状態にいたのだ。あるいは更衣の霊魂のある場所が分かれば、自分で訪ねて行くとでもいうのかもしれない。

  ここで分かることは、靫負の命婦は、単に帝の悲嘆、悔恨、あるいは母親への慰めの言葉を伝える役割を背負っているだけの人物と見ていたのだが、そうではなかった、ということである。実は反実仮想せざるを得ないまで切羽詰っていた帝の心情を担って更衣の里に行ったのだ。
  更衣の魂のありかから直接持って来たものではなかったとはいえ、あの装束は、夜ごと帝に抱き抱えられ、櫛笥の箱は、閨の傍らに置かれて帝自身が自らの髪をその櫛で梳りして、愛する人を偲び、一人寝の悲しさ侘しさ堪え難さを、若干でも癒す役割をしていたかもしれない。つまり、靫負の命婦は何パーセントか、道士の役割を果てしていたということである。


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