源氏物語

源氏物語たより574

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     割を食った弘徽殿女御   源氏物語たより574

  弘徽殿女御は、光源氏のために随分割を食ってしまった。
 
  「敵役(かたきやく)」を配置するのは、物語においてしばしば使われる手法である。適役を置くことによって、主人公の良さをますます顕在化することができるし、またそれによって、主人公の行動や思考の正当性や正義が際立ってくる。
  歌舞伎などではしばしばこの手法が使われる。三大歌舞伎と言われる『菅原伝授手習鑑』における時平(菅原道真を陥れた藤原時平)や『仮名手本忠臣蔵』の高師直(吉良上野介)、あるいは『絵本太平記』における武智光秀(明智光秀)や『伽羅先代萩(仙台伊達藩のお家騒動を扱ったもの)』の二木弾正(伊達騒動を起こした家老・原田甲斐)などが有名で、彼らは概ね一目でそれと分かるように、いかにも憎々しげな容貌をしている。

  源氏物語の中には「敵役(悪役)」はあまり出てこない。あえていえば、弘徽殿女御とその父・右大臣、そして内大臣(頭中将)であろうか。
  弘徽殿女御(以下弘徽殿)は確かに「嫌な女」ではある。しかし、桐壷更衣や光源氏のために割を食ってしまっている面も多々ある。細かに見て行けば、それほど悪い女ではない。彼女には彼女なりの正当性があってそう振る舞っているのであって、何の理由もなく読者の髪を逆立てているわけではない。
  桐壷更衣は、多くの女御・更衣からいじめを受けたが、その中心にいたのが弘徽殿であることに間違いはない。しかし、それも帝の常軌を逸した桐壷更衣寵愛ゆえである。帝たるものは、その身分に応じて女御・更衣を等しく扱わなければならないという厳然たるルールがあるのに、この帝はそのルールを忘れ、個人的な純愛に走ってしまった。弘徽殿がいじめを繰り返したのもやむを得ないことである。
  更衣が亡くなった時、彼女は、帝の悲しみにも頓着せず、月が面白いからと言って、夜が更けるまで管弦を催したことなどは、確かに非常識で、非難さるべき行為である。清涼殿と弘徽殿は隣り合っている。帝が清涼殿で更衣を偲んで涙しているというのに、琴や笛や太鼓の音を響かせているというのでは、あまりに慎みのない行為と言わざるを得ず、
  『いとおしたち(我を張る)、かどかどしきところものし給ふ御方にて、(帝の嘆きを)ことにもあらず思し消ちて』
と咎められるのも仕方がない。
  しかし、更衣と女御とではまるで格が違うのである。特に弘徽殿は、右大臣の娘である。左大臣に次ぐ時の人で、故大納言の娘にすぎない桐壷更衣などは物の数ではない。そんな女の死など、彼女にとってはまさに「ことにもあらず」なのである。

  彼女が、光源氏を蛇蝎のように毛嫌いしたのにもそれなりの理由がある。
  まず第一には、あの憎っくき桐壷更衣の子であるということである。次には、その源氏が、自分の子(後の朱雀帝)よりもはるかに容貌に優れ、諸芸・才能に抜きんでていたことである。
  そして、最も彼女を憤らせたのが、帝が、自分の子を差し置いて、源氏を春宮の位に据えかねなかったことである。もちろん、このことについては、帝は一言も弘徽殿に漏らしてはいないが、それでも内心では、
  『坊(春宮)定まり給ふにも、いと(一宮を)ひき越さまほしう』
と思っていたのだ。弘徽殿の子を飛び越して源氏を春宮にと考えたのである。そういう帝の気持ちは、女御に自ずから伝わってしまう。このことが、源氏を不倶戴天の敵と生涯彼女の心にインプットさせたもっとも大きな要因になっていたと思われる。
  自分の子が「春宮」になるか否かは、弘徽殿個人の問題ではなく、右大臣一門の命運・浮沈にかかわることなのである。
  以前、ある小冊子に弘徽殿女御擁護論が載っていた。主旨は
  「弘徽殿女御が、光源氏方に激しい中傷や圧迫を繰り返したのは、子を守る親としての母性本能から出た当然の行為なのである」
というものであった。母性本能も強かったかもしれないが、私は、一門擁護のための必死の行動ということがさらに大きな原因になっていたものと思っている
 
  桐壷更衣が亡くなったことで、弘徽殿の恨みは随分解消されたはずであるが、その忘れ形見は健在であった。それどころか、帝の源氏寵愛はいや増していった。そのために源氏に対する恨みはますます集積されていく。
  そして、何年か後、桐壷更衣に代わって藤壺宮が入内してきた。この宮が桐壷更衣に生き写しと言う。そして忘れ形見とこの宮が、帝の寵を一身(二身?)に受けるようになり、しかも二人はタッグを組むように親しい関係になっていく。弘徽殿としては平静ではいられない。藤壺宮に、かつて桐壷更衣にしたような中傷や誹謗や虐めをしたいのだが、今度は相手が悪い。先帝の娘(内親王)では手を出すことができない。恨みはさらに鬱屈していったろうから、彼女の心は、春の草木の芽(休まる暇とてない)状態であったことだろう。

  弘徽殿を最も絶望させたのは、自分よりもはるかに後に入内してきたこの藤壺宮を、帝が「中宮」にしたことである。面目丸つぶれで、彼女の屈辱たるやいかに深いものであったか想像に難くない。
  『花宴』の巻で、そのことが見事に証明されてしまう。紫宸殿の左近の桜が花盛りということで、花の宴が、二月二十日余りに催された。その晴れの舞台の席が
  『后、春宮の御局、左右にして』
あったのである。この場合の「御局」とは、御座所のことである。中宮とは勿論藤壺宮のことで、春宮(弘徽殿の息子で後の朱雀帝)と藤壺中宮の二人が、玉座を中心にして左右に御座所を位置取り、そこに華々しく登壇してきたのである。恐らくその様子を弘徽殿は正視できなかったであろう。実はこのような状況はこの時だけではなかった。
  『中宮のかくておはするを、折節ごとに安からずおぼせど』
だったのであるが、今回ばかりは、特別である。なぜなら、上達部、殿上人など、百官が悉く集まっている花の宴だからである。しかも、
  『日、いとよく晴れて、空の気色、鳥の声も心地よげなる』
宴であった。全てが華々しく輝きわたっている如月の二十日余りであるということが、何とも皮肉である。弘徽殿一人が、晴れない心を抱いて、管弦を聞き、源氏や頭中将のあでやかな舞を横目に見ているのである。
 
  源氏を須磨に流した張本人も、弘徽殿である。しかし、流すのには当然の理由があった。朱雀帝の寵姫である尚侍の朧月夜(弘徽殿の妹)と、こともあろうに弘徽殿の邸で何度も密会していたのである。
  『かく(弘徽殿と朧月夜が)一所におはして隙もなきに、つゝむところなく(平然と)さて入りものせらるらんは、殊更に軽め、弄ぜらるゝにこそは』
と怒り心頭に発するのは、当然至極のことである。
 
  ここまで上げて来れば、弘徽殿は決して敵役ではないということがよく分かろう。むしろ源氏に軽んじられ嘲弄されていたのであり、帝や桐壷更衣や藤壺宮たちのために、勝れた生まれ育ちであるという誇りをないがしろにされていたのだ。

  ところが、源氏物語の熱い読者である姫君たちにとっては、あくまでも弘徽殿女御は源氏の憎っくき敵役なのである。なぜなら源氏は自分の恋人であるからで、自分の恋人が少しでもいじめられれば、相手は間違いのない悪役になる。これは理性の問題ではない、理性などはかなぐり捨てて感情で姫君たちは、弘徽殿を怨み、彼女の不幸には拍手するのだ。 
  理性的に考えれば、弘徽殿は、源氏があまりに光り輝く存在であったばかりに随分割を食ってしまったのである。
  (でもこんな理性的、分析的読み方をしていれば、源氏物語が面白くなくなる)
  (なお、先に挙げた歌舞伎の敵役も、必ずしも悪人ではない。それぞれの事情があってそうなったのであって、作者によっていかにもより悪人のように脚色されているので、彼らもまた割を食った人物である。伊達騒動の原田甲斐などは、山本周五郎の「(樅の木は残ってた」によって、まったく名誉を回復させられている)


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