源氏物語

源氏物語たより581

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     隠された意図   源氏物語たより581

  私には,『帚木』の巻に疑問に思えてならない箇所がある。光源氏が空蝉と遭遇し、結局は強引に男女の関係を結んでしまう箇所である。
  この巻においける、源氏が、空蝉に逢うまでの経過は実にスムーズで、紫式部の物語の構成の巧みさ、展開の鮮やかさには改めて感心させられるのだが。

  「雨夜の品定め」のあと、葵上の邸は方が塞がっていることを承知で、あえて彼女の邸を訪ねた源氏は、女房たちが「方違えをなさらなければ・・」と唆(そそのか)すので、渋々顔を装って方違えをすることにした。
  方違え先は、紀伊守邸であった。そこには紀伊守の父親・伊予介の妻である空蝉も物忌みのために来ていた。
  源氏は既に空蝉のうわさは聞いていた。以前、彼女の父親が、娘を宮仕えをさせたいという強い思いを持っているという話を宮中で聞いていたからである。ところがその父親が亡くなってしまったために、話は反故になってしまって、心ならずも受領風情の伊予介の妻となっていたのである。
  もちろん源氏は空蝉に会ったことはない。しかし、宮仕えさせることが父親の本望であるというのであれば、恐らく優れた女であろうと、彼は思い描いていたことと思われる。しかも彼女はなかなか気位も高いと言う。だから、紀伊守が
  「父・伊予介の女房(空蝉)が物忌みのために我が家に来ているので・・」
と渋って言ってきた時に、
  『その人(女)近からんなむ、嬉しかるべき』
と手を打つが如く喜び勇んだのだ。これでは断るわけにもいかない。

  さて、紀伊守は、源氏御一行が御入来ということで、あれこれ立ち働く。供の者たちには、渡殿から湧き出している泉の所で酒を振る舞う。源氏は、寝殿の東廂にいて、酒のつまみだけをいただいている。そそくさと源氏の世話をする紀伊守に対して、彼はこんな難題を吹きかける。
  『帷帳(とばりちょう)もいかにぞは。さる方の心もなくては、めざましきあるじならん』
  実はこれは催馬楽から取った言葉なのである。いささか難しい文句ではあるが、これが分からないと、源氏が言っていることが何なのかさっぱり理解できないので、あえてその全文を上げておこう。
  『我家は、帷帳も垂れたるを、大君来ませ、婿にせむ。み肴に何よけむ。あはび(鮑)、さだをか(サザエ)、かせ(ウニ)よけむ、かせよけむ』
  (私の家では寝室のカーテンも下してあります。さあ、大君よ、いらっしゃい。婿にしましょう。お祝いの肴には何が好いでしょうか。鮑?サザエ?それともウニ?)
  要するに、男を迎える囃し歌である。寝室(女)の用意もできていますし、ぜひお出で下さい、肴には何がいいですか、鮑、サザエ・・と言うのである。
  実はこの催馬楽、相当危ないことを歌っているのである。「かせ(ウニ)」は、女陰を表すのだそうだ。そういえばアワビもそんな形をしているし、ひょっとするとサザエも・・とうがって考えてしまうくらい猥雑な歌なのである。

  ということは、源氏は、随分危うく無理なことを紀伊守に要求しているということである。「酒の用意はとにかく、肴(女)の用意はできているのかね?」と言うのだから、実に嫌らしい。しかも「そのくらいの気配りがないのでは、何とも殺風景で拍子抜けの接待と言わねばならぬな」とまで言うのだ。紀伊守としては答えようもなく、
  「何がよろしいかも、承っておりませんでしたので・・」
と緊張して控えているしかない。
  
  この後、可愛い子が源氏の目に入ったので、紀伊守に尋ねてみると、果たして空蝉の弟だと言う。その弟と空蝉の話を、身を乗り出すようにして興味津々聞き出す。
 
  源氏の寝室は、寝殿の縁に近い東廂に設えられていたのだが、母屋の南側にも源氏の寝所が設けられていたようである。彼は、先ほどの話が気になるのであろう、まんじりともできない。すると、源氏の寝ている所の北側に当たる部屋に人の気配がする。敏感な源氏は、それが空蝉であろうと推測する。案の定、先ほどの可愛らしい男の子(弟)と空蝉が話している声が聞こえてくるではないか。これで、攻撃すべき地点ははっきりしたし源氏の意志も決まった。
  空蝉が、女房の「中将の君」を呼んでいるのにこと寄せて、「近衛の中将」である源氏は、つかつかと空蝉の部屋に入り込み、例の「鬼・神の心も和らいでしまうであろう様な」甘い言葉で言い寄り、強引に関係を結んでしまう。
  弟の声を頼りに空蝉の居場所を定め、また「中将の君」を利用してつかつかと空蝉の部屋に入り込み、思いを遂げてしまうのであるが、このあたりの物語の展開の巧妙さは、紫式部の独壇場と言っていいだろう。

  ただ、ここで不思議に思うのは、なぜ源氏の寝所を、空蝉と同じ母屋に設(しつら)えたのであろうかということである。二人を隔てているのは、襖だけなのである。これはどう考えてもおかしい。あの好色な源氏の部屋を、女と同じ母屋に設えるというのでは、羊の群れに狼を放したよりも危ない。源氏が好色な男であることは、紀伊守も重々承知していたはずであるのに。
  この不可解な紀伊守の措置は、一体どう考えたらいいのだろうか。紀伊守があえて取った措置だと考えるのが妥当である。いやそれしか考えようがないのである。

  先の催馬楽に戻って、そのあたりを探ってみよう。
  「帷帳(女)の用意はできているのだろうね。それくらいの配慮がなくては、くそ面白くもない供応と言うしかないな」
とまで言われたのである。そう言われた時に、紀伊守は言葉を濁して「いやどうも・・」と
  『かしこまりて、さぶらふ』
しかなかったとあるのだが、それは源氏の申し出を何とか叶えなければならないという苦渋の思いからであるはずだ。

  ところで、どの解説書も訳書も
  「戯れて言いなさる」(岩波書店 日本古典文学大系)
  「源氏は冗談を言う」(角川書店 源氏物語評釈)
と冗談に取っているのだ。はたして源氏は冗談で言ったのだろうか。林望「謹訳源氏物語」などは、源氏の言葉の後に
  「(もう一つのもてなしもないと)とにかく接待はがっかりだが、ははは」
と笑い声まで入れている。
  私にはとてもそうは思えないのである。たぶんに本気から出た言葉と考えなければならないだろう。

  紀伊守からすれば、真に難問である。なぜなら相手は誰あろう、今を時めく光源氏さまなのである。源氏は、今上の寵児であるばかりではない。
  『御門の御前に夜昼さぶらひ給ひて、奏し給ふことの成らぬはなかりし』
というほどの実力者なのである。源氏が、帝に申しあげることで採用されないことなど全くないのだ。それほど帝の絶大な信頼を得ている人物なのである。しかも源氏は、今の政界を牛耳っている左大臣の娘婿でもあるのだ。
  さらに諸般の状況から察するに、この紀伊守は、どうやら左大臣の恩顧を多分に受けているようである。このような事情下では、源氏の申し出を拒むことなどとてもできないことである。普通なら、我が家を方違え所として選んでくれたことは、天にも昇るほどの歓びであり絶好のチャンスなはずである。うまくもてなしおおせれば、今度は大国の受領間違いなしなのである。
  しかし一方、一歩間違えば命取りにもなりかねない。源氏の申し出を実現することが、彼に課せられた逃れられない使命になってしまったのだ。
  そうかといって、父親の妻を差し出すというのも、いかに何でも苦しい所業である。源氏が最初にやって来ると聞いた時には、いったん断っているのは、そのあたりを配慮したものであろうし、またどうしても源氏が来ると聞いた時にも
  『「にはかに」とわぶれど』
と困惑している。それは源氏の好色を警戒したからに他ならない。
  しかし、源氏が根掘り葉掘り空蝉のことを興味津々と聞いていたことからすれば、空蝉を望んでいることは明らかである。そうかと言って源氏の部屋に空蝉を導くことも難しい。そこで、彼は、同じ母屋の襖を隔てただけの所に、源氏の寝所を設えたのだ。そうすれば、好色な源氏さまのこと、勝手にすべきようにするであろう。となれば、そのことがたとえ公になったとしても、「あれは源氏さまが勝手になさったこと」と父親に対しても世間に対しても言い訳は立つ。

  紀伊守が想像していたように源氏はもそもそと這い出した。しかも
  『みな静まりたる気配なれば、(襖の)掛け金を試みに開け給へれば、あなた(向こう)よりはささざりけり』
という状態であった。源氏は何の抵抗もなしに空蝉の寝所に入れたのである。なぜ肝心な「掛け金」のカギをかけておかなかったのかは、もう言わずもがなで、先のように考えれば、容易に推察できることである。



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