源氏物語

源氏物語たより588

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     密通か強姦か   源氏物語たより588
 
  光源氏という男は、身体強健であったようで、彼の五十二年の生涯(『幻』の巻まで)において病気らしい病気はしていない。十八歳の時に、わらわ病みで北山に住む名医の聖の所に行って加持をしてもらっている。但しその日にはもう治ってしまっているばかりか、庵の周辺を歩き回って幼い紫上を探し出して夢中になったりしている。
  ずっと後に、朧月夜もわらわ病みを患っているが、当時流行ったものなのであろう。間欠的に熱の出るマラリヤのような病気だと言うが、風邪程度のさしたる病気ではなかったのかもしれない。
  この前年(源氏十七歳)には、夕顔の頓死で、帝も驚くほど痩せてしまうという病にかっているが、これは精神的ショックからきたもので、病と言えるのかどうか。それ以外源氏が患った話はない。
 
  光源氏と比べるのは恐れ多いことではあるが、私も比較的丈夫な方なのかもしれない。今まで入院したのは胆石の手術くらいで、高血圧症と慢性腰痛持ちではあるが、それ以外は案外丈夫で病み臥せるほどの病気はしたことがない。

  ところが今回、声の異常を覚えたので、耳鼻咽喉科に行ったところ、「喉頭癌の恐れがある」と言われて、検査のために喉頭の一部切除を行うことになってしまった。それでもどうせ一日か二日の施術であろうと楽観していたら、なんと一週間も入院するという大事になってしまった。それも意外に大げさな手術で、全身麻酔をしてのものであった。
  でも、手術の翌日からはもう普通の食事ができ、点滴をするぐらいが日課になったので、隙に任せて何冊かの本を読了してしまった。
  その中の今井源衛の『源氏物語への招待』(小学館)は再読なのだが、とても分かりやすく心にスッと入ってきた。彼の文章は、専門家にありがちな難解な語句の頻用や持って回った言い回しがなく、文章は平明で明快、主旨が極めて把握しやすい。彼の源氏物語関係の本は三冊持っているが、いずれも読み安く、いつも新しいことを発見させてくれる。特にこの『源氏物語への招待』は、素人向け(とは言っても、ある程度源氏物語を読み込んでいる人が対象)に書かれているので、源氏物語の理解のためには極めて参考になる。この本によって「なるほど」と思わされたり、「そういう捉え方もあるのか」などと肯かされたりすることが多かった。

  ところが、今回の読みで『愛のかたちー「もののまぎれ」の実体』の項については疑問に思うところが出てきてしまった。『愛のかたち』の主旨は概ね次のようにまとめることができよう。

  光源氏が、空蝉や朧月夜などと強引に関係を結んでしまったことは、男の圧倒的な力による「強姦」であり「暴行」であるにもかかわらず、従来源氏のこの行為を「もののまぎれ」とか「密通(密会)」とかいう言葉で解釈されてきたのだが、そんな生易しい解釈でいいはずはない。これについてはもっと慎重であるべきではなかろうか。
  「もののまぎれ」とは辞書的には
  「物事の混乱に巻き込まれること、何かに取り紛れて気づかないこと」
であり、そこから派生して
  「ひそかに人目を紛らわして事をなすこと。特に密会のことをそれとなくいう」
であるが、源氏の行為をこの範疇で捉えていいわけはない。そもそも「密会」は、男と女の双方にある程度の心の通じ合いがある場合を言うのではないか。つまり「密会」は一種の「和合」なのだが、源氏と女性たちとの場合にはそれが全くない。
  空蝉や朧月夜のみならず、藤壺宮、六条御息所、紫上、末摘花、明石君など、すべてが源氏の強姦(暴行)によって始まった男女関係なのである。また、柏木と女三宮の関係も、匂宮と中君、浮舟の関係も、みな強姦(暴行)によって始まったものである。

  と彼は説くのであるが、私も、源氏の行為は強姦に違いないとは思う一方、そうかと言ってすべて「強姦(暴行)である」と言い切ってしまうことにも多分に抵抗を感じる。少なくとも源氏の「強姦」は、現代頻発している、平凡な男による自己の性欲を満足させるだけが目的の強姦とは質を異にすると言わなければならないからである。
  一つ一つの例を見ていくことは煩瑣になるかもしれないが、今井源衛がそうしているので、やはり私も、空蝉から浮舟まで丁寧に見ていくことにする。

  空蝉の場合は、源氏の方違え先(紀伊守邸)にたまたま来ていた伊予介の妻である空蝉の部屋に押し入り、女の了承もなしに強引にことを遂げてしまったのだから、間違いなく「強姦」と言っていいかもしれない。しかし、どうもそれだけで片づけてしまうというのも釈然としない。
  一つには、源氏の目的が自己の性欲の発散のためではないということにありそうだ。彼は、以前から空蝉のことを内裏で噂として聞いている。親が「内裏勤め」をさせたがっていたというから、優れた女性なのであろうということをそれとなく感じていたのだ。つまり全く知らない女でもないということである。彼の女性遍歴の目的は「優れた女性探し」であって、盲滅法誰でもいいという下賤なものではない。
  一方、空蝉も、源氏がこの邸に来ていることは知っている。そして弟の小君とこんな話をしている。
  『まらうど(源氏)は寝給ひぬるか。いかに近からむと思ひつるを。されどけ遠かりけり』
  「源氏さまはどんなに近くに寝ていられるのかと思っていたのに、案外遠くにいられたのね」ということで、彼女自身、源氏に対してともかくも興味・関心を持っていたのである。
  つまり相互に幾分かの関係をj事前に保持していたということである。だから「和合」であるとまでは言わないが、全く見ず知らずの女と男の関係とは言えないのである。小君の案内のままに、空蝉の部屋に無断で侵入し、女が源氏の求愛を拒否しているにもかかわらず強引に実事に及んでしまったことは、あるいは「強姦」の汚名を免れないかもしれないが、何か通常の強姦とは違うとニュアンスが漂っているのである。

  それでは、朧月夜はどうであろうか。花宴の後、弘徽殿に無断で入り込んだ源氏は、三の口が開いているのに目を付け、向こうから暢気に歌を詠いながらやって来た女の袖を掴むや、抱きかかえて三の口から上がり込み、錠を鎖して実事に及んでしまう。これでは、家屋侵入罪でもあるし、強姦罪にあたること疑いなしである。
  ところがどうもこれを強姦罪とは決め付け難いのである。なぜだろうか。それは女が源氏だと知った途端に
  『いささか慰めけり』
と、ほっとしてしまうことにありそうである。「源氏さまなら、いいわ」というわけである。源氏物語のいたるところからこのことは察することができるのだが、「光源氏」と言えば、都中の女たちのあこがれの的だったのである。それどころか、後世の『更級日記』の作者菅原孝標の娘までが、源氏や薫をあこがれの的としているのである。
   『物語にある光源氏などのやうにおはせん人を、年に一たびにても通はし奉りて、浮舟の女君のやうに、山里に隠しすへられて、花、紅葉、月、雪を眺めて、いと心細げにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめ』
  都の女たちは、みな源氏を待っていたのだがら、我々読者が、源氏の無理無体を見ても、そこに少しも人倫に悖る点も、不道徳な面をも見出すことができなくなってしまうのである。まして最上級貴族の娘である朧月夜が、「源氏さまなら」と思うのも宜(むべ)なるかなである。
  彼の行為は、法的には間違いなく悪ではあるが、周囲の情況や事件の後のことまで考え合わせていくと、そこに何の犯罪感も感じなくなるし、彼の行為を一概に「強姦」とは判じがたくなってしまうのである。

  先日の手術の名残か、疲れが出て来たのでこのあたりで一旦止めることにする。
  源氏と藤壺宮・六条御息所、源氏と明石君・紫上・末摘花、また、柏木と女三宮、匂宮と中君・浮舟の関係、が単純に「強姦」と言えるかどうかについては、次回に回すことにする。



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