源氏物語

源氏物語たより596

 ←源氏物語たより595 →源氏物語たより597
      初めて読んだ姫君は   源氏物語たより596

  夕顔が、光源氏に廃院に導かれ、死に至るまでの過程は、感情移入して本気で読むと誠に怖い。まるでサスペンス映画を見ているようで、かつてのヒッチコックのスリルを思い出させる。読者をぐいぐい恐怖の世界に引き込んでいく紫式部の筆力は、やはり並大抵ではない。まして当時の源氏物語の読者である姫君たちは、筋がどのように展開するのかという関心から、恐怖におののきながらも夢中で読み進めていったに違いない。
 
  当時の物語の読み方は、女房に読ませて、姫君は絵を見ながら物語の世界に浸っていたというのが大方の捉え方のようである。その証拠としてよく上げられるのが、いわゆる「隆能源氏」と言われている国宝『源氏物語絵巻』の『東屋』の巻である。そこには、浮舟が前のめりになって、源氏絵であろう、それを熱心に眺めている姿が描かれている。そしてその前では、侍女・右近が、文字がいっぱい書かれた冊子を広げて読んでいる。もちろん浮舟に読み聞かせているのである。
  しかし、私にはどうもそれは一般的な読まれ方ではなかったのではないかと思われて仕方がない。『宇津保物語』や『源氏物語』のような大作を、人に読んでもらって鑑賞するのは、随分まだるっこいのではなかろうか。楽しいところはずんずん読んでいきたいものだし、『帚木』の「雨夜の品定め」のような理屈に満ちたところは飛ばして読みたいというのが人情ではないだろうか。特に賢明な姫君はそう思うはずである。
  それに当時は印刷技術もなかったのだから、絵がそれほどあったとは思われない。ごく一部の上級貴族の家にあるくらいだったろう。また、女房が読んでいる物語はどんどん場面が変わって行くのに対して、絵は一定の場面だけで動きがない。それを呆けたようにいつまでも見ながら聞いているというのは、いかにしても間が抜けている。

  私には「一人読み」が主流であったと思われてならない。その根拠とするものに『更級日記』の作者・菅原孝標の娘の読み方がある。彼女は、源氏物語ができてから五十年ほど後の人だが、叔母から源氏物語五十余帖をもらうと、
  『心も得ず心もとなく(見たい知りたいと)思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず、几帳の内にうち臥して、ひき出でつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。昼は日ぐらし夜は目の覚めたる限り、火を近く灯して、これを見るよりほかのことなければ・・』
と、狂気じみた熱烈な読み方をしている。彼女の読み方は、やはり「人も交じらず」なのである。源氏物語の時代の姫君たちの読み方も同じではなかったろうか。
  まして夕顔が死に至るまでの緊張の場面などは、恐怖におののきながらも姫君たちは独り食い入りようにして読んでいたはずである。
 
  この場面には確かに怪奇的なところも出て来る。たとえば
  『宵過ぐるほど、(源氏が)少し寝入り給へるに、御枕上にいとをかしげなる(美しげな)女ゐて』
などがそれである。この「をかしげなる女」が源氏に対して
  「私があなたをこれほど愛しているというのに、その私をないがしろにして、こんなろくでもない女を引き込み、ねんごろに寵愛するとは・・」
と恨み掛かるというのだから、現代人には、「そんな馬鹿なことがあろうか」と思われるかもしれない。しかし、これを夢の中と取れば、あり得ないことではない。そんなことは現代人にもよくあるのではなかろうか。特に心にやましさがある時には、そう思う相手(あるいは事象)が夢に現れることはありうることだ。
  この廃院は、六条に近いところにあったようである(源融の六条の河原院がモデルになっていると言われる)。六条と言えば「六条御息所」の邸がある所である。源氏は、最近御息所に何かしっくりいかない気持ちを持っていて、夜がれを続けている。彼女に「申し訳ない」という気持ちを持ちながら、彼女の屋敷に近い所で夕顔と忍び逢いをしているのである。その「心の鬼(良心の呵責)」が、御息所を彼の夢枕に呼び出したと考えても何の不思議もない。
  この場面は、夕顔の突然の死も含めて怪異の世界が描かれているようであるが、実は単純な怪異に陥っているわけではない。それなりの現実的な根拠を紫式部は油断なく用意しながら、筋を進めている。

  ここで、紫式部は、姫君たちを恐怖の底に追いやる事象を次々と繰り出す。その「をかしげなる女」が、夕顔を掻き起そうとするので、源氏はびっくりして眼を覚ます。すると
  『火も消えにけり』
の真っ暗闇である。源氏は慌てて太刀を引き抜いて枕元に置く。魔除けのためである。侍女の右近に火を持って来るように命じるが、そんな暗闇で、しかも慣れない邸では、若い右近が火をもらいに行けるはずはない。仕方なく源氏が立ち上がり、人を呼ぼうと手を叩く。すると
  『山彦の応ふる声いとうとまし』
ばかりで誰もやって来ない。夕顔は
  『いみじくわななき惑ひて・・汗もしとどになりて、我かの気色なり』
  「我かの気色」とは、ほとんど正体を失っている状態である。源氏が、西の妻戸に出てみると、渡殿の火も消えている。童を呼んで紙燭(しそく)を持ってこさせるが、聞けば頼りの惟光もいないと言う。部屋に戻ってみると、右近までうつ伏しになっているではないか。彼は気丈に右近を叱りつける。
  『荒れたる所は狐などやうのものの、人おびやかさんとて、け恐ろしう思はするならむ。まろあれば、さやうのものには、脅されじ』
  しかし、夕顔をかい探ってみると、息もなく、引き動かしてみても、なよなよとしているだけで、
  『我にもあらぬさま』
である。
  ようやく童が紙燭を持って来た。その光に浮かび上がるように再び先の「をかしげなる女」が枕上に姿を現し、一瞬の後には、ふと消え失せてしまった。
  彼は必死で夕顔の意識を取り戻させようとするが
  『ただ、冷えに冷え入りて、息は疾く絶え果てにけり』
という状況なのである。ここで源氏の悲痛な叫びがこだまする。
  『あが君、生き出で給へ。いといみじき目な見せ給ひそ(ひどく悲しい思いをさせないでくれ)』

  夜中も過ぎていく。風がやや荒々しく吹いている。松を渡る風の響き、ぞっとする梟の声。そして部屋の中の様子が次のようにおどろおどろしく描写される。
  『火は仄かに瞬きて、母屋の際に立てたる屏風の上、ここかしこの隈々し(ひどく薄暗い)く覚え給ふに、ものの足音、ひしひしと踏み鳴らしつつ、後ろより寄り来る心地す』
  このあたりで、夜になって読んでいた姫君は、思わず「きゃ!」といって本を閉じてしまうのではなかろうか。

  なぜか、それには、当時の寝殿造りのありさまを知っていなければならない。
  上級貴族は、普通一町(ひとまち 120メートル四方)の屋敷を与えられた。平安中期には受領階級でもこの広さの屋敷を持っていたようである。『帚木(空蝉』の巻で、源氏が方違えした紀伊守の屋敷も一町あったはずである。何しろ紀伊守は中河から水を引いて、見事は遣水さえ造っているのだから。
  この廃院を源融の「河原院」とすれば、四町にも及ぶ。この広さでは、そもそもが狐か木霊の住処のようなものなのである。
  寝殿などは、概ね入母屋造りであった。この建築様式は、母屋を中心に廂の間が四方を取り巻き、さらにその外側に簀子(濡れ縁のようなもの)があった。大きさは、多くは「五間四面」である。「間(けん)」とは、柱と柱の間のことを言い、「五間」は、柱の数が六本ある場合である。母屋の奥行きは二間。ところで、この「間」の幅は一定しておらず、現在の一間(1,8メートル)よりも大分広かったようである。
  その母屋の周りを、東、西、南、北、「一間」の廂が囲んでいる。これを「面」と言った。したがって、「五間四面」の建物とは、外から見ると、南、北に柱が八本、東西に五本あることになる。
  母屋の中は、中央を襖などで区切っていたが、概ねがらんとした大広間で、屏風、几帳などの調度で仕切っていた。天井は付けない。廂とその外側の簀子の間は、格子で区切る。格子の裏には紙または板が貼ってあるので、格子を下せば真っ暗闇である。格子の隙間から外気や風が通り抜けてくるし、鳥の声なども漏れてくる。

  そんな部屋の四隅に高灯台などの火が薄ぼんやりとついている。とにかくその暗さは、照明設備のしっかりした現代人には想像もできないはずだ。
  元々闇は人を恐怖に陥れる要素を持っていて、現代人もその経験はみな持っているはずである。子供のころ、夜中に目が覚めてしまうと、ひどい恐怖心に襲われたものだ。特に風邪気味で体調の優れない時などは、たまらない。早く夜が明けないものかと必死に祈ったことがよくある。
  まして、源氏の場合は、隣に今まさに死んでいく人が臥っているのである。そこに格子から漏れてくる松風の音や無気味な梟の声。想像するだにぞっとする。部屋の隅から何か得体のしれないものが忍び寄って来るのではないか、ひしひしと人の足音が聞こえてきて、後ろから何者かが迫ってくるのではないか、と気が気ではない。
  姫君たちも、源氏と同じ建物の中で生活していたのだから、源氏の恐怖が我がことのように実感できたことであろう。先日、嵯峨野の大覚寺や東山の永観堂を見学した。廂の間の床がどこも「きゅ、きゅ」と鳴るのである。妻は不思議そうにしていたが、あれは「鴬張り」などと言う洒落たものではなかろう。建築技術の未熟さが鳴らしているだけだ。もしあんな邸の大広間に夜一人いて、廂や簀子が「ぎゅ、ぎゅ」と鳴ったら、頭髪が逆立つであろう。
  『夜の明くるほどの久しさは、千夜を過ぐさん心地し給ふ』
という源氏の思いは、まさに実感である。姫たちも、源氏とともに背筋に冷や汗を流し、胸の張り裂ける恐怖に襲われながら物語の世界に没入していたであろう姿がありありと目に浮かぶ。
 
  嵯峨の大覚寺に行かれることをお勧めする。ここの宸殿(重文)は、後水尾天皇(在位1611~1629)の紫宸殿を移築したもので、平安の建築様式をよく残している。自由に中に入れるし、勾欄や簀子や廂や母屋、あるいは格子(半蔀)などに手を触れることもできる。その上で、この『夕顔』の巻を読めば、さらに源氏や姫君たちの感じた恐怖を、身を以って体験できるだろう。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより595】へ
  • 【源氏物語たより597】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより595】へ
  • 【源氏物語たより597】へ