源氏物語

源氏物語たより576

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     藤壺宮入内の経緯とその結果  源氏物語たより576

  光源氏の母・桐壷更衣が亡くなって既に随分の歳月が経った。しかし、帝は更衣のことを忘れることがない。いやむしろ年月が経てば経つほど更衣のことが頭から離れることがなかった。帝ともあろうお方が、今は亡き女性にこのようにいつまでも執着するというのは、誠に珍しいことであり、帝がいかに彼女を愛していたか、またその愛がいかに純粋なものであったかの証しであるとも言える。
  更衣亡き後、周囲の者はしかるべき女性をあれこれ帝の傍らに侍らせたが、いずれも更衣に似るべくもなく、帝の心を動かすことはできなかった。

  ところが、先帝の時から仕えていたという典侍(ないしのすけ)が、先帝の四の君のことをよく知っていたことで、情況が変わってくる。四の君は、容貌が勝れているばかりでなく、桐壷更衣に大層似ているという。そこで典侍は、その旨を帝に奏上する。この奏上が帝の心を動かし、熱心に入内するよう申し出る運びとなった。ところが、四の君の母親が、これに異議を唱える。
  『春宮の女御(弘徽殿)のいとさがなくて、桐壷の更衣のあらはにはかなくもてなされし例も忌々しう』
という理由である。「さがなく」とは意地が悪いということで、そういう女御に桐壷更衣は露骨にないがしろにされ、悲運を蒙ってしまったではないか、そんな女御のいる内裏に入るのは何とも忌まわしいこと、と言うのである。
  しかし、その母親も亡くなってしまい、四の宮は心細い状態に陥った。すると、彼女に仕える人々や兄・兵部卿宮が、そんなに心細い状態でいるのだったら、宮中に上がったらどうかと勧めるようになった。そしてついに四の宮の入内が決まったのである。藤壺宮である。
  典侍の奏上の通り、藤壺宮は、桐壷更衣と
  『御かたち・有様、あやしきまでぞおぼえ給へる』
のであった。「おぼえ」とは似ているということで、驚くほど桐壷更衣と似ていたのである。そして、帝の心は
  『おのづから御心うつろひて、こよなく思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり』
という結果になった。この場合の「あはれ」は、人の心の変化がいかに無常なものであるかをいったものである。あれほど愛していたし、また長い間忘れることとてなかった更衣から、帝の心が、自然に藤壺宮に移って行ってしまったとは、人の心の何とも無常なことであるか、と言うしみじみとした感慨をこの「あはれ」は表している。
  しかし、この帝の心移りは、決して浮気なものではない。何しろあれから七年も経っているのだから。むしろこの長い年月、他の女性に心を移すこともなかったというのは、称賛に値するのではあるまいか。
  これ以降、当然のことながら、帝は
  『しげく(藤壺宮の所へ)渡らせ給ふ』
ようになり、かつて更衣にされたように、この宮をこよなく寵愛するようになる。

  ところが、不思議なことには、他の女御・更衣たちが、今回は騒がないのである。もちろん嫌がらせもしないし蔑むこともない。弘徽殿女御などよりも、はるかに遅く入内したというのに、これは一体どうしたことであろうか。
  それは、更衣とは全く身分が違うということが原因なのである。桐壷更衣の親は大納言であった。一方、藤壺宮は先帝の娘、つまり皇女である。ここには比べようがないほどの差がある。大納言の娘風情の者が、身分不相応に帝の寵愛を受けたからこそ総スカンを食うことになったのだ。
  もちろん、宮と大臣の娘との間にもはるかな差がある。したがって弘徽殿女御も、藤壺宮には文句の言いようがないのである。

  当時の人々の考え方が、「天皇第一」であったことはもちろんなのだが、源氏物語では、特別に親王・内親王(皇子・皇女)というものを敬っている。
  この後、源氏は十二歳で元服する。桐壷帝は源氏を殊の外寵愛していたので、元服の式も、春宮に劣るところなく厳かに清らを尽くした儀式を挙行する。
  ところが、式が終わり祝宴となり、源氏が壇上から下りると
  『親王たちの御座の末に源氏着き給へり』
ということになったのである。源氏は親王ではないからだ。彼が八歳の時に、源氏の将来を心配した桐壷帝によって親王にもせず、臣籍に下ろされていて、今は「源氏」なのである。したがって、彼はどの親王よりも末席に着かなければならなかったのである。
  源氏物語の男どもが、何かと言えば内親王や皇女を妻に迎えたがったのはこのことに因る。そもそも頭中将の父親(左大臣)の北の方も「大宮」と言われていて、桐壷帝の妹なのである。頭中将が源氏に対抗意識を燃やすのも、こんなところに原因がある。「俺だって、源氏とさして身分は違わないではないか」という自尊心からである。
  柏木が、皇女・落葉宮を妻にしていながら、さらにその妹の女三宮に異常なほどの恋心を持つのも、女三宮のほうがより血統が好かったし、彼女が朱雀院からこよなく愛されていたからである。
  また、夕霧が、柏木亡き後、その未亡人である落葉宮を強引に妻にするのも、正妻の雲居雁が頭中将(左大臣の嫡男)の娘に過ぎなかったからである。
  さらに、源氏が、あれほど愛していたし長く夫婦の関係を築いてきた紫上を正妻にすることなく、二十五歳も年下の女三宮を北の方に迎えたのも、同じ考えからなのである。

  このような当時の人々の考え方があるがゆえに、藤壺宮は、他の女御・更衣から何の抵抗・圧迫も貶め・嫉みも受けずに桐壷帝の寵愛を思うままに受けることができたのである。そして、弘徽殿女御を差し置いて中宮にもなり、源氏との間にできた秘密の子を春宮にすることもできたのである。


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