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源氏物語

源氏物語たより580

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この「あはれ」  源氏物語たより580

  光源氏は、方違えどころとして紀伊守の邸がよいと決めた。
  先ほど、紀伊守と話をしていた女(空蝉)のことや酒の酔いもあったのだろうか、その晩、彼はなかなか寛いで寝られずにいた。
すると、彼の部屋の北隣の障子(襖のこと)の向こうに人の気配がするではないか。
  『こなたや、かく言ふ人の隠れたる方ならん。「あはれや」と御心留めて』
その気配をうかがう。「ひょっとすると障子の向こうが、先ほど紀伊守が話していた女が隠れているところかも知れない、「あはれや」と源氏は心を留め」たのである。

  それでは、ここに登場する空蝉と言う女性のことを少し詳しく見ておこう。
  空蝉は、衛門督(えもんのかみ)の娘である。衛門督の位は、従四位下なので比較的高い身分ではあるが、まだまだ参議には遠い。だから中納言や大納言になれるかどうかは不明である。おそらく無理であろう。親は、空蝉に宮仕えさせるつもりであったと言うが、この身分の娘ではとても更衣になることなどできはしない。せいぜい帝お付きの女房になり、やがて上臈女房になれるかどうかというところであろう。
  ところが、親の衛門督が亡くなってしまったことで、こと志と違ってしまう。そのために、彼女は一介の受領の妻になるしかなかった。それが伊予介(紀伊守の父親)で、大層高齢でもあった。

  それでは先ほどの北隣の部屋の話に戻ろう。
  源氏は、北隣の人は恐らく空蝉であろうと想像し、彼女のことを「あはれや」と感じているのだが、さて、この「あはれ」は一体どういう意味で使われているのだろうか。例によって三冊の解説書を見てみることにする。そこには
  小学館『古典文学大系』  「かわいそうな」
  岩波書店『日本の古典』  「可愛そうだ、気位の高い女だったのに」
  角川書店『源氏物語評釈』 「ああ、気の毒な」
とあり、いずれもほぼ同じように同情、憐憫の意味にとっている。
  しかし、源氏がここで空蝉のことを「可哀そうだ」などと感じ、それゆえに心を留める、などと言うことがあるだろうか。先に見たように、衛門督の位は、特別高いというものではなく、その娘は、親がどう努力しても更衣になどはなれないのだから、宮仕えができなくなったからといって、それほど同情に値することではない。確かに、親を亡くしてしまったこと、高齢の受領の妻にしかなれなかったことは、「可哀そう」なことかも知れないが、例の源氏がそんな些細な理由をもって、空蝉に対して同情や憐憫の情を催すとは考えられない。

  彼が、隣部屋の女性に心を動かした理由は、『帚木』の巻の「雨夜の品定め」で、左馬頭が話したことに因っているとしか考えられないのである。左馬頭の話は、源氏の頭に深く刻み付けられていた。その話とは
  『淋しくあばれたらん葎の門に、思ひの外にらうたげならん人(女)の閉ぢられたらむこそ、限りなく珍しくはおぼえめ』
である。淋しく荒れ果てているような屋敷の中に、意外に可愛い女が隠れているのを見つけ出すことにこそ、珍しさがあり心惹かれるものがあるのだ、という意味である。
  受領の伊予介の邸といえば、決して「淋しくあばれたる」屋敷ではないだろうが、源氏の目にはその程度にしか映らない。いずれにしても、受領階級は源氏にとっては「中の品」であり、その妻といえば、「葎の門」の内に隠れた未知の女に等しいのである。
  
  「方違えには紀伊守の邸を」
と供の者が源氏に伝えた時に、
  「紀伊守の邸には女(空蝉)が方違えに来ている」
と付け加えると、源氏は即
  「そういう女近い所こそ、私にはいいのだ」
とはしゃいだのは、左馬頭の話が、彼の頭の中にこびりついていたからだ。
  ということは、紀伊守の所に来た時には、すでに彼の心と行動は定まっていたということである。だから、紀伊守に冗談交じりに
  「女の用意もできているだろうな」
と言ったのは、実は冗談ではなかったのだ。

  始めはがらんとした部屋で「いたづら臥し」をしていた源氏ではあるが、彼の関心はもっぱら空蝉にあっったので、北隣に女の気配を感じるや、彼の好色心にめらめらと火が着いた。そこで即座に
  『やをら起きて、立ち聞き給へば』
と言う行動に出たのである。

  そんな心境でいる時に、空蝉のことを「可哀そうだ」、「気の毒だ」などという感慨が湧くだろうか。そうではなく、彼の恋心が燃え上がったのだ。したがって、ここの「あはれ」は
  「愛しい」「恋しい」
という意味で訳さなければならないのである。どうも学者というのは、恋とか愛とかに遠慮がちで、その言葉を使うのにためらいがちである。(このことは、他の所でもしばしば目にする)
  それでは、ちなみに作家はどう訳しているのかと思って見てみたら、与謝野晶子も谷崎潤一郎も瀬戸内寂聴も、みな「可哀そう」であった。学者の説に引かれたのであろう。
  ところが、新しい学者(?)である林望(謹訳源氏物語 祥伝社)だけはこう訳している。
  「ああ、気になるな・・」
  これこそ正解なのである。広辞苑で「あはれ」の項を引いてみたら、まず初めに
  「深くしみじみと心を惹かれる感じ」
と出ていた。したがって私がこの「あはれ」を訳すことになれば、少々冗長ではあるが、
  「恋心を沸かせ、心を惹きつける気配だな」
ということになる。
  源氏が「いたづら臥し」をしてまんじりともしなかったのは、噂の空蝉に逢いたくて仕方がなかったからで、酒のせいではない。彼は、紀伊守の邸に来る前から、「中の品」である伊予介の妻のことが気になり、そわそわしていたのだ。なにしろ、左馬頭の言っていた「中の品」の女を、初めて体験することができるかもしれないのだ。彼の胸は高鳴り続けていた。だから万一空蝉に会えずに終わってしまったら、まさに「いたづら臥し」になってしまう。「いたづら臥し」とは、「無駄な、つまらぬ一人寝」のことである。

  空蝉が、女房の「中将の君」を召したのを「良き機会」とばかり、「近衛の中将」である源氏は、強引に彼女の部屋に押し入り、思いを遂げてしまった。それは、
  『心苦しくはあれど、見ざらましかば、口惜しからまし』
と思ったからである。この場合の「見る」は、男女の関係を結ぶことで、もしここで強引にでも契っておかなければ、左馬頭が吹聴していた持論の「葎の門(中の品)の女にこそ・・」を実行できなくなってしまい、至極残念なことになってしまうことを恐れた結果である。


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