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源氏物語

源氏物語たより586

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     強制口説きの因ってきたる所  源氏物語たより585

  光源氏の案内役を務める小君(空蝉の弟)は、まずは姉とは襖一枚を隔てた部屋に寝る。女房たちは東廂にごろごろ寝ているようである。彼は、
  『とばかり空寝(狸寝入り)して、火明き方に屏風を広げて、影ほのかなるに、やをら(源氏を)入れたてまつる』
と幼い知恵を働かせて、源氏を空蝉の部屋に入れようとする。源氏は、小君の案内に従って、母屋の几帳の帷子(かたびら)を引き上げて、そろりと入って行く。
  しかし、源氏の気配にいち早く気付いた空蝉は、生絹(すずし)の単衣(ひとえ)一枚をまとって、そろりと部屋から逃げ出してしまう。
  なぜそんなにすぐ源氏の御入来が分かったのかというと、一つには、みなが寝静まった夜なので、源氏の柔らかい衣の擦れる音が特別だったからである。源氏の衣と言えば超高級品だ。それともう一つは、源氏が焚きしめている香の匂わしいこと限りなかったからである。これもまた超一級品である。

  それだけではない。空蝉は、ここのところずっと源氏のことが頭から離れず、安らかに寝ることもできない状態にあったこともある。それは、
  『昼はながめ(もの思いに耽り)夜は寝ざめがちなれば、「春ならぬ木の芽」』
というほどのものであった。「春ならぬ木の芽」は、次の歌から引いたものである。
  『夜は醒め 昼はながめに暮らされて 春は木の芽ぞいとなかりける』
  「春は木の芽が伸びるのに一心で、ゆっくり休んでいる暇もない。私も夜昼もの思いのために目をつぶって安穏に寝ることもできない」という意味で、春の木の芽は、まさに「いとなし(目を休ませている暇がない)」の空蝉の今の状態そのものであった。源氏の求愛を避けつつも、完全に振り切ってしまうのも惜しいという女心で、一筋に源氏を嫌っているわけではないところが難しいのである。それでも夫のある身、源氏を受け入れることなど、とてもできることではない。

  空蝉が部屋から抜け出してしまったとはつゆ知らず、源氏は、女が一人で寝ているのに心躍らせてそばに寄り、女の衣を押しやってみると、なんと
  『ありし(空蝉の)気配よりはものものしく・・いぎたなきさまなどぞ、怪しく変はりて』
いるではないか。空蝉は体が小さかったはずなのに、この女は大柄である。それに寝方も品がない。「人違い」であることに気付き、それが先に垣間見た軒端荻だと知る。
  本意の人がこれほど逃げる意志が強いのでは諦めるしか仕方がない、と、すごすごと引き下がるかと思いきや、そこが源氏の凡人とは違うところで、こう思い直してしまう。
  『かのをかしかりつる火影ならば、いかがはせむ』
  「あの可愛い女なら、それもそれでいいではないか」と言うのだから困った男で、結局軒端荻と契ってしまう。
ようよう男に犯されたことに気づいた女は、驚き呆れる。そこで源氏はこう言って納得させようとする。
  『人知りたることよりも、かやうなるは、あはれ添ふこととなん、昔人も言ひける。あひ思ひ給へよ』
  何とも厚顔無恥で自分勝手な口説きである。
  「みんに知れている恋よりも、誰にも知られていないこのような恋の方が、一層情愛が深まるって、昔の人も言ってるでしょ」
と言うのだ。はたして昔の人がそんなことを言っているのかどうか、どうせ源氏の出まかせに決まっている。そもそもそんなことは源氏にとってはどうでもいいことで、女を納得させてしまえば、それで済んでしまうことなのだ。
  それにしても、「あひ思ひ給へよ」とは、なんというわがまま勝手な押し付けであろうか。
  「私はあなたのことをこんなに恋しく思っているのだから、あなたも私のことを恋しい方と思いなさい」
と恋の押し売りをしているのである。
  相手の女を間違えているというのに、それを正当化してしまうばかりか、もっと深い関係にならなければいけないと強要、説得するのだから、開いた口がふさがらない。源氏にしかできない芸当と言える。

  この強引さは、後に『花宴』の巻でも発揮される。
  紫宸殿で行われた花の宴の後、酒や歌での酔い心地が残っていたのであろう、このまま帰ってしまうのも惜しいと、源氏は、藤壺宮恋しさに、藤壺殿舎のあたりをうろつきまわる。しかし藤壺の殿舎は戸締りがしっかりしていて一分の隙もない。
仕方なく、弘徽殿の殿舎に回ると、細殿の三の口が開いているではないか。そこから中を覗いていると、向こうから
  『朧月夜に似るものぞなき』
などと暢気に歌を詠いながらやって来る女がいる。彼は女の袖を捕まえる。びっくりする女に「驚くことはない」と言いながら、こんな歌を詠む。
  『深き夜のあはれを知るも 入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ』
  「この朧月の夜の情趣を理解できる私とあなただ、この宿縁はいい加減なものではないはず」という意味である。初めて会った女を捕まえて、あなたとの縁は浅くはない、と言うのだから、押しつけ、強制も甚だしい。
  彼の強引さはそれだけではない。女を抱きかかえると、三の口から中に入り込んで、ぴたりと錠を鎖してしまう。女がびっくりして
「ここに変な人がいる!」
と騒ごうとすると、源氏はこう言う。
  『まろは、みな人に許されたれば、(人を)召し寄せたりとも、なむでうことかあらん。ただ、忍びてこそ』
  「私が何をしようと、誰もみな許してくれるのだから、たとえ人を召し寄せたとしても、なんということもないよ」というのである。なんという傲慢さ、横柄さであろうか。事実源氏は「誰もが許す身」なのだから仕方がないが、それにしても厚かましい。
  そして「ただ、忍びてこそ」と駄目を押す。「ただひたすらじっと静かにしていなさい」と言うのだから、通常の男に真似のできる芸当ではない。
 
  この傲慢さ強引さは、一体どこからきたものであろうか。
  一つには、天皇の子という生まれ育ちが、彼をそうさせたのではなかろうかと思う。桐壷帝は、源氏を随分厳しく育てたようであるが、それでも乳母などは、継子のし放題になりがちで、諌めるべき時にそれができない。ましてお付きの女房たちは「皇子様、皇子様」とちやほやする。そんなことが積み重なれば、自ずから傲慢さや横柄さが育っていく。また天皇の子では、周囲の誰も下手に手出しできない。
  それに、彼の「人となり」も一枚咬んでいる。彼は、どんな分野でも抜群の能力を発揮する。ならぬことはないのである。『須磨』の巻に
  『御門(帝)の御前に夜昼さぶらひ給ひて、奏し給ふことのならぬはなかりし』
とある。天皇に申しあげることで通らないことなど何一つなかったというのである。そこから「誰もが私の話を聞く」という驕りや高ぶりの心が醸成されていく。ましてか弱い女などは、「なむでふことかあらん」である。
  そういう彼の才能と生まれ育ちが、彼をして傲慢勝手な男にしていったと考えられる。
 
  空蝉を最初に犯した時も、知りもしない女に向かって、
  「私はあなたのことを、ずっと以前から思い続けていました。ですからこういう機会を待ちに待っていたのです。決して浮気で唐突な気持ちからではありません」
と平然と嘘をついている。でも彼にとっては嘘をついているという自覚はないのかもしれない。「天皇の子の言うことに間違いはありませんよ、私の言うことは誰もが信じることなのですよ」という意識が、彼の中に育っていたと言っても言い過ぎではなかろう。 
しかも彼の言葉の甘やかさたるや「鬼、神」までもが心酔してしまうという。誰でも靡いてしまうのだ。こうして彼の「何でも可能、何をしてもいい」という自意識が助長されていく。
  空蝉は、心ならずも源氏を拒否し続けたが、朧月夜とはその後も深い仲になって行く。軒端荻は、成り行き任せにしているうちに、いつか関係は切れてしまう。

  通常なら、源氏の傲慢さ、横柄さ、強引さは、女の忌み嫌うところなのに、みなそれを許してしまう。それどころか、読者も、源氏の無理無体を決して暗くは感じないし、嫌らしくも感じない。むしろ彼の行動を好感を持って見ているという不思議さ。それも天皇の子という生育徳と、源氏という男の人徳なのだろう。それゆえにこそ源氏物語は面白いのだが。


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