源氏物語

源氏物語たより595

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     まめなれど   源氏物語たより595

  『まめなれど何ぞはよけく 刈萱の乱れてあれどあしけくもなし』

  この歌は古今集の「雑体」の部にある歌で、私の好きな歌の一つである。
  「真面目にしているからと言って別にこれと言って良いことがあるわけでもない。刈萱のように乱れていても別に悪い報いを受けるというわけでもない。(だったら・・)」
という意味であるが、何かふざけていて滑稽で、それでいて人の世の真実を突いている。確かに真面目に生活しているからと言って、善い報いがあるわけでもないし、結構乱れたことをしていても何の罰を受けるでもなく、のうのうと世を渡っている者も多い。何か江戸時代の狂歌のような感じがする。「刈萱の」は、「乱れ」の枕詞で、刈り取った茅萱は束ねても束ねてもすぐに乱れてしまうところからきているというが、私は、萱は少しでも風が吹けば、激しく靡き乱れるからだと思っている。

  「まめ人間」として通っている夕霧は、自ら率先し、あるいは父・光源氏のお供をして、ご立派な女性方を野分の風見舞いに回って歩く。その途次、彼を驚かせたものが二つある。
  一つは紫上の気高い美しさである。あまりの美しさに、彼の心は風見舞いの最中終始「つぶつぶ」と鳴り止まない程であった。
もう一つは、源氏と玉鬘の嬌態である。玉鬘は、源氏の子であるにもかかわらず、その二人が抱き合わんばかりに睦れ親しんでいるのである。二人の様子と夕霧の心情がこう書かれている。
  『いとなごやかなるさまして、(玉鬘が源氏に)寄りかかり給へるは、ことと(いかにも)馴れ馴れしきにこそあめれ。「いで、あな、うたて。いかなることにかあらむ」』
  「うたて」とは、不快なさま、うとましい様子ということである。色好みの父とは日ごろから聞いてはいたが、親子ともあろう者同士が取るべき態度であろうか。それを垣間見てしまった若く真面目な夕霧には信じられない破廉恥行為と映ったのである。

  面倒な女性方々の風見舞いが済んだ夕霧は、最後に明石姫君の所に寄り、紙を所望する。愛する雲居雁に消息するためである。女房が持って来たのは「むらさきの薄様」の紙であった。彼が消息に書いた歌は
  『風騒ぎ群雲まよふ夕べにも 忘るる間なく忘られぬ君』
  (どんなに野分の風が激しく吹こうが、群がった暗雲が立ち舞おうが、片時も忘れられないあなた)
である。愛する雲居雁に対する愛情が、ストレートに吐露されている分かりやすい歌だ。
  実は彼は、雲居雁との仲を、彼女の父・内大臣(元の頭中将)によって割かれていたのである。消息も思うに任せなかったのだろう。しかし、今日の野分はあまりに激しかった。そしてその激しさの中で垣間見た紫上の信じがたい美しさ、さらに玉鬘と父との痴態は、彼の気持ちを抑えられないものにしたようである。

  彼はこの消息に、風に吹き乱れた萱を付けた。するとそれを見た女房たちが
  『交野の少将は、紙の色にこそ整へ侍りけれ』
と言って非難する。「交野の少将」とは、古物語に登場する少将のことで、彼から手紙をもらった女で靡かなかった者はいなかったというほどの色好みの剛の者である。
  「その交野の少将は、消息の紙の色に合わせて草・花を付けたというのに、紫の紙に乱れ折れた萱を付けるとは、常識外れになりませんの」
と女房たちはあきれて忠告したのだ。夕霧は
  「あなた方のおっしゃる通りですね。そんなことにも気づかない私でした」
と素直に下手に出るが、
  「でもこんな嵐の後では、どこにこの紫の紙の色に合う草・花などありますかね」
と言って、刈萱を取り替えようともしないで、そのまま家人に託す。

  確かに恋文に刈萱を付けるとは、我々現代人が考えても非常識に思われる。彼の意図は一体何だったのだろうか。どうもそれが冒頭の「まめなれど・・」の歌にあったようなのである。
  夕霧は、源氏の実の子とは思えないほどの「まめ人間」である。「まめ」とは真面目という意味で、乱れることのできないということである。雲居雁との筒井筒の恋を、内大臣に拒絶されると、後は取るべき手段を知らず、じっと耐えているしかない夕霧である。
 しかし、この前代未聞の激しい野分(夕霧の年老いた祖母・大宮が「かつて経験がない」と言っている)に、彼のまめ心は弾け飛んでしまった。特に彼の心を激しく狂わせたのは紫上の前代未聞の美しさで、恋心さへ覚えるほどであった。
  そんな思いをしている時に、今度は父・源氏と玉鬘の痴態を垣間見してしまったのだ。彼は不貞なことまで考えている。
  「玉鬘は私と姉弟だと言っても、異腹ではないか。紫上には及ばないとしてもあんなに美しいのだ。だったら、
  『などか心誤りもせざらん』」
  「玉鬘に恋慕の情を抱かずにおられようか」というほどに乱れてしまったのである。
  真面目に生活しているからと言って、別に良いことがあるわけでもないのだし、いっそのこと大いに乱れてやろうではないか、という思いが沸々と湧いてきていたのだろう。
  でも、所詮は「まめ人間」の夕霧である、紫上や玉鬘に何ができようか。雲居雁に消息するのが精一杯の乱れである。

  女房たちには、古今集の「まめなれど」の歌が思い浮かばなかったようである。そもそも夕霧は
  『いとすくずくしう、け高し』
  (たいそう生真面目で気品がある)
と見えるものだから、まさかそんな「乱れた」心を持っていようとは誰も思いも寄らない。
  
  でもこの激しい野分は、彼を日ごろの彼のままにはしておかなかった。多くの美しい女性方を回り終えた時にこんなことを思うのである。
  『かかる人々を心に任せて、明け暮れ見たてまつらばや』
  父・源氏が六条院に多くの美女を集めて暮らしているように、「私も、美女を集めてその美女方を明け暮れ鑑賞しながら生活したいものだ」というのだが、源氏にはできても彼にできる技ではない。
  彼は、その後(この「野分」の巻の三年後)、内大臣に許されて、雲居雁とめでたく結婚し、多くの子供に恵まれる。
  彼が本当に乱れるのは、結婚後さらに十年を経て、柏木の未亡人・落葉宮に激しい恋をする時である。



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