源氏物語

源氏物語たより578

 ←源氏物語たより577 →源氏物語たより579
     藤壺宮に魅かれていく過程  源氏物語たより578

  光源氏が十一歳の時に、藤壺宮が入内してきた。この宮が、源氏の母・桐壷更衣に生き写しだと言う。源氏はその母と三歳の時に死別しているので、元より顔も何も知らない。ところが、宮を帝に紹介した典侍(ないしのすけ)が、わざわざ源氏に
  『いとよう似給へり』
などと吹聴するものだから、源氏はすっかり宮のことを
  『いとあはれと思ひ聞こえ給ひて、常にまゐらまほしう、なづさひ見たてまつらばや』
と思うようになってしまった。
  この場合の「あはれ」は、亡き人を偲ぶ懐旧の情である。母の姿などは毛頭記憶にはないのだが、それでも、
「あなたのかあさんにそっくりよ」
と言われれば、何も知らない母の姿を思い描いて、しみじみとした感慨を催すのも当然の成りゆきである。また、そういう人に「馴れ親しみ、いつもそばにいたい」と思うのも十分理解できる子供心と言える。

  帝は、藤壺宮をこよなく寵愛し片時もそばから離さない。一方、源氏も、帝の寵児なので、そばから離すことがない。と、どういうことになるのだろうか。
  『しげく渡らせ給ふ御方は、え恥ぢあへ給はず』
という結果になった。宮の所に、帝が源氏を連れてしばしば渡って行かれるので、自ずから源氏と会う機会が多くなる。幼い子であるとはいえ、男の子である以上、宮はまともに顔を合せることは避けなければならない。しかし、こうしばしば来られたのでは、毎回、顔を隠してもいられない。「え・・ず」とは、「何々することができない」という意味で、いつも恥じらって顔を隠してばかりもいられないということで、自然に源氏と顔を合わせることになってしまうのだ。

  帝もまたうかつであった。宮に対してこう言うのだから。
  『なうとみ給ひそ。あやしくよそへ聞こえつべき心地なむする。なめしと思さで、らうたくし給へ』
  「源氏のことを疎まないように。あなたは、不思議なほど源氏の母に似ていますのでね。近くにいても「無礼な」などとは思わないで、可愛がってあげなさい」ということである。
  源氏は、元服前だから、子供であることには違いないのだが、それでも寵愛する女性のところにしばしば男の子を連れて行って、宮に「可愛がって」とは、常軌を逸したことと言わざるを得ないし、帝の大変な油断である。おそらく当時としてはありえないことであったろう。これでは問題が起こっても仕方がない。

  勿論、帝は源氏を藤壺宮の所だけに連れて行ったわけではない。妃は大勢いるのだから、そこにも連れて行っている。彼女らもそれぞれ優れた女性なのだが、みな大人びた人ばかりである。それに比べて、宮は大層若く美しい。
  宮は十六歳なので、源氏との年齢差は五歳。帝の歳は分からないけれども、おそらく三十歳は疾うに越えていよう。つまり帝との年齢差よりも、源氏との差の方がはるかに小さいのだ。これも問題を起こす要因となる。

  さて、ここで考えておかなければならないことは、十一歳とはどういう年ごろであろうかということである。現在で言えば、十歳で、小学校の四、五年生に相当する。この歳の男の子は、丁度女の子に対して興味・関心を持ち始める時期に当たるのではなかろうか。私の経験からしてもそうだ。
  五年生の時に学芸会があった。私が主人公の一人(夢の中の主人公で、現の主人公がもう一人いた)で、夢の中で手をつないだ女の子や金平糖の精の役をやっていた可愛い女の子を夢(これは本当の夢)に見たものである。
  だから源氏が若く美しい宮に恋心を持つのも当然であろう。
  ただ、五歳も年上の女性にあこがれの気持ちを持つかとなると、問題である。これは現代の男の感覚には合わない気がする。私自身、小学生の時は勿論のこと、中学でも高校でも、五歳も上の女性に恋心を持ったことはない。大学二年の孫にこの話をしていたら、こんなことを言うので、妻とともに呆れた。
  「僕は一つでも年上の女に関心はない。まして三十過ぎの人なんて、おばあさん」
  ところが、源氏の感覚は現代とはずれていて、年上の女性とのかかわりが多いのである。十代の時に、彼は六条御息所にひどく熱を上げている。御息所は源氏よりも九歳も年上であった。葵上もやはり五歳も上である(もっともこれは政略結婚であって、源氏が望んだものではないが。また後には、玉鬘や女三宮のように、はるかに若い女性とも関係していくのだが)。

  この点、当時の男性一般がどういう傾向にあったのかは分からないが、とにかく若い時の源氏は、何か年上好みで、それは彼の独自性のような気がしてならない。

  それも、彼の天賦の才能に由来しているのではなかろう。帝は、源氏が七つの時に「読書(ふみ)始め」をさせた。彼の才能たるや、恐ろしいほどのもので、今まで世にないほどに聡く賢い子であった。それは表立った学問だけではなかった。
  『琴・笛の音にも雲井を響かし、すべて言ひつづけば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき』
ほどであった。七歳の子が弾く琴や笛の音が、宮中の人々の度肝を抜いたという。これ以外にもまだまだ挙げればきりがないが、そこまで数え上げたのでは、大仰になるし、気味悪くもなるだろうから、適当なところで省こうというのである。
  また彼は、十歳の頃、たまたま日本に渡って来ていた高麗の相人と、漢詩を作り交わしたという。恐れ入った神童ぶりである。
「ねびまさる」と言う古語がある。「年齢よりも大人びて見える」意味である。源氏はまさにこの言葉に当てはまる子であった。いやこの言葉以上に、あまりに早熟だった。
  そんな源氏が、歳とも関係なく、また母似であるか否かにも関係なく、「理想的な」女性である藤壺宮に心を騒がせないはずはない。

  ところが、十二歳で元服すると、さすがに帝は、彼を宮の部屋には連れて入ることはしなくなった。その措置がかえって彼の心に火をつけた。直接宮の姿を見ることができなくなった彼は、「遊び」の時が、唯一宮の空気に触れる機会となった。「遊び」とは、管弦のことで、琴や笛の合奏の時に、宮と心を通わせあったというのである。もちろん彼の一人勝手な「心の通わし」にすぎなかったのだが。
  またそういう機会に、御簾の向こうから漏れてくる宮の
  『ほのかなる御声を慰めにて、内裏(うち)住みのみ好ましう覚え給ふ』
のである。宮に会う機会が多くなるはずだからということで、家にも帰えらず、妻である葵上のところにも行かないで、内裏ばかりにいたという。これが十数歳の男の子の感覚なのだから、現代の若い連中と比較するのが間違っていたかも知れない。
  その後、源氏は、母の里である邸を修理、改善して素晴らしい建物を建造してもらう。完成した邸を見て、彼がつぶやく声が切実である。
  『かかるところに思ふやうな人をすゑて住まばや』

  このような経過のもとに、源氏十八歳の時、二人は運命的な逢瀬をもつ。それは必然ともいえる結果なのである。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより577】へ
  • 【源氏物語たより579】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより577】へ
  • 【源氏物語たより579】へ